エロ率分析 (α)

〜分析結果サンプル〜


 『10』


 ――刀身にひびが入った。

 "地這虎"の腕に、剣が弾かれたためだ。


「くっ……!」


 足を掬うように振られる手を回避して、バックフリップ。

 生命系――と、銀兄さんが言っていた。

 自分の身体を弄るくらいは簡単なのか――否。これは――この手ごたえは尋常の強化ではありえない。


「大ハイドラと、"同化"かっ……!」


 歯噛みしながら、剣に通す気を強くする。

 恐らく、大ハイドラを己と同化させて、この大ハイドラを操っている、暴れさせている。

 であるなら、当然、己を大ハイドラと同化することも可能だろう。

 ははは、と笑いながら、"地這虎"が迫ってくる。

 化石化した鱗よりも硬い上に、魔力防壁まで張られている。

 魔術士として最上級であると同時に――奇矯な這う動きの達人!


「《炎剣》……!」


 右手に焔の剣を生み出し、振り下ろす。


「ひはァッ!」


 スライドするように回避される。

 銀精様は無論のこと、銀兄さんよりも動きそのものは遅い。

 敏捷性は、私の方が高いのに――


「くぅっ!」

「未熟、未熟ッ!」


 ――指先が、タイツを引き裂いて、足肉を抉った。

 九筋の傷で、右の脛肉がずたずたになる。


「く、ぁ……!」


 痛みに声を漏らしながら、左の剣を逆手に持ち替え、突きさす――も、当然既にそこにはいない。

 否、消えている。


「!!!」


 左足先で、たん、と踏み切り、高く跳ぶ。

 剣を突きこんだ位置からわずかにずれた場所に、"地這虎"がいた。


「おしい、おしい」


 隠し玉がいくつあるか分からん――銀兄さんの言葉を反芻する。


「――周囲の風景と"同化"した……!」

「そうとも」


 また、"地這虎"が消えた――否、映像としては、見えている。

 見えているけれど、どこにいるか理解できない。

 かさかさと這って、私の着地点に来ているようであり、同時、大ハイドラの額から飛び降りているようであり、その場にとどまったままのようでもあり、――だったら、と、右手に魔力を集中する。


「……《大炎》!」


 剣を口にくわえて、両手を真下に向ける。

 放つのは、特大の火炎放射だ。

 勢いで私の身がわずかに浮く――橙色の焔が、大ハイドラの額を舐める。鱗を熱しながら、炎が広がっていく。

 相変わらず、"地這虎"の姿は認識できないけれど、焔が吹きあがる場所、不自然な場所は、見える。

 恐らく防壁を張っているから、炎でのダメージは入っていないけれど、場所は見えた。

 そこにあることは、"同化"していたって変わらない。


「《炎翼》!」


 剣を吐くように左手に戻す。

 勢いを失った身を、炎を噴いて加速させる。

 眼下、炎が揺らめいた。

 私が攻撃する前に回避しようとしたのだろう――だけど、見えている。

 先に回避しようとしたことが見えている。

 炎の揺らめきが、教えてくれている……!


