エロ率分析 (α)

〜分析結果サンプル〜


 『4』


「おっす……」


 ふらり、と銀兄さんが居間に現れた。

 なんだかひどく疲れた顔をしていた。


「ど、どうしたんですか? 銀兄さん」

「いや……なんだ……杞憂って言葉をな、実感してただけだよ……なんでもねぇ」


 スウェットっぽいズボンと、シンプルな黒いシャツ一枚の姿だ。

 シャツは体にぴっちりと沿うタイプで、筋肉の形を浮き上がらせている。

 左耳に、銀色のピアスが光っていた。

 銀兄さんは、一睡もしてなさそうな顔で、フラフラと冷蔵庫に歩み寄って、牛乳ビンを取り出して一気飲みした。

 のどぼとけが、嚥下に伴って動くのが見える。

 口端から白い牛乳が一筋零れていた。ちょっと無精ひげの浮いた顎に、それが染み込むように伝っていく。


「ッ……はァ~……うし、薪割ってくる」


 銀兄さんは空になった牛乳ビンを流しに置いて、口元を手の甲で拭った。

 ちょっと胡乱な視線が、私の方を向く。


「――は、はい。ごはん、作っておきますね」

「頼む。……あ、たしかレタスがちょい痛みかけだから使っちまってくれ」

「はい」


 頷くと、銀兄さんも頷いて、私の横を通り抜けて、外に出て行った。

 ふわ、と、銀兄さんのにおいがした。汗のにおい――ちょっと銀精様の、樹のような体臭も混じっている。いつも一緒のベッドで眠っているから、においがベッドについてしまっているんだろうけれど。

 昨日は帰ってからすぐ寝てしまったみたいだし、お風呂に入らなかったんだろうか――と思うと同時に、下腹部が疼く


「ん……!」


 思わず声が出る――けれど、銀兄さんは幸い気付かなかったようで、踵を潰した靴で外に歩いていった。

 いけない、と、かぶりを振って、私用のエプロンを着用(銀兄さんのは深い青、私は薄緑色だ)、冷蔵庫を開く。

 忘れないうちに、とりあえずレタス。

 あとはどうしよう、と冷蔵庫を見てみて、あ、と、じゃがいもがいくつかあるのが目についた。ちょっとこれを使おう。

 じゃがいも、玉ねぎ、ベーコン塊、チーズ、トマト、それと卵を何個か取り出して、台所に立つ。

 こちらに居候を始めてから3カ月以上経っている。最初は薪を使わなきゃ、と思っていた釜だけど――


「……《炎上》」


 ――このように、魔術の炎を調整して、使うことを覚えた。

 銀兄さんがちょっと羨ましそうな顔をしてたけど、このあたりは魔術の属性があるので。

 お鍋を二つ用意して水を張り、冷水のうちから卵を茹でる。

 じゃがいもと玉ねぎの皮を剥いてトマトと一緒に一度洗って、玉ねぎの方をみじん切りにしてしまう。

 トマトをスライスしてボウルに入れたあたりで、外から、オルァ! とか、声が聞こえてきた。銀兄さんが、薪を割っているんだろう。

 この家は、電気だけは発電機で賄っているけれど、ガス、水道がない。

 リフォーム計画が何度か持ち上がってはいるんだけど、銀精様が渋るというか、面倒くさがっている。

 まあ、お水はタンクの方に《清浄》に近い術がかかっているから、何日か放っておいても悪くなったりしないし、釜の方も魔術が付与されて煙が室内に入ってきたりもないから、あまり感覚は変わらないんだけど。

