エロ率分析 (α)

〜分析結果サンプル〜


 『3』


 "九龍背城"の夜は、案外と賑やかだ。

 建築法完全無視の狭い道中に、食品衛生法完全無視の屋台が立ち並ぶ。

 こうして暇を持て余す分にはちょうどいい喧噪だった。

 揚げ鶏を食いつつ、無軌道に歩く。

 一本逸れると途端に静かにはなるが、明りは絶えない。怪しい店々の電飾が左右から迫って来るかのようだ。

 ガッツリ食べたつもりはなかったが、それなりに腹が膨れている。

 どーすっかな、と歩いて、暗い道にそれて――


「へへっ、そこの兄ちゃん、ここ通りたけりゃガボォ」

「あっ、兄貴ッ!? テメェよくもっぎゃあ」

「兄さんッグヘェ」

「兄者ッげはぁ」

「兄上ッごっふォっ」

「お、おにいちゃーん! ……きゃあっ!」


 ――最後の女の子だけチョップで済ませて、そうだ、とバカどもの格好を見て思いつく。

 新しいジャケットでも買おう。今着てるのは地味なやつだし。

 脳内で地図を広げて、意気揚々と路地を抜けて、血管跡地を通って、逆立った鱗を利用して作られた家屋に入れば、


「イラッシャーイ」


 と、蜘蛛人の店主に迎えられる。

 ここはパチものも扱ってはいるが、同時に店主が趣味で作るジャケットも置いている。

 どてらを見つけたのもここだ。

 彼は俺を見ると、3対の腕で揉み手してくる。


「これはーこれーは。いつもかぁーっくいージャケット着てーる、"銀杖"さんじゃーありませんーの」

「む」


 おかしな調子で、店主は言う。多数の目が俺を見ている感触がある。

 にやにやと笑っているが――


「どぅーしまーした、店主さーん」


 ――もしや、と思いながら問うてみる。

 店主は笑みを深くして、カウンターの裏手から、1着のジャケットを取り出す。


「ご覧くださいこちら大ハイドラ柄ジャケットになっておりまぁーす!!!」

「マジかすげえな!!! ――あっマジですげぇ!!!」


 ――緑の地に黄土色の大ハイドラ。

 ところどころ、鱗が砕けて紫色の地肌が見えている。

 9本の首が、背中側から、袖や胸元、脇腹に回りこむように首を伸ばしている。

 背中側にはきちんと9爪9尾が刺繍されている。

 鱗が零れ落ちていたり、目が金糸で爛々と光っていたりすげぇ仕事だ! ビックリするほど毒々しい! 流石の腕の数!


「しかもリバーシブルだ!!!」

「うっおおおおおッ!?」


 裏面は、なんと両肩に大ハイドラが乗っている!

 背中の中央には浮遊する香港! まさに"九龍背城"クオリティ!

 こちらは眠る姿のようだが、右肩に9首が連なるように回り込んでいる! 左肩には尻尾だ!

 リバーシブル、動と静の完全なる表裏一体!

 思わず感動に打ち震えざるを得ねえ。

 ……ついでに値札もちょっと見えた。震えざるを得ねえ。


「……くっ、流石にちょっと高ェ! 買える! 買ったッ! 着て帰りますッ!」

「マイドオオキニ!」


 店主がいい笑顔で言った。

 札を叩きつけて持ってけドロボー。

 地味目ジャケットを脱いでカウンターに置き、ソワァ、とジャケットを見やる。

 店主は勿体ぶるように値札を切って、俺の方にジャケットを渡してきた。

 いい生地を使っているのが手触りでわかる。糸もそうそう解れないはずだ。

 しかし、リバーシブルか。どうするか。

 表の怒れる大ハイドラもいいが、裏の眠れる大ハイドラもまた捨てがたい。

 ウーム、と唸って、……今日のところは派手な方にしておこう、と、表面で袖を通す。


「いやあ、"銀杖"さんは値切りとかしないから助かりますよ」

「そりゃ、値段は大体適正でしょ。ボッてるだろって感じるなら文句も言いますけど、……これ、一品ものでしょうが」

「おや。わかりますか」

「サイズぴったりだし、前腕まで刺繍行ってねえのは俺がいっつも袖まくってるからですかね。……俺を狙い撃ちにしたもん作ってくれたんだから、お礼するのは当たり前ですよ」