「やああああああああッ!!!」


 剣先が音速を越える。

 衝撃波で炎が散った。

 柔らかくも硬い防壁を貫いて、通した気が光を放つ。

 鋼よりもなお硬い表皮を貫いて、刃が火花を散らす。

 肉に、到達する。

 前腕、橈骨と尺骨の間を抜けて、剣が突き抜ける。


「ぬっ、う、ははははは、はははぁあッ!」


 男が笑う――手元がズレる。

 剣が、半ばほどから砕けていた。

 恐らくは突き抜けた直後――鱗と化した表皮に、裏から当たった衝撃が原因だ。


「く――!」


 何度か竜鱗に叩きつけたんだ。並みの剣では一度で曲がるか折れるかしていただろう。

 名刀の類でこそあれ、人の手によるものの限界が、今、ここできた。

 腕に剣先を残したまま、"地這虎"が動く。

 扇を回すように、高速で背後に回る動きだ。

 追いかけるように振り向きながら、剣を投射する。

 勿論、傷はつかない。掲げた腕に弾かれるだけの結果に終わるけれど、一手遅らせることはできた。


「ふッ!」


 踏みつぶすために踏み込んで、バックダッシュで回避される。

 足先が《大炎》の圏内に突っ込んでいるけれど、燃える様子はない。

 "地這虎"の守りを抜くのは、魔力を一点に集中しないと無理だ。


「《炎剣》……!」


 左手に炎の剣を生み出し、同時、右手に炎を浮かべる。

 薙ぐように剣を振れば、炎が鱗を舐めるように走る。


「くぉァっはァ!!」


 "地這虎"の手が――九爪が、炎を裂く。

 老いた手指が朱くなっているのは見えた。

 まだ足りない。


「あああああああっ!」


 右手の炎を、剣に叩きこんで両手持ちに。

 真っ向から、両手を鱗に叩きつけるように振り降ろす。


「くははぁッ!」


 "地這虎"が、笑うように口を開き、――迎撃するように、紫の息を吐いた。


「、」


 目を瞠る。

 炎の剣が、腐って落ちた。

 大ハイドラ――"ここのつ"の、ブレス!


「くっ!?」


 炎の剣を手放す。

 口元を隠しながら、大きく飛びのく。

 紫の吐息は、高空の風ですぐに散らされた。


「……この"ここのつ"のブレスを見るのは初めてかな、お嬢ちゃん」


 "地這虎"が、顔を鱗に落としながら、ゆっくりと言う。


「僕は見たよ。僕は見た。ああ、見たのさ。だからあまり使いたくはなかったが」


 ……猛毒のブレス。

 それも、ある種の概念域――炎が腐るなんて、通常の物理現象ではありえない。

 浅くなる息を、自覚する。


「考えても見るがいい――この"九龍背城"の下。九龍の地の周囲についてだ」


 意識して、息を整える。

 魔力をかなり消耗している。5割を切って、今、4割くらいだろうか。

 あまり大規模術を使えないから、このくらいでも戦うのに支障はないけれど、やや虚脱感が出始めている。


「周囲……?」

「そう。あまり意識したことはないか? この地形について」


 丁度、高い位置にいる。

 横目で、遠く一キロは下にある地上を見る。

 大ハイドラの咆哮によってか身じろぎによってか、崩壊した建物がいくつか見える。火事も起きているみたいだ。


「……分かっていなさそうな顔だ。ああ、この大ハイドラの落下によって、九龍の地はすり鉢状になったわけだが――落下直後、当然この大ハイドラは暴れたのだよ」


 "地這虎"の言葉の通り。確かに、盆地気味で、けれど所々が削れたようになっている。

 削れた部分には建物があるけれど――確かに、言われてみれば、


「緑が……ない……?」

「そう。人が住むにはひとまず問題ない程度まで無毒化はされたが、木々が根を張る深度には、まだ毒が残っている。そういうものだ。そういうものだからこそ、あまり使いたくはなかった。まがい物でもだ」