 ベーコン塊の2割くらいを短冊に切ったあたりで、お鍋が沸騰し始めた。

 空の片方にじゃがいもを放り込んで、卵の方の火力を下げる。

 ベーコンと玉ねぎを一緒のボウルに入れておいて脇に置き、レタスの葉をむしって洗って、またボウルに入れて脇に置く。

 ベーコン塊をざっくり切っておいて、買っておいたパンを取り出す。

 全粒粉系の、歯ごたえがあるパンだ。

 どのくらい食べるかな、と思ったけど、余ったらお弁当にすればいいし、とちょっと多めに出して、


「《弱火》」


 表面を軽くあぶって焼き色を付けて、包丁を持つ。

 切れ込みを入れて、レタスの葉とスライストマトを挟んでおく。

 そのあたりで、卵を茹でる鍋を下ろして、火を消しておく。

 お湯を捨てて、代わりに水を張る。こうすることで、簡単に剥けるからだ。

 ひやっとする水に手を入れて、卵を割ってみる――うん、きちんと固ゆでになっている。

 頷きつつ全部つるりと剥いてしまって、まな板の上に置いて、ざっくりとカット。

 玉ねぎとベーコンのボウルに放り込んで、今度はフライパンを出す。

 冷蔵庫からバターを出して、ひとかけら放り込んで、再点火。

 フライパンの上を溶けかけたバターが滑る。

 そうして、ベーコンをぺたぺたとフライパンに張るみたいに投入した。

 じゅ、と音がする――


「あ」


 ――換気扇を回してなかった。失敗、と思いながら換気扇を回して、ヘラでベーコンが張り付かないようにしながら焼く。

 じゅうじゅうと油が出る。

 強火で表面を焼くようにする。

 よし、と頷いて、トングでベーコンをパン、レタスの間に投入する。

 チーズを裂いて乗せれば、ベーコンの熱でそれが溶ける。

 更に冷蔵庫からドレッシング(銀兄さんお手製だ)を取り出して上に振りかけて、BLTサンドの完成だ。

 一息して、外の音に耳をそばだてる。

 ……まだもう少し間があるかな、と、鍋を一度濯いで、また水を張って沸かしにかかる。

 続いて、じゃがいもをやっつけてしまう。

 お湯を捨てて、ボウルにあけて、マッシャーでぐしゃぐしゃと潰す。

 ちょっと硬かったけど、マッシャーに気を通して問題なくぐしゃぐしゃに。


「……うん、多分歯ごたえがよくなる。きっと。大丈夫」


 頷きながら、卵、玉ねぎ、ベーコンを投入して、マヨネーズを振りかけて、ヘラで混ぜ合わせる。

 朝だけで食べきれる量じゃないかな、とは思ったけど、すぐに悪くなるものでもない。

 BLTサンドの余りのレタスをお皿にのせて、ポテトサラダを盛って、そのあたりで丁度お鍋が沸騰し始めた。

 手抜きだけど、と思いつつ、戸棚からコンソメスープの素を取り出し投入。

 説明書きを見つつ、ヘラを濯いでからかきまぜる。

 塊が溶けたあたりで、ポテトサラダの余りにラップをかけて冷蔵庫に。

 まな板や包丁、ボウルに、銀兄さんの飲んだ牛乳ビンを洗ってしまう。

 折角だし見た目にこだわろうかな、と思ってバケットを出して、キッチンペーパーを敷いて、その上にBLTサンドを置く。

 ――と、そこで、銀兄さんが戻って来た。

 表情が明るい。

 目が覚めたのもあるだろうけど、たぶんスッキリしたんだろうなあ、というか……


「あ、銀兄さん。もうちょっとだけ待ってください」

「おーう」


 銀兄さんは洗面所の方に歩いていく。

 ちょっと額に汗が浮いていたから、顔でも洗いに行くんだろうか――


「あ、銀兄さん、うしろ、うしろ」

「ん?」

「その、寝癖みたいなのが」

「え。あ、マジだ。悪い、ありがとう」


 ――後頭部を抑えながら、銀兄さんは今度こそ、洗面所の方に歩いていく。

 髭を剃って、顔を洗って、と考えると、時間の余裕はあんまりない。

 コンソメスープを底の深い皿に注いで、バゲットとサラダ、スープ、スプーンとフォークを配膳していく。


「ふ、ぅ……」


 間に合った。

 ラジオを付けたあたりで、銀兄さんが戻ってきた。

 顎もさっぱりして、寝癖……寝てないだろうからどうなんだろうと思うけれど、とにかく、いつも通りのお顔になっていた。

 居間の机は、6人掛けのそれなりに大きな机だ。

 私は、左右の、台所側――そこに、対面するように配膳した。

 私が来るまでは、銀兄さんと銀精様が中央に対面で座っていたそうで、私の席は銀精様のお隣だ。

 銀兄さんが中央に歩きかけて、途中で気付いて軌道を修正して、端に座った。

 内心で叫ぶ――『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!! 銀兄さん今ちょっと『ムムッ』て顔したぁああああああ!!! やっちゃったぁああああ!!!』――おくびにも出さずに、私も銀兄さんの対面に座る。


