エロ率分析 (α)

〜分析結果サンプル〜


 『8』


「折れ…………ッ!」


 ――その言葉を最後に、銀兄さんは膝を折った。

 銀兄さんの脚に、這う男が触れていた。


「銀兄さんっ!?」


 思わず叫ぶ。

 ……ジェームズさんの背から飛び降りて、警官さんたちを回収して、それから銀兄さんが戦っているだろう現場に来て。

 そして見たのは、右腕から血を零す銀兄さんと、恐らく銀兄さんが開けたのであろう大穴と、そして這う男だった。

 膝と足首、肘と手首を地面にこすりつけるように、その男は銀兄さんに近づいていた。

 銀兄さんの表情には、まったく危機感と言うものがなかった。

 男が銀兄さんの脚に触れた瞬間、銀兄さんは苦しみだした。

 銀兄さんの魔力が変質する――いつもは恥ずかしげに抑えられている光の属性が、別の何かに置き換わっていく。

 何らかの魔法を無防備に受けた、と見えた。


「――よくもっ!!!」


 剣を抜いて、這う男に飛びかかる。

 地面に張り付いた男は、薄かった。

 手足がひょろりと長い――立ち上がれば恐らく銀兄さんよりも上背がありそうだ。

 だって言うのに、おそらくは銀精様よりも胴が薄い。風にはためく襤褸布の下には、内臓が入っているのかわからない程細い胴体が見えた。

 襤褸布から見えている姿は、殆ど骨と皮だ。


「くはっ」


 男は笑って、かさり、と音を立てるように身を回した。

 机の上で紙を回すみたいな、奇妙な動きで、剣を回避される。地面と刃が火花を起こし、少しだけ突き刺さる。

 剣が少し歪んだのを感じる。やはり、化石化したとはいえ竜鱗――紙のように切り裂くには、私の腕が足りていない。

 いくら斑の刀身――ダマスカス鋼の古刀とは言え、人の手によるもので易々と切り裂けるほど柔ではない。

 く、と歯噛みしながら踏み込み、勢いで剣を引き抜いて、運指だけで振り回し、もう一度斬撃を落とす。

 腕と脚が伸びて、胴がズレるように動いた。

 銀兄さんから距離を取らせるように、剣を振り下ろし、あるいは踏みに行く。


「速い、速いなっ!」


 一挙手一投足が、私にとっての挑発だ。

 脳の血管が千切れそうなくらいの怒りを感じながら、同時に、雑な動きでは当たらないことも理解していた。

 銀兄さんとアルバイトはよくしていた。こんなような変な武術の使い手、奇妙な身のこなしには何度か出会った。

 武技を身に着けた人間型の虫がいればこんな動きになるだろうか。

 戦うことを覚えた蜥蜴がいれば、こんな動きをするだろう。

 地面を泳ぐ術の使い手、虫人や獣化した獣人のように姿勢が低い相手は相手にしたことがあるけれど、これは格別だ。


「く……!」


 剣が当たらない。

 どころか反撃まで来る――脚を掴むように伸びてくる手を飛びのいて回避して、逆に手を斬り落とすように剣を振るう。


「おおっと」


 男はぺたりと地面に腕を伏せる。

 襤褸は切り裂いたけれど、剣が下まで届かなかった。

 弱音を吐くならば、だけど――こんなのは、尋常の武術では想定されていない。

 地面に剣を当てるような高さに攻撃するなんてほとんどありえない。

 何度も叩きつければ、流石に折れるかもしれない――となれば。


「――《炎上》!」


 右手から炎を噴射し、地面を舐めるように振るう。

 おっと、と、男は言って、かさかさと退いた。

 ……虫ではありえない動き。お尻から高速で下がるなんて、滅多にない。

 どうやら男は、本当に這う動きを基本としているみたいだった――防壁を張ってこちらに突っ込んでくる様子もない。

 視線は男に向けながら、叫ぶ。


「銀兄さん! 大丈夫ですかっ!?」


 返答は、男性2人の呻きだった。


「ぐえッ」

「おぐッ!?」


 思わず振り返る。

 横目で見た先では、しゃがんだ銀兄さんが両腕を翼のように広げていて、警官さん2人が飛んでいた。