 顔を覚えられる程度には来ている店だ。

 それに、日本の生活習慣がまだ残ってるのかもしれない。日本じゃあ普通値切りはあまりしないもんだ。

 ケイの方が値切り上手いんだよなあ、と思いつつ、姿見で己を確認してみる。

 ううむ、格好いい。やばい。俺の背にハイドラがいる。なにがやばいって語彙力がやばい。KOOOOOOL。


「結構回転高く買ってくださってますからねえ。ケチケチしないお得意様にサービスするなんて、当たり前のことでしょう」

「……ハハハ。まあ、はい」


 そっと目をそらす。

 珠玉のジャケットを高速でダメにしてる罪深い男は俺です。

 この前買ったジャケットとか、結局瘴気で全体がダメになったし。


「……また冬になったらどてらもお願いします」

「ハイハイー。今後ともご贔屓にですね」


 しかしここ。なんであんまり繁盛してないのか不思議で仕方がない。

 ジャケットめっちゃ格好いいのに。




/




「コンゴトモゴヒイキニー!」


 そんな声に見送られて、改めて"九龍背城"を歩く。

 肩で風を切る――ふふふ、と笑って、両手に袋を持つ。

 結構話し込んで、しかも流れで一揃い買ってしまった。商売上手め。

 片方にはさっきまで着ていた地味目ジャケット、もう片方にはシャツやダメージジーンズが入っている。

 いやあ、金使いすぎだなあ。とは思うが、にまにまが止まらない。

 ……とまあ、うっかり荷物もできてしまった。


「そろそろ帰るかー……」


 ケイは大丈夫だろうか。

 ふとした瞬間に目の色が変わると言うか、おかしくなるのだが、そろそろ物理的に襲われそうだ。

 正面からやりあえば負けはしないとは思うし、逃げるだけなら何とかなるとは思うが、寝込みでも襲われたらまずい。

 ……と言って、避けて家に帰らないってのもナシだろうが。そもそもホテル代が手持ちにねえ。商売上手が。買ったことに一片の悔い無し。


「流石にアランの家は今行けねえしなあ……」


 実質新婚だし。

 張さんとこの若い衆の家にでも突撃するか。

 ジェームズさんとこの若い衆は大体寮住まいだからアウトだ。

 家持ちのやつは、と指折り思い返してみる。


「アイツはこの前死んだし、アイツはこの前入院させたし、アイツは旅行中だったはずだし、……んー」


 野宿は嫌だし、"九龍背城"で安い宿を探して、明日の朝にでも即日バイト探してみるか――いや、だがそうすると家のことが。

 2、3日くらいならともかく、何日かに一度は帰って薪を割ったり掃除をしたり、野菜を処理したり鶏の厩舎を掃除したり……渦状馬の厩舎は、自分で掃除してるのかキレイなんだが。