「あったかいうちに、食べちゃってください。余ったらお弁当にしちゃいますから」

「…………おう、美味そうだ。いただきます」


 銀兄さんは両手を合わせて、それからスプーンでポテトサラダを掬った。

 銀兄さんは、食事時はわりと集中することが多い。

 もぐもぐと口が動く。味わってくれている――


「……んむ」


 ――頷いて、銀兄さんはBLTサンドに手を伸ばした。

 やった、と内心ガッツポーズ。

 腕前とかあんまり出ない料理ではあるんだけど、それでも嬉しいものは嬉しい。

 銀精様もそうだけど、美味しそうにご飯を食べてくれる。

 んむんむと頷きながらよく噛んでいる。あれは自分のドレッシングの味を褒めている顔だと思う。かわいい。

 左頬の傷をぐにぐにと。頬一杯にしてもぐもぐと。あっという間に、BLTサンドが消えてしまった。

 やっちまった、とばかりに、視線がポテトサラダとスープに落ちる。

 その二つは、ほとんど手を付けられていない。

 銀兄さんは再度BLTサンドに手指を伸ばして、ふと、その黒い瞳が、私の方を向いた。

 三白眼気味の……天然で目力が強いと言うか、ちょっとまつ毛の長い目だ。

 食べねえのか、と問われている視線だった。

 ……すみません、見惚れてないで食べます。


「イタダキマス」


 日本語的に発音して、私はスープから口を付ける。

 手抜きだけど、最近のインスタントはすごい。

 私がこれ以上に美味しいスープを作るとしたら、かなり時間をかけてしまうだろう。

 夕食ならともかく、朝だし。と自分を納得させて、BLTサンドに手を伸ばす。

 私は1つで十分だけど、銀兄さんなら朝から2つくらい食べられるだろうか――あ、でも徹夜したみたいだから、もっと食べられるかもしれない。

 どうかな、と思いながら、ん、と口を開こうとして、対面に銀兄さんがいることを思い出した。

 ちらりと見てみると、わりと無表情に、私を観察する視線があって、目が合った。

 ふい、と、その視線が外を向く。

 ……あんまり大口を開けたらはしたないかもしれない。

 なんで私はこんなメニューにしたのか。銀兄さんとは違うというか……銀兄さんは作り始める前に献立のイメージがあるらしいし、手際もいい。雑な時は雑だけど。

 ……うん、失敗はしてない。銀兄さんの視線が気になって味がよく分からないけれど。

 呑みこんでから、口を開く。


「銀兄さんは、今日はどうしますか?」

「ああ、……とりあえずお隣で水汲んできて、体動かすかな」

「お付き合いしても?」

「俺が頼みたいくらいだよ」


 銀兄さんは、口端をつり上げるように笑った。


「分かりました。それじゃあ私は、掃除とかしておきますね」

「頼む」


 お水を汲んでくる間に終わらせてしまおう。

 スープを口に含みながら決める。

 ラジオは、ニュースを流し始めていた。

 "九龍背城"で殺人事件とか、ちょっと朝から聞くニュースじゃない。




/




 午前の陽が、私たちを照らしていた。

 木剣を構え、木杖を構える銀兄さんを見る。

 細剣のような構えを、私は取っている。

 身長差があって、武器の差がある。

 私の方が飛びこむ距離は長いけれど、それに対する対処も銀兄さんはできるから、安易に飛び込むのは難しい。

 つま先立ちになって、剣先でリズムを取る。

 右手は空で、空に向けている。

 普段の剣よりもいくらか太いし重さも違うけれど、そのくらいは大した問題じゃない。

 銀兄さんだって、普段の"銀杖"よりもずっと軽いし、サイズの変更もできないからだ。

 ……強い眼が、私を睨むように見ている。

 真剣だ。

 殺気も敵意もないけれど、圧力はある。

 ――圧が膨れ上がった。


「ふッ!」


 両腕を伸ばすように、まっすぐな突きが顔面に迫ってきた。

 まともに受けたら頭蓋骨が陥没するような突きではあっても、銀兄さんにとってはジャブに近い。

 首をそらして回避した瞬間、と錯覚するような短さで、突きが戻っている。

 ジャブであるからには、当然連続される。

 ン、と息を止めて、上体だけで回避。掴んだりはできないし、膂力の差があるから受けても弾かれる。

 "銀杖"であれば伸縮もあって更に早いはずだし、受けた瞬間、重量差で剣が弾かれるどころか砕かれかねないけれど。

 避けながら、距離を詰めていく。

 銀兄さんの頬が笑みで歪んだ。

 空けた右手に魔力を集中する。

 生み出すのは、幻影の炎だ。


「――《幻炎》!」


 青白い炎を指先に灯して、左前半身で強く踏み込む――木剣で杖を沿うように受けて、剣を滑らせる。

 実際の剣であれば指を切り落とす動きだ。

 勿論銀兄さんは反応する。踏み込みと同時に杖が90度回転し滑る剣を受け止める形になって、一瞬停止――前に突いていたから、後ろに飛ぶに一瞬の間が生まれた。

 半端に飛んでも私なら追いつくとわかっているからこそのタメだ。

 跳ぶために体重が移動する――そこに焔を投げる。私も顔面狙いだ。

 両腕は受けで使っている。半端にでも跳躍するかな、と思った瞬間、銀兄さんが大きく息を吸い込むのが見えた。


「がァッ!!!」


 発声――気の乗ったそれで、幻影とはいえ、炎が消し飛んだ。

 びり、と肌が震える。


「ちょっと銀兄さんっ!? それは駄目ですよっ!?」

「ははは! げほっ。……許せ!」


 距離が近い。

 この距離はむしろ私に不利だ。銀兄さんは殴るのも大好きな人なので。

 理想としては、もう一歩踏み込んで拳すらも振るえない距離に入るか、あるいは、銀兄さんの手が届かず、杖を振るうにはやや短い――私の剣が届くくらいの距離を保つべきなんだけど、銀兄さんこういうことするから!