「えっ、」


 ジェームズさん達が硬直している。

 妙に景色がゆっくりだ。

 たぶん、私が距離を取らせたから、解呪なりをしようと近づいたんだろうと思う。

 そして警官さん2人を殴り飛ばしたんだ。

 無尽さんの有様を思い出す。

 這う男が銀兄さんに触れていたのは、どんなに長く見積もったって、3秒とか、そのくらいしか触れていなかったはずだ。

 銀兄さんは振り返り、黒髪の下、見たこともない表情を私に見せてきた。

 種類としては笑顔なのだけど――なんて、言えばいいんだろう。

 嘲笑的で、悪意があって、昏い喜びがあって、その根底には怒りがある。

 這う男と同じ表情だった。

 たったの数秒だけの術で、深く洗脳されたような顔だった。


「ははは!」


 銀兄さんは、獣のように跳んできた。

 しゃがんだ姿勢から脚を伸ばして、左手で地面を支えるようにして。

 私は、首だけで振り返ってしまった姿勢だった。


「…………!」


 右腕を防御に回す。

 銀兄さんは血を遠心力でまき散らすように、右腕を叩きつけに来ていた。

 左に跳んで、衝撃を殺そうとする。


「!」


 めぎ、と骨から音がした。

 右腕は拳ではない――何があったのか、銀兄さんの右腕は内側から破裂したように傷ついている。

 親指の根元側、逆手刀が私の腕にめり込んでいる。


「うぐ――」


 声が漏れる。

 衝撃が伝播する。

 右足はまだ地面から離れていない。跳べていない。遅れた、


「――ぅあっ!」


 殴り飛ばされて、背中が路地壁に叩きつけられる。

 呼気が漏れて、涙がにじんだ。

 横隔膜が驚いてしまっている。

 右腕もそうだけど、右の肋骨も痛めた。

 だけど剣はまだ手にあるし、力も残っている。

 横隔膜をなだめて、息を吸って、激痛に耐えながら立ち上がる。


「かっ、ふ……はっ、……!」


 銀兄さん――では、ない。

 動きは、まだ私に見せていなかった動きということで納得もできる――だけど、こんな。


「ああ……いいな。うん。この肉体は、よい。強い肉だ」


 『銀兄さん』は、呟くように言う。

 這う男のガラガラ声と重なるように、銀兄さんは笑った。


「「さて。この通り、僕は洗脳能力を持っているぞ。それも素早く強力だ。無論ここで終わりではない。屑ども。これで終わりではない。ははは。はははははは!!!」」


 『銀兄さん』の足元に、男が這い寄った。

 《炎上》は、吹き飛ばされたときに解けてしまっている――それでも熱は残っている。

 地面で己の皮を焼きながら、引きつるように男は笑う。


「…………」


 剣の先を、地面に引きずりながら。

 ダメージも、引きずりながら。

 私は立ち、歩き、言う。


「……名乗れ」


 ははは、と、『銀兄さん』は笑う。


「あ? 知ってんだろ、ケイ。いっつも銀兄さん銀兄さん呼びやがってな? ははは、ははははは!!! 俺の名は――」

「違う!」


 叫べば、制御を外れた魔力が炎となって吹きあがった。


「貴様の墓に刻む名だ、這う男!」


 視界の端にちらちらと炎が映る。


「先に名乗れよお嬢ちゃん。ほら。キチンと待ってあげよう。ははは。ははははははは」


 名乗る気なしと見て、飛びかかった。


「はぁあああああッ!!!」

「ひァッ!!!」


 這う男の前に、『銀兄さん』が割り込んできた。

 振り下ろした剣に対し、右手を振り当てる動きだ。

 弾く動きではあるけれど、肉と鋼、拳と剣だ。タイミングだけは合っているけれど、負傷のためか動きが少しブレている――弾かれはしても、右腕の肉を削ぎ落せる、と確信した瞬間だ。

 ごきん、と、剣が弾かれた。


「――――!」


 目を瞠る。

 そこにあるのは、白い小手だ。

 輝く小手――光の籠手!