 あ、庭の雪も融けたし草むしりとかもしないとならないか。春物薬草を集めるのもだ。

 せっかくだしシーツとかマットとか干したいところではある。師匠がいると中々できないし――


「……主婦か俺は」


 ため息を吐いて、足を外に向ける――と。路地を曲がって、ゴスロリファッションの女性が出て来た。

 横を通り抜けようとすると、彼女の顔、目隠しをした顔が、こちらを追ってくる。

 どこかで会ったか、と思っていると、その彼女の後ろから、むぎゅ、と声が聞こえた。


「無尽さん、どうし――って、銀兄さん!?」


 ン、と振り返る。

 ゴスロリの女性の後ろにいたのは、パーカー姿の少女だ。

 黒髪黒目だったり、普段とは雰囲気の違う格好ではあるが、


「ケイ? ……なんでここに、って、ああ。実家は一応こっちか」


 実家とは言っても、黄さんの本拠というか――事務所でないアジトは、見たことがないが。

 あの事務所に暮らしているってわけではないと思うのだが。

 ともあれ、追いかけて来たってわけではなさそうだ。

 ケイは感情がすぐ表情に出る。前髪とパーカーで見にくいが、本気で驚いているようだった。


「おほっ、ほらコレ運命とかじゃない? 行きなってGOGO、突っ込め突破、ライジングインフェルノ……!」


 ゴスロリの女性は、テンションの高い小声でケイに何かを言っている。

 黄さんのトコロのキョンシーだろうか。それにしてはやたらと人間臭いが。頭がおかしそうなところとか。

 その彼女に背を押されて、ケイが一歩前に歩み出た。

 普段のケイの格好ではない――どちらかと言えば、この"九龍背城"に見合った、マウスっぽい恰好だった。

 パーカーのフードを降ろして、ケイは頭を下げてくる。


「銀、兄さん。その……さっきは、ごめんなさい」


 横で無言のまま、ゴスロリの女性…………ゴスロリ女が何事かをジェスチャーしていた。

 首を横に振ったりしている辺り、そうじゃない、とか言いたげな感じはするが、それ俺の前ですることじゃねえよな。

 ふ、と息を抜き、言う。


「……なんのことだよ?」


 詰問ではなく、とぼけるように。

 ケイは、ゆっくりと――恐る恐る、頭を上げた。


「それより、今日はどうするんだ? 帰ってくるなら、メシ作っておくが」

「あ、いえ。晩御飯は、もう食べたのですけど――」


 ちらり、と、ケイは隣を見る。

 ゴスロリ女は頷いて、俺の方に笑みを見せてきた。


「これから車で送っていこうか、っていう話だったんだよね。帰る場所は一緒だし、送られていくかな? いやいや二人で夜の街に繰り出すとかもアリじゃないかな? 荷物は責任を持ってお預かりしようじゃないか。連絡をくれればまた後日届けてもいいし、気にせず遊びに行くといいよ。銀精娘々も、しばらくいないんだろう? そう、君の話はよーく聞いているよ、"銀杖"くん。映画が好きなんだって? ここにチケットが実はあったりするんだけど? いやいや"九龍背城"も黙ってはいないさ、レトロレイトショーも開催中だよ!」


 ……そのまま捲くし立てられた。

 胸元に伸びて来た手には、確かにチケットが握られている。

 さらに両手の荷物を引っ張られて――両手?