「うらァッ!」


 蹴りが来る。

 私の方も攻め込む気になっていたので、跳べない。

 もう、と思いながら、昨日見た動き――ほとんど爪先だけで飛んでいた、"剣翼"の動きを真似する。

 爪先だけの踏み込みで、身が宙に浮く。

 追いついてきた足先に乗って、高く跳躍した。

 宙返りしながら、右手に魔力を集中する。


「っと――」

「《幻炎》!」


 天地さかさまの状態で、右手から炎を投射する。

 今度は気合で消されないよう、こちらも気を入れた。


「っと!」


 銀兄さんは杖を回して的確にそれを撃ち落とす。

 右手で連射して釘付けにして、着地した瞬間、突撃する。

 それこそレイピア式――真っ直ぐに突きに行く動きだ。


「やぁっ!」


 銀兄さんの髪を一房突き切って突き抜ける。

 ほとんど密着距離――銀兄さんは回避のために体勢を崩している。

 私の脚は、銀兄さんの脚の間にまで踏み込んでいる。

 うぇっ、と銀兄さんが声を出した。


「《幻炎》!」


 炎をまとわせた拳でお腹を殴りに行く。

 銀兄さんは腕でそれを払う――その手を逆に受けて、握り、引く。

 同時、木剣の柄で頬を打ち、体勢を崩させて、脚を払う。

 そのまま、刃の部分で首を押して倒した。

 背の高い身が倒れて、私は馬乗りになる。

 真剣であれば首が飛んでいる。


「……負けました」


 銀兄さんが両手をあげて、ふ、と息を吐いた。


「変なことするからです。無理したせいで気息が乱れたでしょう」


 体勢を崩したとは言っても、普段の銀兄さんなら顎と肩で剣を挟んで止めるくらいはやる。

 それが出来なかったのは、身がわずかに硬直していたからだ。

 剣を首から離して、立ち上がる。

 バレたか、と、銀兄さんが言って、ネックスプリング。

 頭の後ろの土を払いながら、杖を構え直す。

 ……変なことをする、というなら、戦い方の組み立てからしてそうだ。

 一応、私と銀兄さんはほぼ同格。だって言うのに、銀兄さんは試したいと思ったことを試すための戦いを組み立てた。

 その辺りが、銀兄さんが私と"ほぼ同格"っていう理由だ。

 勝ちに徹されると、素直に勝つことは未だに難しいと思う。

 銀精様に仕込まれたらしい数々の悪辣な技の数々というか、喧嘩殺法というか、そういうのを発揮されると未だに少し戸惑う。


「でもお前も、そんな変なことに動揺せずキッチリ詰めてきたじゃねえか。昨日のおっさんの動きもしてきたし」

「それは……うん。はい」


 こうか、と、銀兄さんが爪先だけで踏み込んで、……斜め後ろに跳んだ。


「あ、こうなるか。一発で真上とか、やるなあ、ケイ」


 あはは、と笑って、――剣を構え直す。

 左前。今度は姿勢を深く下げて、剣の長さを隠すような構えだ。

 鞘はないけれど、日本の、居合の構えに近い。

 右手は下に向けて、魔力を集中しておく。

 銀兄さんも低く構える。杖先を地面につけるくらいに低く、だ。


「、」


 息を吸い、今度は私から――行こうとしたところで、音が鳴った。

 ン、と、銀兄さんの視線がそちらを向く。

 切り株の上に置いた、携帯電話からの音だ。


「悪い。……ジェームズさんだな」


 杖を持ったまま、銀兄さんは携帯電話を取りに行く。


「はい、もしもし。……どもです。なにかありました?」


 私も近づいて、切り株の上のペットボトルから水を一口含む。

 声には集中しない。ひと息吐いて、そして、鎖の上を誰かが歩いているのが見えた。


「……え? ゲキ……あー。いや、確かに昨日会いましたが、なにかありました? ……あった。……死んだ? ちょっと待ってくださいよ、どういうことです? ……なに? もう来てる? は?」