 だが、と、顔を横倒しにしたまま、"地這虎"が笑う。


「君は姜と名乗った。その責任と覚えるがいい」

「――《炎剣》!」


 左手に炎の剣を生み出す。

 いまだ残る《大炎》に潜るように、"地這虎"が迫る。

 足を薙ぐ九爪を軽く跳躍して回避――"地這虎"の姿勢には弱点もある。

 "地這虎"は身体が柔軟なようだけれど、それでも、ヒトは背中側に対処しずらいものだ。

 ブレスだって、180度後ろを向けなければ私を狙うことも出来ない。

 ひょろ長い腕のリーチを跳び越えながら、その背を焼き切る。


「ぐぬ、はは!」


 "地這虎"が頭を中心に高速で旋回する――剣が届いたのはわき腹辺りだけで、そこの肉は少し抉れたけれど、とても致命ではない。

 身をよじって"地這虎"の方を向きながら着地し、勢いを殺さず足を前後に開く。

 靴を滑らせて、迫る九爪の根、手首を足裏で蹴る。

 そして、全身を地面につけるように、剣を伸ばすように、振り下ろす。

 狙うはもう一方の腕だ。

 いまだ前腕に突き立ったままの剣――それを炎で巻く。


「ぐっ、がぁあああッ!」


 "地這虎"の腕の中で、刃が動く。

 竜の鱗は強靭だけど、その中まで強固というわけではない。

 火力で動かし、熱して焼く。

 一瞬ひるんだ隙に、後ろ足の膝、前足の踵で跳びあがって、ブレスを回避。

 大ハイドラと同化しているとは言っても、人体の制約がある――吐き出す息が毒の属性を持つといっても、その肺活量まで竜と化しているわけではない。


「《炎幕》!」


 足を縮めながら、炎で壁を作る。

 一瞬で炎が腐り落ちるけれど、回避の隙間はできた。

 再度足を伸ばして横側に踏み込んで、肩を踏みつけて固定し、


「あ、あああああ!!!」


 左手に、回せる魔力すべてを叩きこむ。

 剣の突き立った手が、おかしな動きをする――痛みによるものではなく、炙られた筋肉が収縮しているためだ。


「ぐっ、ぎゃああああああああああッ!!!」


 ダマスカスの刃が赤熱し、融ける。

 溶けた鉄が腕の内側を焼く。


「あががッ、がぁあああああああああ!!!」


 びだん、びだんと"地這虎"が暴れた。

 ひょろ長い腕が背を回って、肩を踏みつける脚に迫ってくる。

 だけど、遅い。

 一度足を振り上げて、踵で、その腕ごと踏みつぶす。

 踵の骨がいやな音を立てたけれど、同時、"地這虎"の腕からも、砕ける音が立った。


「ぎぃいいいいいいいいいッ、な、なめ、なめるなッ、姜ンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンン!!!」


 ――足が落ちる。

 薄い肩と腕の落差で、だん、と音が立った。


「え、」


 ――完全に消えた。

 意識迷彩の類じゃない。

 地面に潜ったわけでもない。

 ふっ、と、空気に溶けるように――


「――まさかっ、空気と同化ッ、」


 思い至った瞬間だ。

 後頭部を、硬い皮が掴んだ感触があった。


「あっ――」

「大丈夫。愛する人とも同じにしてあげよう。二度と別たれることがないように」


 ――ぶつんと切れる。






/






 ――平凡だった少年の。

 平凡でない、夢を見た。


「な、なんで……」


 血にまみれた少年は、その光景を見上げていた。

 焔の翼で飛ぶ幼児が、九つの首と対談していた。


「うそだ……そんな、」


 なんでそんなに安らかな顔をするんだ、と。

 まるでペットのように――3歳かそこらの子供に、主へと向けるような、敬意を捧げていた。

 九つの首が、ゆっくりと落ちていく。

 長い首を、地面に付けていく。

 九つの首の中央――そこに乗った子供が、はしゃいでいるのが見えた。


「……なんで、勝手に……許しているんだ……」


 理解している。

 『概念域』と名付けられることになる領域に達した己でも、決してこのハイドラには勝てないことを。


「うあ……あああ……」


 許されない。

 許されるべきでない。

 事情はあろう。斟酌しよう。

 だが許さない、許せない、許されるべきでない!