「ははは!!!」

「う゛ッ!」


 左拳が胸下に入る。

 さっき痛めた場所を狙われた。


「"俺"は勿体ない事してんなァ!」


 軽く吹き飛ばされる。

 距離を詰められる。

 その踏み込みは銀兄さんの動きだ。


「ははは! 雑も雑だな"俺"は! "俺"はテメェのことを同格だと思っているぞ――」


 苦し紛れの炎を潰される。

 柄を弾かれ、振り上げる蹴足を受けられ、


「――そんなこたァねェのになァアア!!!」


 もう一発、ダメ押しの拳が左胴に入った。

 今度こそ、ぼきり、と音がする。

 砕けた骨が内臓に突き刺さる。

 喉の奥から血が昇ってくる。

 身が宙に浮いた。

 かは、と、血を吐く。


「っ……!」


 再度ふっ飛ばされて、また壁に叩きこまれた。

 げふ、こふ、と、気管に登って来た血を吐き出す。

 ジェームズさん達だろうか、打ちあう音が聞こえてくる。

 ……光の具足、とでも言えばいいのだろうか。

 銀兄さんの手足には、光が凝集したような装甲が宿っている。

 高位の魔術士が使う、属性刃の類なんだろう、とは推測できた。

 本来であれば、杖を剣のようにして生み出すものだ。人によっては鎧のように纏うこともある(張さんがそうするのを見たことがある……ジェスター・クラウンの鎧は、また別の手法の鎧だったけれど)。

 銀兄さんも、魔力総量的には具体化することが可能で、今、這う男がそれを代行、代演しているんだろう。

 多分、洗脳は洗脳でも、常に術者と霊的に繋がっているタイプだ。

 状況確認や、細かな指示――再洗脳ができるけれど、あまり遠くには行けず、対象も限られるタイプ。

 偽装が異常に上手いけれど、でも、侵食、洗脳の瞬間に感じた気持ち悪い魔力が、銀兄さんの光の小手に混じっていた。

 普通の洗脳だったら、あんな風に混じらせていたらすぐに洗脳が解けてしまう。


「はははははははは!!!」

「くぅッ! ジェームズ!」

「僕が、やるしかないかッ……!」


 ばち、ばぎ、ざしゅ、と音が聞こえる。

 "光"であるだけに、ジェームズさんはともかく、黄さん達は相性が悪い。

 ジェームズさんも、銀兄さんの打撃力の前では分が悪い。

 銀兄さんのクセは、よく知っている。光の具足なんてモノで不意をうたれたけれど、もう対応できる。必死で肋骨を治す。

 はふ、は、と浅く呼吸して、男がかさりかさりと寄って来るのを見て、『銀兄さん』との戦いに加勢に行かなきゃと脚に力を込める。


「――って、嘘ッ!?」


 跳びあがって伸びてきた手を回避する。

 立ち上がったタイミングで良かった――銀兄さんも、きっとこれにやられたんだ。

 何らかの魔術――意識迷彩、広域洗脳。銀精様や竜双子様に対処法を教えられてはいるけれど、それも意味のないような、忍び寄りだ。

 以前竜圏様が見せてくださった、鬼門の死角に潜り込む歩法とも違う。

 以前竜田様が見せてくださった、意識の隙間に入り込む歩法とも違う。

 以前銀精様が見せてくださった、次元の境界に踏み込む歩法とも違う。

 そこにあることを疑問に思わせないって意味では竜田様のそれに近いけれど、そこにいて当然と思わせるなんて。

 魔術を用いているのは分かるけれど、洗脳とこんな溶け込みを同時にする特性なんてあるだろうか。

 ……銀兄さんなら! こんな時、銀精様に見たこともない技で沢山死ぬような目に遭わされたせいで異様に勘が鋭くてとても初見に強い銀兄さんなら!