 銀兄さんも鎖の方を見た。

 背の高い影――ジェームズさんが、数人の部下さんたちを連れて、こちらに歩いてきていた。




/




「身内の証言になりますけれど……昨日、銀兄さんは、"ゲキ一家"を殺してはいないと思います」


 応接間でお茶を出して、話をする。

 ジェームズさんは、資料を展開してくれていた。

 ――今朝方、"九龍背城"にて。

 丁度"ゲキ一家"と争った場所で、大量の血痕と肉塊が、見つかった。

 指。骨。眼。腕。顎。爪。脚。臓器。バラバラとランダムに――明らかに複数人の、それが。

 写真には、血液に浸った、奇妙に抉られた人体のパーツがあった。

 時空系魔術師が、空間をえぐって殺害したなら、こうなるだろうか。普通の刃でこれをやるのは難しい。

 えぐれ方が、刃筋の立ったものではないと言うか……おかしい。奇妙な、切断痕だ。糸鋸で切断したってこうはならないと思う。

 そう睨まないでくれ、とジェームズさんは笑って言う。


「まあ、そうだろうね。重要参考人――含む意のないそれとして、話を聞きに来たわけだ。仮に君が殺害したなら、もっと……そう、ミンチになっているだろうからな」

「…………そうっすね」


 銀兄さんは、椅子に座って、身を折り曲げていた。

 膝に肘をついて、両手を顔の前で組んでいた。

 こめかみが脈打っている。


「……ちなみに、俺以後の目撃者いないんですかね」

「ああ、いない」


 ジェームズさんは、見えている資料を避けた。


「周囲の住民も、血痕と身体の部位を残して消えている」


 銀兄さんの腕に筋が浮いた。

 怒っていた――いや、違う。

 今の銀兄さんは、怒っている、なんてものじゃなかった。


「……そうっすか」


 キレていた。

 ジェスター・クラウンを相手取ったときよりも。

 "白雪姫"を送り届けるときよりも。

 アランさんと戦ったときよりも。

 私が見たどの時よりも、明確に、しかし静かに。冷静に。あえて汚く、でも銀兄さんの現状に沿って言うなら、ブチ切れていた。


「検察が、銃を撃った時の反応を見たところ、君がいたのでな。こうして会いに来たのだが……」

「……一家八人。全員ぶちのめしました。父親は上腕と下腕それぞれ1か所と、多分肋骨にヒビくらいは入ってたと思います。母親には内傷を与えました。子どもたちについては、顔面打撲と鼻骨骨折が3人。脳震盪だけで済ませたのが1人。腕骨折が1人、無傷が1人、です」