「っ、」


 思わず声が出た。

 スカートが蠢いて、荷物のひもを引いていた。

 タコの触腕を思い起こさせるような動きだ。

 目はいいと言っても所詮は目だ。視界外のことについては対応ができない。

 敵意があったら危なかったぜ、と言うところ。それはそれとして、


「いや、ちょっと。待てってばアンタ」


 二歩離れて、触腕を振り解き、ケイに視線をやる。

 額をおさえていたケイは、俺の視線に気づいて、ゴスロリ女を羽交い絞めにして、どうどう、と言った。


「こ、この人は、黄さんの、部下の――無尽さんです」

「辣腕触手の無尽さんです」


 口元だけで、ゴスロリ女――無尽はドヤりと笑う。

 黄さんの触手、で思い出すモノがある。


「ああ、あの肉塊の。人化できたのか」

「うん!」

「うそですこの人今も触手です」

「んん?」


 人化しても、元の性質を保ってはいるから、元が猫なら人化しても猫ではあるだろうが。今のケイの言い方だと、また少し違う感じだ。

 衣服を動かしていたから、スキュラ系のようになっているのだろうか。


「ちなみに僕のおススメは荷物を僕に預けてそこの路地裏でガチハもがもが」


 ケイが無尽の口を抑え込んだ。俺でもそうする。

 しかし、さて――どうしたものか、だ。

 荷物を預けるのはとりあえずない。どんな呪いをかけられるか分からん。

 荷物を別の場所に預けて出かけるのもまた失礼だ。

 そもそももう帰るつもりだったのだが――そうなると、ケイの様子が少し気になるが。


「どうします? まだお出かけしているなら、私が荷物を持ち帰りますが……」

「ああ、いや。俺も帰るから、乗せて行ってもらっていいか」

「それ僕に言うべきモゴム」


 無尽がケイの手をタップする。

 鼻と口を握りつぶすように抑え込まれていた。

 手の甲に血管が浮いていた。帰って大丈夫かコレ。


「……ぷはっ。全身のコントロールが崩れるからやめてもらっていいかな、もー」


 俺が悩む間に、無尽は解放された。

 そして、先導するように歩き出す。


「車はこっちさ。――おや?」


 無尽が立ち止まった。

 何人かの足音が聞こえる。

 こっちに向かって集合しているような足音だ。


「おうッ! 見つけたぞテッメ、――おっオオオオっ、女二人だとォッ!?」


 さっきブチのめした馬鹿が、路地から顔を出した。


「クッソしかも美人と美少女……!」

「兄貴! 二人とも目元見えねえけど!」

「兄さん! 俺にもわかる、明らかにあれ美人と美少女だ……!」

「兄者! しかもどっちも乳がでけぇ!」

「兄上! 尻も中々だ!」

「おにいちゃんたちかなり最低だよぉ!」


 多分兄弟なのだろう――似たような顔が1、2、3、4、5、6、と出てきた。

 一番上は俺より年上くらいで、一番下はケイより年下だろう。

 息を吐き、拳を開きつつ歩み寄る。


「オウ、テメェら歩いて帰りたくねぇらしいな」

「さ、さっきは油断してたが今度はそうはいかねぇ!」

「そうだぞ!」

「だったらオラ、出て来い。俺が一人で相手してやんよ」

「格好つけやがって!」

「格好いいじゃねえか!」

「なんなんだお前ら」

「なんなんだと問われれば答えよう!」

「わ、私たちは、泣く子も黙る――」


 妹の声を遮るように、音がした。

 砲弾が降り注ぐような音だ。


「!」


 跳び退り、ケイと無尽の腰を抱えてさらに跳躍――そしてそいつらと空中ですれ違う。


「「――"ゲキ一家"!」」


 着地の音は、砲弾の着弾に近い。

 ベランダの柵に足先をひっかけて止まり、土埃の向こうを見る。


「……おおう」


 そこにいたのは、3メートル近い身長の女性と、2メートル弱の男だった。

 女性はおそらく巨人系。どちらも筋骨隆々で、なぜかフェイスペイントをしていた。

 顔面が、ご夫婦ペアルックだった。


「貴様かぁああああああ!!! 可愛いィイイイイマイベイビーズを泣かせたのはァアアアアアア!」


 女の方が、大音声を張り上げた。

 フェイスペイントも相まって恐ろしい形相になっている。