「ははは。惜しい、惜しい」

「く!」


 壁から反対側の壁に跳びながら、戦場を俯瞰する。

 『銀兄さん』と相対しているのはジェームズさんと黄さんで、その後ろに、左右に吹き飛ばされた警官さん達がいる。

 ぐったりとうなだれてしまっている――警官さんたちは、リタイアだ。

 楊さんも、5本だった腕を3本まで減らしてしまっているのを、李さんが抱えて後ろに下がっていた。


「黄さん!」


 声をかけると、黄さんが大きくバックステップした。

 壁から壁へ、壁から地へ。剣を背負うように薙いで、再度『銀兄さん』に立ち向かっていく。

 左手一本。まだ肋骨は少し引きつるように痛むけれど、突きと斬撃を繰り返し、受けと回避を繰り返させる。


「ふっ……!」

「ははッ……!」


 普段とは逆だ。私の方がリーチが長く、銀兄さんの方が短い。

 右腕は光の小手の中でまだ血を零している。銀兄さんにしては、治りが遅い。戦闘中であるとはいえ、普段の銀兄さんなら血くらいはそろそろ止まってもおかしくないはずなのに。

 動きそのものは銀兄さんのそれだけど、身体強化が普段よりやや弱い――というか、常に全身を強化しているせいで動きが固く効率がやや悪いように見える。

 洗脳されているけれど、自意識を半端に乗っ取られたような状態なんだろうか。

 乗っ取られたようで、乗っ取られきっていない。

 ――顔面を腕を捻りながら突いて、ひねりを戻しながら切り下げる。


「っと、」


 突きは回避されたけれど、切り下げで頬を裂いた。

 体が崩れたところに、再度突きこんでいく。

 やはり、修復が遅い。

 普段の銀兄さんなら3合の内に表面的な切り傷なんて治ってしまう。

 驚いたように動きが乱れた隙に、右手から炎を投射する。


「《炎矢》!」


 ち、と舌打ちと同時に、『銀兄さん』は下がる。

 3発の矢が、退きながらのジャブ二発で消されて、最後の三発目が、


「ふんッ!」


 と、右のストレートでかき消される。

 打ち下ろしの右になる――普段の銀兄さんなら、突っ込んでくるところだ。ちょっとどうかと思うんだけれど。

 こっちの方がやりやすいからいいんだけど、と、腋を抜けるように、腕下を切り裂く。


「く、ぬ……!」


 『銀兄さん』は一歩退いて、切り裂きを皮一枚で逃れる。

 左手で脇を抑えて、更に退く――多分銀兄さんが開けたであろう穴を大回りして、バックダッシュだ。

 『銀兄さん』が語った通り、銀兄さんは、私より強い。

 銀兄さんを銀兄さんたらしめているものが、甘さが無くなれば。

 力任せのぶん殴りじゃなくて、きちんと武技にそった拳足を用いれば。

 殺されかけながら2年以上鍛えられてきた銀兄さんは、今や私より総合力が高い。

 "銀杖"を持てば、鬼に金棒だ。そうでなくとも、武器が同等なら私よりも強い。

 だけど――


「銀兄さんはッ! そんな引けた腰で戦う人じゃないっ!」


 ――銀兄さんの拳と、私の剣なら、私の方が強い……!