「ああ。おそらく……この3つの鼻が、その折った鼻だろうな」


 ジェームズさんが、鱗の生えた指で数葉の写真を示す。

 ……歪んだ鼻が固まって落ちている。やはり抉られたような傷跡を、見せてきている。

 資料も見せてもらったけれど、これは生きているうちに切り取られたものみたいだった。

 残った腕や脚に縛られた跡もない――同時に抵抗の跡もない。

 例えば、剣の達人が一瞬で鏖殺した。あるいは《空間切断》を扱える術士が、《時間停止》を使いつつ殺害した。

 そしてその後、いくらかの部位を残して死体を持ち去った。そういうふうに見える写真だ。

 もしも剣士だとしたら、銀精様と同等の使い手であるようにも見える。

 術師だとしたら、"時空"属性――あるいは"時間"と"空間"の二重属性? あるいは、"切断"の概念術師。

 なんにせよ、なんらかのトリックが無いならば、強大な使い手であることは間違いない。


「……サイコメトリーしたんでしょう? 俺以後のやつは見えてないんですか」

「過去視も万能ではないのでね。……銀精娘々ならば、読み取れるかもしれないが……」

「帰ってくるのは、来週になりますね」

「そのように聞いている……な」


 ともあれ、と、ジェームズさんは話を切り直す。


「君が彼らを打ち倒した。その後、おかしな者は見なかったか?」

「……いえ」


 視線が私の方に来たので、首を振る。

 そして、ただ、と口を開いた。


「もしかしたら、見ている人がいるかもしれません」

「……ふむ。君と歩いていたという女性か?」

「は、はい」


 女性かなあ。というと違うんだけれど、少なくとも見た目はそうだったので頷く。

 当事者、目撃者。あるいは目撃したと思しき人々を全員殺害した――とは言っても、彼女の眼ならば。あの時、油断なく、文字通り全周を警戒していた彼女ならば。

 口調はふざけて、性格も陽気。だけどその実、黄さん最大の切り札。

 それが、群体生命、無尽死蔵の辣腕触手――無尽さんだ。


「"九龍背城"に、か、……彼女は、います」

「そうか。悪いが、現場の方を見てもらいたくもある。急に訪ねて悪いのだが……」


 立ち上がるタイミングが、銀兄さんと合った。


「着替えてきます」

「同じくです」


 応接間から出る銀兄さんの背を追い、そして肩を叩く。

 肩越しに、強い視線が来た。背筋にぞくりと走るものがあった。

 冷えていると表現できるような無表情の中、黒い瞳だけが、怒りで燃えていた。

 いつもの悪態すら出てこないほどの怒りを、隠しきれていなかった。

 おなかの奥が収縮する。熱い液体が湧き出るのを感じる。心臓が跳ねる。

 ――いけない、と思いながら、意識と魔力を集中して、魔法を構築する。


「……《洗浄》っ」

「……ああ。悪い。ありがとう」

「いえ。シャワーとか、浴びていく暇もなさそうですから」

「そうだな」


 銀兄さんと部屋の前で別れる。

 部屋に入って、……鍵をかけて。

 服を脱いで、下着も脱ぐ。

 汗を吸っているのもあるけれど、別の液体も漏れている。

 顔が熱くなる。全身が熱くなっているのを自覚する。


「っ……」


 睨まれた。