 絶対に、絶対に――そんな安らいだ顔を二度とできないようにしてやらねばならない。


「お、おおおおおお、おおおおおおおおお…………!!!」


 少年は、突っ伏して泣いた――駆けつけた警官に確保されるまで、涙を流し続けた。




/




「おい、■■■……」

「なんだい、どうした?」

「いや……最近、道場に顔出さないじゃないか……様子を見に来たんだよ……」

「そっか。ちょっと研究に根を詰めていてね。そのうち行くよ」

「あ、ああ……み、みんな心配してるんだよ……俺だって、そうだ」

「……シーズ。ありがとう。大丈夫。僕は正気だよ。悲しいけどね」




/




「……報奨金をな。貴様の口座に、振り込んでおいた」

「ありがとうございます、教授。……ひと段落しましたね」

「そうだな。……おかしなことを考えてはいないか」

「教授は、いつも僕のことを見てくれていますね。本当に感謝しています」

「やめろ。監督者の当然の責務だ。……だから、その書類は受け取れんぞ」

「教授はなんでもお見通しなんですね」

「貴様が何をしようとしているかぐらいは読める。研究を監督していたのは俺だ。貴様を監督するのが役目だからだ。……だから、よせ。その人生は、後悔にて終わる」

「まあ、そうでしょうね。そうでしょうが。ここでお別れです。お世話になりました、教授」




/




 さて、と、少年は地面に手を付いた。

 大ハイドラが落下して、いくらかの時が過ぎていた。


「遅くなったよ。"ここのつ"。貴様を殺すために、準備を整えていたんだ」


 四つん這いになって、少年は魔力を集中する。

 次の瞬間、少年は穴と言う穴から血を噴いた。

 竜である。

 全長が2キロメートルだとか、そういう問題ではなく――存在のスケールが違う。

 血を流しながら、少年は地面にぺったりと張り付いた。


「根競べ……だ、"ここのつ"。何十年だって、やってやる」


 血を吐きながら、少年は魔力を調節していく。

 ここで無理しても、この大ハイドラを制圧することはできないと分かっている。

 復讐に準じたいわけではない――復讐を完遂したいのだ。

 生き延びられるギリギリを狙って、地面に手を付け続ける。


「"ここのつ"よ」


 大ハイドラからすれば、無視できるほどゆっくりと。

 己を、大ハイドラに同化浸透させていく。


「お前からすれば、無視できるほど小さいんだろうな。だけど――だからって、軽いわけじゃない」


 少年は、目をつぶって思い出す。

 故郷の風景を、家族の笑顔を。


「重い――重いぞ。重かったんだ。何十年だってやってやる。思い出が僕を押しつぶす限り――僕は絶対に立ち上がらない」


 呪詛を地に吐く。

 名を捨て、友を振り払い、ただ過去にのみ生きることを、彼は宣言した。




/




 ――そうして、およそ20年が経った。

 近頃はすっかり慣れて、魔術の行使が無意識になっていた。

 身はやつれた。だが、常に――眠る間も行使され続ける魔術に、魔力は増大していた。

 今では反動ギリギリを保ちながら、もう一つ魔術を使える程度にはなっている。

 そんな彼の住処に、一人の男が踏み込んできた。

 元少年の本来の年齢より、やや年かさ――40歳ほどと見える男だった。

 ワインボトルを持った男は、はっきりと元少年を見て、呟いた。


「……見つけたぞ」


 彼は驚き顔を上げた。

 周囲と"同化"していたのだ。

 これを見破れるものはそうはいないのだが――と、顔を見て納得した。


「……シーズか」


 久しぶりに出した声だった。

 年かさの男は頷いた。


「出会いとは、"重力"によるものなのだそうだ」

「そうかい――君も至ったのか」

「ああ。お前ほどではないが、な」


 年かさの男は、地べたに座った。

 そうして、ボトルの首をねじ切り、間に置く。


「すまない。酒は飲めないんだ」

「そうか。…………租借が今年で終わることは知っているな?」

「……ああ、そうか。もうそんな年なのか。それで?」

「この香港が、沿岸3国のどこの手に渡るといいと考える?」

「……この大ハイドラを滅するところかな」

「まあ、そう答えると思ったが」


 はあ、と年かさの男は溜息を吐く。


「どこの国にわたっても、この大ハイドラは滅ぼされないだろうよ。この世で最も強い毒の一つを、無尽蔵に生産するプラントのようなものだからな」

「だろうね」


 元少年は、分かっている。

 もう、復讐心を持っている者も少ない。

 諦めたのだ。

 大ハイドラは強大であり、日々の生活があり、そして手段がなかった。

 もう二度と暴れ出すことはないと、諦め、赦し、忘れたのだ。


「……端的に言う。この香港を独立国としたい。王にしたい、男がいる」

「僕に協力しろと?」

「そうだ」

「お断りする」

「復讐のためか」

「そうだ」

「そうか」


 年かさの男は立ち上がる。

 そうして、両手に黒い球体を生み出した。


「ならば、俺がお前を終わらせよう。……友として」

「……終わらされるわけにはいかないな。……友よ」




/




 文字通り、這う這うの体で逃げ出した。

 かさかさと、高速で、しかし血の跡を残しながら、だ。


「…………!」


 その眼前に、焔を纏う青年が現れた。


「き、きさま、は……!」


 20年ぶりに見る姿だったが、一目で分かった。

 あの時――"ここのつ"を説得した子供が、成長した姿だった。

 あの時と同じく、炎の翼を広げていた。


「待てッ、……って、なんでこんなところにいる! 俺に任せるって話だっただろうッ!」