「はっ!」


 追いついて、更に突きと斬撃を放つ。

 穴の反対側には、全力で這う男がいた。

 李さんが、その蜘蛛足で踏みつけるように男を追っている。

 甲殻に覆われた脚は、それそのままが凶器だ。

 その背には黄さんが乗っている。

 李さんは完全に黄さんに操作されているようで、普段よりも動きがいい。随所に張られた札が光を放っていた。


「追い出しますよ、ケイ……!」

「はい!」


 路地を駆ける。

 光が先に見えている。


「《炎剣》!」


 右手に、焔の刃を出す。

 突き主体の動きから、薙ぎと払い、回転を主体にする。


「熱い、熱いなぁア! ははは! ははははは!!!」

「違う、違うっ!」

「具体的に言えよ! ケイ! ははははははは!!!」


 路地を抜ける。

 這う男が、先を行く。

 大きく振って間合いを離し、右手と左手を合わせる。

 横回転を縦回転に。

 振り下ろすのは、大炎熱刀だ。


「そんなのは、違うっ!!!」


 地面を焔が舐める――

 熱を持った刀身が手の内を炙る。

 ごあ、と大気すらも焼き尽くす。

 物理的な炎の限界を超えている。

 路地を焼くどころか蒸発させる温度。

 叩きつけられた焔は、砕けて飛び散る。

 私の魔力が拡散する距離でも炎が上がる。

 ――舐めた。

 そこには誰もいなくなっていた。

 跳んだわけじゃない――足元をくぐられたわけでもない。

 そして、無論のこと。直撃したわけでもなかった。

 這う男が銀兄さんの脚を掴んだかと思えば、とぷりと地面に沈んだのだ。


「…………!」


 予感がして、振り返る。

 狭い路地だった。

 私のすぐ後ろに、李さんと、背に乗った黄さん。

 その後ろをジェームズさんが走っていて、その後ろに、楊さんがいた。


「…………ォ…………グ…………」


 楊さんが、全身をぶるぶると震わせた。

 魔力がその全身を侵食する。

 銀兄さんと同じだった。


「ク……!」


 黄さんが、袖を振るい札を出す。

 同時、私は地を蹴って跳びあがる。


「ふふふ。はははは。そら」


 楊さんが、残る3本の腕を振り上げた。

 腕の縫い跡が火を放っている。

 先ほども見た一撃――《噴進百歩拳》。それも、3腕同時だ。

 札を投射しながら、黄さんと李さんが跳びあがる。

 正面に立つジェームズさんが、胸をそらして大きく息を吸い込んだ。

 私は、発射の瞬間を待つ。


「ォ、あァアアア――――!!!」


 黄さんの代弁でない声――それも叫びを聞くのは、初めてだ。

 獣の慟哭じみた声を聞きながら、私は放たれた拳に脚を伸ばす。


「ん……!」


 つま先を触れさせた瞬間、足裏に嫌な音が立った。

 歯を食いしばってこらえながら、足を縮めて、剣という重量物で姿勢を操作して、手の甲に足裏を乗せる。

 同時、眼下にはジェームズさんの焔があった。

 楊さんの胸から下を一瞬で焼き尽くすそれに対し、跳びあがって来た影がある。

 長身――『銀兄さん』だ。

 右の拳を腰だめに構えている。

 光の具足が強く光を放っている。


「はッ! ははは!!! はははははははッ!!!」


 だから、と怒りを持って思う。


「銀兄さんの顔で――それ以上!」


 拳を足場に、私は跳ぶ。


「そんな風に、笑うなぁあああっ!!!」


 剣を振り上げ、まっすぐに。


「は・は・は・はッ!!!」


 笑いとともに、『銀兄さん』が拳を突き出してきた。

 銀兄さんの四肢は長いけれど、当然、剣よりは短い――だけど、予想はついていた。

 元々魔力刃と同じ技法だ。具足は流動し、伸びて、私の剣よりも早く、私に到達する。

 光の剣が、私の胸を――心臓を狙っている。