 無意識と言うか、気が立っていたからだったと思うんだけれど――ひどく、真剣だった。

 強い視線で見られたことはある。さっき手合わせした時だって、銀兄さんは私を見ていた。本気で私を見ていた。

 だけど違う。

 さっきのは違う。

 銀精様を無言で寝室に連行する時に近いと言えば近いけれど、根底にある感情が違った。

 それは、敵意の有無、害意の有無、殺意の有無。

 多分昨日初めてあって、絡まれて、打ちのめした人たちだ。

 なぜあそこまで気にしていたのかが、よくわからないけれど。でも、とても怒っていた。

 もし、あの眼で求められたら、とか、そんな想像――妄想が、胎の底から沸いてきている。


「……銀精様、」


 枕元に置いた瓶を見る。

 おとといの夜に、銀精様から受け取った瓶だ。

 欲しくなったら使え、と言われて渡されたビンだった。

 それに一歩脚を踏み出しかけて、……ぱん、と両手で頬を挟んだ。結構いい音がした。

 全裸のまま、ふうぅ、と息を吐く。


「……急がなきゃ」


 銀兄さんは多分、すぐに準備を終えてしまう。

 下着を出してタイツを出して動きやすい靴を出してショートジーンズを出してシャツを出して、Gジャンを出してベルトを出して剣を出して、の辺りでノックが聞こえてきてしまった。


「おい?」

「もっ、もう少し! もう少し待ってください銀兄さんー!」




/




 そんなこんなで部屋を出ると、銀兄さんは昨日の……えっと……うん……すごいデザインの、ハイドラのジャケット……を着て、壁に寄りかかって待っていた。

 ジーパンとスニーカー。腰ではいつもどおり"銀杖"が光っている。あ、今回シャツもすご……すごいデザインですね。

 半目で見ていると、銀兄さんが私の顔を見て、ちょっと眼を丸くした。


「……気合入れるのはいいけどよ、ちょっと強く叩きすぎじゃねえの? 真っ赤だぞ頬」

「あ、あはは……」


 半笑いで、眼をそらす。

 銀兄さんのせいです――と、内心で責任転嫁して、私達は外に出る。

 どちらにしろ、今日は午後から"九龍背城"に――黄さんのところに、行く予定だった。昨日診てもらった結果が出ているはずだからだ。

 最近は、本当に、特に多い。

 歩いていく後ろにつきながら、落ち着いて、と、お腹を撫でる。

 ……銀兄さんとおそろいというか、一緒にラフっぽい格好にしてしまった。

 背伸びしてる感じがする。銀精様なら似合うんだろうけど、まだ私には早そうな格好をしてしまった(竜圏様と一緒にお買い物に行った時に買った服だ)。

 内心で呻きながら、でも、と大きな背中を追う。


「……犯人、見つけましょうね」

「勿論だ、」


 息を吸い、合わせる。


「「クソが」」


 ……銀兄さんが、む、と唸った。

 眉根を寄せて、私の方を見てくる。

 ちょっと困ったような顔だった。


「……あのなあ、ケイ」

「なんですか?」

「……いや。なんでもねえ」


 はー、と、銀兄さんは頭をかいて、歩みを再開する。

 背中から、圧が消えていた(除く見た目)。

 うん――と、思う。

 あの眼も、ゾクゾクするけれど――


「変な銀兄さんですね?」

「……別に、普段どおりだっての」


 ――私が好きなのは、普段の銀兄さんだ。