「ハハハ。今すぐ許せ、シーズ。君に任せるとは言ったが、私が出ないとも言っていない」

「屁理屈ぶっこきやがって……!」


 元少年は、直感する。

 友はこの男を王にするつもりなのだ、と。

 この大ハイドラの主を。

 大ハイドラを許した男を。


「お――お、おおおおおおおおおお!!! 貴様、貴様ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」


 元少年は、激発した。

 20年ぶりに、両手を地から離した。

 今まで、大ハイドラを制圧するために流していた魔力まで用いた全力を発揮する。


「ハハハ何をやったのか聞いていいかシーズ! 話を聞いてもらうどころではないな! 私の強みがゼロになったぞ!」

「弱いんだから前出てくんなって言っただろうがテメェええええええ話聞けや姜星ンンンンンンンンンン!!!!!」


 元少年は叫ぶ。


「"ここのつ"、滅ぶべし!!!」


 這う男は泣く。


「死すべし、堕すべし、敗れるべし! 砕けるべし、朽ちるべし!!! 消えるべし、滅するべし!!!」


 名前を失った男は、狂乱する。


「この偉大なるハイドラの主を、王と戴くならば――おお、おお!!! 香港すらも――滅ぶべし!!!」




/




 少年は、背がひょろりと高くて、真面目で、熱心で、家族思いで、魔法の才能こそあったけれど、平凡だった。

 少年は、足元がおろそかで、頑固で、視野が狭くて、人見知りで、運動音痴だったけれど、平凡だった。

 それが――"地這虎"にまで至る、夢を見た。




/




 同化する。

 混じっていく。


……本当、無様だ。あんな啖呵を切っておいてこのざま。


 呟いては見るけれど、音にはならない。

 既に身体の制御権を奪われている。


……なにかできる?


 もうどうにもできない。


……本当に?


 ……違う。

 見てしまった――その慟哭と、同化してしまった。

 身体が動けば、きっと涙を流していた。


…………銀さんもこれを見た。


 そうだ、銀兄さんもきっとこの風景を見た。

 "地這虎"は、家族を愛していた。

 だから、家族を殺した大ハイドラを許せない。

 それの主たる男が治める香港も同罪だと。

 己一人に復讐を押し付けた香港こそを滅ぼすべきだと。

 悲しくて、辛くて、だから狂ってしまったんだ。


……見たけど、動いていた。


 そうだ、銀兄さんは、これを表に出さなかった。

 同情はしていたかもしれない。だけど、でも、倒すべきだ、と動いていた。


……どうかと思う?


 ちょっと。どうかと思う。


……でも、


 やるべきことに向かっている。

 自分がやりたいことが、ブレないひとだ。

 自分勝手と言えばそうなんだけど――その勝手が、人を助ける方向に向いた人だ。

 だから、いつだってなんとかしてしまう。

 だから、私も背伸びをしたくなる。


……すこし、でも、本当に羨ましい。


 追いつきたい。

 "地這虎"を止めたい。

 引っ張っていくことはできないけれど―― 一緒に走っていくことくらいはできるんだと、胸を張りたい。

 私だって自分勝手だ。

 同情しながら、それでも自分の都合を優先したがっている。


……でも、


 足りない。

 私では、足りなかった。


……だって、私は半分だ。


 この私は半分だ。

 あの私も半分だ。

 半分では、勝てない。


……全部。


 全部。


……私の全部を、ぶつけた?


 ぶつけていない。

 コインの裏表みたいなもので――裏表を、同時に見せることはできない。


……まだ、全部はぶつけていない。


 銀兄さんは、ジェスター・クラウンに、全部をぶつけていた。

 アラン・モングレルに、すべてをぶつけていた。

 日々の戦いだってそうだ。

 不良なようにみえて、真面目で、熱心だ――"地這虎"となる前の彼と、同じように。


……やらなきゃ。


 追いつかなきゃ。


……追いついて、手が届く距離にいなければ!


 ――あの人を、抱きしめられないんだから――――!






/






 ――視界の端で、焔が揺れる。


「グッ、ギャァァアアアアアアッ、アアガアアアアアアアッ!?」


 全身が燃え上がっている。

 頭を掴んでいた手が離れた。


「あ、あ、ァああああああああっ!!!」


 叫びを――産声を上げながら、全身から炎を噴き出す。

 全力。全開だ。


「きッ……きさッ、貴様っ、小娘ェッ、なんだ、なんだ、なんだッ、その姿はァアアアアアッ!!!」


 叫びに、振り返る。

 視界の端で、灰色の髪が揺れる。


「ぼっ、僕の、僕の術を……利用、したかァアアアッ!!!」

「然り!」


 ――体のバランスが、変化している。

 少し、背が低くなった。

 骨格は、マウスの時に近い。

 髪は灰色だ。瞳はどうだろう。

 でも、仙人骨の存在を感じる。

 ……もう二度と、"マウス"にも、"紅可欣"にもなれないだろう。

 『私』は今や――私と私が合わさった、新たなる『私』だ。


「……あなたの助言に基づき――名乗ろう、"地這虎"!」


 左手に、焔の剣を生み出す。


「私は、姜星の娘! 姜――可銀! 姜星の娘として! 香港、初代総督の娘として! そして香港に住まう一人として! あなたを――斬る!」


 それを突きつけ、叫んだ。


「舐め――舐めるなッ、小娘がァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」


 ――"地這虎"が迫る。

 新たな私として、立ち向かう。