 魔力を回しても、防御には足りない。

 だから、享受した。


「…………!」


 肉が焼けるにおいがした。

 光の剣は熱を持っている。

 臓腑が焼ける。

 だけど、心臓はまだ動いている。


「あぁあああああああああッ!!!」


 叫びながら剣を振り下ろす。

 ――そういえば、と思う。

 "銀さん"には、しばらく見せていなかったなあ、と。

 視界の端で、髪が燃え上がって灰色になっていた。

 その差はほんの数センチだけど――紅可欣より、マウスの方が背が低い。

 その差が、心臓を刃から遠ざけていた。

 剣が、銀さんの肩にめり込んだ。


「「がッお……!?」」


 剣の平だ。

 振り下ろしによって、右の鎖骨を砕いた。

 声は、眼前と地面とで二重。

 ああ、やっぱり、と思う。

 銀さんは、あの一瞬で突破する方法を理解していた。


「銀、さん、はッ!」


 声を出せば、喉の奥から焦げ臭い何かが昇ってくる。

 心臓は避けたとは言っても、片肺は貫かれているし、血管も切れている。多分熱で焼けて止まっているけれど、重傷であることには変わりない。


「こんなのでっ!!!」


 剣を離す。

 拳を握って放ち、鼻を砕く。

 集中を維持できなくなったのか、光の剣が解けるように消えた。

 首裏を掴んで引っ張って、膝を顎に入れて砕く。

 持ち上がった身の肋骨に貫手を入れれば、同時に私の指まで砕ける。


「怯んだり、しないっ!!!」


 空中で身を振って、胸骨に脚を添えて、背後の方向へ蹴り飛ばす。

 手放した剣を手に取って、追う。

 助走をつけて、路地の向こう、空に跳び出す。

 眼下にあるのは、数百メートルもの高度だ。

 大ハイドラの横腹が、そして先に落ち行く『銀さん』が、下に見えている。

 湾曲した大ハイドラの横腹に着地し、駆け下る。

 ささくれだった化石化した鱗の上を疾走する。

 ――銀さんの周囲を覆う魔力が見えた。

 うっすらと濃く見えている。

 空気の歪みのようにも見えるそれが、這う男の魔力だ。

 擬装をしているわけじゃなくて、元からそういう色――透明な色をしているように見える。

 どんな属性、どんな術を持っているのかは分からないけれど、どうやって銀さんを洗脳したのかを、やっと理解できた。

 銀さんという着ぐるみの中に入ったようなものだ。

 自分の精神的な分身を作って、中に塊で入れたような状態。洗脳と言うよりは、憑依だ。

 だから、本体との繋がりが残っている。声を合わせるように喋っていたのがその証拠だ。

 それは距離を離せば減衰するし、逆に距離が近ければフィードバックまで受け取ってしまう。

 多分、無尽さんや楊さんの場合は、痛覚というものがなかったから平気だったんだろうけれど、銀さんは慣れているだけだ。

 だから、落として距離を離す。

 その上で。


「骨を折って痛めつけて!!! 憑依体を、殺す!!!」


 歪んだ剣を、無理に鞘に納めながら、宣言する。


「く……はは、はははははは!!! ははははははは!!! なんと! なんという!!!」

「このくらい――気の利いた九龍人なら、やるものだっ!!!」


 ――追いついた。

 鞘ごと剣を振り下ろして、防御の腕を折る。鱗に叩きつけて跳ね跳んだ身を蹴り飛ばし、追いかけ、肘を先端に体当たりして鼻を砕き、追いかけ、迎撃の蹴りを回避して膝を砕き、柄で胸骨を砕き、追いかけ、剣を振り下ろして頭頂部を打ち、跳ね飛ばし、追いかけ、砕き、追いかけ、砕き、


「は、ァ、ああああっ――」


 追いかけて、

 追いついて、

 ぐにゃぐにゃになった四肢を掴んで、足に敷いて、


「ぅうううううああああああああああああああああああああああっっっ!!!」


 ――着陸する!


「っ…………!」


 着陸の衝撃は、跳ねるように跳んで吸収する。

 脚がびしりと音を立てた。

 途中で何度も鱗に叩きつけたから、速度はそれほど出ていないけれど。

 それでも、散々だ。

 喉奥から、焦げ臭い血を吐いて、しかし視線はそらさず、土煙を立てる着弾点を見る。


「は、ば、ばは、はがッ、……がッ……」


 喀血の混じった笑い声が聞こえた。

 流石の銀さんでも、すぐには回復できないほどに痛めつけた。

 これでダメなら、拘束して終わった後でなんとかするしかない。


「……そう、が……気゛の利いだ、九龍゛、人なら゛……この゛程度は、や゛る、のか……」


 ――立ったことがないから、知らなかったな、と。

 そう聞こえた瞬間、嫌な魔力が霧散した。


「…………」


 あの這う男はなんなんだろう、と、大ハイドラを見上げる。

 洗脳――憑依。

 地面に潜る。

 この二つを並び持つ属性は、恐らくない。

 他重属性であればそれと分かるけれど、そうではないように感じる。

 それに、憑依洗脳と言っても、無尽さんの場合はまた別だった。

 黄さんの術の効き目が落ちていた。

 憑依洗脳だけで、そんな風になるものか。


「……っで、いでっ、いでぇ……!!!」

「っと、銀さん……!」


 駆けて、着弾点に踏み込む。

 全身を青黒く染めた、銀さんが、そこに寝転がっている。


「ごっ……ごめんなさいっ、銀さん、銀さんっ……!」

「いッ、…………てぇえァぉおお……!!! ちょッ……待て、治してっから、……抱き着くなっ、すま、ごめっ、マジで、クソがッ、ぉおあああああッ……!!!」

「あぁっ、ごっ、ごめん、なさい、銀さんっ……!」


 まだ触れたままの手から、ごき、ばき、と音が伝わってくる。

 ……うん、これがいつもの銀さんだ。この異常なまでの骨折治癒の速さ。

 だからこそ、銀さんは"折れ"と言ったんだろう。


「だ、だい、……丈夫だっての……俺が、やれっつったんだから、よっ……」


 銀さんは、左手で鼻血を拭う。

 そして、ゆっくりと、身を起こした。

 背骨がぴし、と音を立てたのがこちらまで聞こえた。


「それ、より……大丈夫か、胸、は」

「な、なんとか……」


 ひとまず後できちんと修復をするべきだけど――心臓を貫かれていたら本当にまずかったけれど。

 流石にまだ、心臓を貫かれて生きていられるほど、人間を辞めてはいない。

 そうか、と頷いた銀さんが、ぐ、と息を吐いて、身を縮めた。


「が、い、いててて……ここまで、骨だけやられたのは……久々だぞ、……マウス」

「うん、はい、ごめ、ごめんなさいっ……」

「褒めてんだよ、……と」


 銀さんが、こっちに手を伸ばしかけて、血がついていることに気付いてひっこめた。

 その手を軽くつかんで、頭に置く。


「……おい」

「いい、いいのっ、気にしないで」


 額を血の付いた手のひらにこすりつけるようにして、撫でられる。

 傷だらけの、大きな手だ。

 痛くないように動かして、頬ずりしてから、傷だらけの手の甲に口づける。

 ……血の味がする。

 吸い付いて、飲み込んで――同時、粘膜を媒介に、息を吹き込むように、気力を送る。

 表情をわずかに安らがせた銀さんが、あ、と口を開いた。


「……って、ダメだ、マウス! 今すぐ上ッ、……"銀杖"どこだ!? やべぇッ!!!」


 銀さんが、手を引いて立ち上がる。

 引っ張られて、私も立ち上がる。

 えっと、と見渡して、足元のクレーターとは別に、大きなクレーターが見えた。

 その中心に突き立っているのは、"銀杖"だ。

 多分、化石化した鱗を貫いて、ここまで到達したのだろう。

 更にその向こうに、警察の車が走っているのも見えた。


「ど、どうしたの、銀さんっ?」

「話は後だ、今すぐ上行けっ、途中までは"銀杖"伸ばして送る! 俺もすぐに行くッ!!!」


 ……上には、ジェームズさんと、黄さん、それに李さんが残っている。

 あの這う男は強敵だけど、触られなければいい。

 警官隊ももうすぐ現場に付くはずだ――大ハイドラの腕道路を、車が駆けのぼっているのが見える。

 いかに強者であっても――たとえ、黄さんたちが全員洗脳されたとしても。それでも、警官隊が押し包めば、恐らく制圧、逮捕が可能なはずだ。

 だと言うのに。

 銀さんは、焦っている。


「あの、這う男は――何を!?」


 銀さんは、"銀杖"を引き抜いて地面に突き立てた。


「……あいつは! 大ハイドラを、……この"ここのつ"をッ!」


 叫ぶ銀さんの背景で。

 ありえないものが、見えた。

 警察の車が、滑り落ちるように落下する風景だ。


「あ、あ――」


 ……全長、約2キロメートル。

 およそ40年前より九龍の地を腹下に敷く、元・災害。

 体表の半ば以上が石化し、体表にまで毒が出てくることはないけれど、しかし未だ生き続ける圧倒的生命力の持ち主。

 九首九爪九尾の大ハイドラ。

 香港にて最たるもの。

 "ここのつ"。

 その腕が、動いていた。

 その首が、動いていた。

 その身が、動いていた。


「操って――ってもう動いてんじゃねぇか、クソがぁあッ!!!」


 肩口の向こう――高く、高く、首が持ち上がっているのが見えている。






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 Hong-Kong!!!

 這い寄り爬行し匍匐し蠢く!

 今宵墜ちるか明日に滅ぶか天空街都!

 今や十二国志の第十三国! 悪意を詰め込み支配す毒身!

 Hong-Kong!!!






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