 全身には怒りが満ち満ちている。

 ――カッ、と笑って、柵から足を離し、着地する。

 抱えた二人を降ろして、歩み出る。


「銀兄さん、」

「黙って見てろ。剣ねえだろケイ」


 ぐ、とケイは呻きを上げた。

 夜闇の中、狭い路地を女が突き進んでくる。

 横目でそれを見ながら、荷物を落とす。ついで、ジャケットを脱いで、ケイに渡した。


「かわりに、預かっててくれ。さっき買ったばっかでな」

「え、あ、はい」


 ケイはジャケットを受け取り、……見事な刺繍に感動したのか、うわぁ……と言った。

 そうだろうそうだろうと頷きながら、ぐるりと腕を回し、拳を固める。


「ふんッ!!!」

「うぉらッ!!!」


 力任せの拳の振り下ろしに対し、フックをぶち込む。

 手首の骨と拳が激突する。俺をミンチにしようと迫っていた拳が反れて、壁を砕いた。

 身長差がありすぎるのも考え物だ――勢い余った拳に流されて、女の体勢は崩れている。俺を殴るには、ちょっと身長が高すぎる。

 フックの戻しの動作をそのまま拳を突き出す動きとする。


「らぁッ!」


 ビヤ樽じみた腹を打ち抜く。

 固太りの肉を衝撃が走る――が、流石は巨人系。手ごたえが硬い。

 方針を転換し、拳を開く。


「ぐォぁッ!」

「うらァッ!」


 裏拳を回避する動きで全体重を拳に送る。

 ジョルトブローじみて、掌を捻りながら打ち付けて、打撃ではなく衝撃を捻じりこむ。

 300キロ近いであろう身が浮き、女はたたらを踏んだ。


「ふッ!」


 その隙間を使ってもう一歩踏み込み、同一個所に更に掌撃。

 女がくの字に折れ曲がる。

 更に踏み込もうとしたところで、頭上で金色が――金歯が光ったのが見えたので顎にアッパー。


「ばぶッ」


 女の舌が噛み千切られて飛び、血がシャツにかかる。

 同時に、歯の間から、血ではない液体が噴き出すのが見えた。

 口の中に目つぶしの炭か毒でも仕込んでたのかね、と思いつつ、のけぞる身に対し、


「おぉッ、」


 同じ場所に、三発目の掌をぶち込む。


「るぁあッ!!!」


 衝撃が分厚い肉と骨をぶち抜いた手ごたえがあった。

 女が膝を折る。

 衝撃で裂けた肉から腕を引き抜いたところで、血が降ってきた。


「ぐ……ぐゥぇえええ~ッ……!」

「っと」


 避けたが肩に少しかかった。

 ジャケットを預けていてよかったってところか。

 クソ重い女を押しのけて転がせば、女は腹を抑えてびくん、びくんと痙攣した。

 内臓破裂まではさせてないつもりだが、頑丈な分経験のないダメージだったんだろうか。

 向き直れば、ゲキ一家、とやらは、口を開いていた。


「か……カーチャンが、一瞬で……」


 そんな一瞬でもねえぞ、と内心ツッコミを入れながら、ホルスターから"銀杖"を引き抜く。

 唯一口を開いていないのが、眼前の男――父親だ。


「……嫁さんなんだろ、アンタの? 止めてやれよ、勝てねえ、って」


 "銀杖"を伸ばし、構える。

 男は動かない――戦意を喪失したわけじゃない。

 湾曲した片刃の剣を両手に提げて、機械じみて冷酷に、俺のことを観察していた。


「……君の動きを見たかった。お噂はかねがね。"銀杖"」

「アンタは?」

「……問われて名乗るもおこがましいが。"ゲキ一家"が家長、人呼んで"剣翼"」

「……お、お噂はかねがね」


 "剣翼"は、僅かに頬を緩めた。聞いたことないのがバレただろうか。


「先達として助言させていただくが……人の話は聞いた方がいい。友人も多く作るべきだ」

「あ、はい」

「でなければ」


 ――男の姿が消える。

 男は両足を前後に揃えて立っていた。

 動きだせる構えではなかった――バレリーナの動き出す前みたいな立ち方だったのだ。


「銀兄さん!」

「――このような初見殺しに合う」

「後ろですッ!」


 声を受けて、一歩だけ前に出る。

 シャツを剣が裂く――下から上に。

 脇腹から肩までほぼ一直線に、二筋の傷がつく。


「ぐ……!」


 呻きを上げながら気を回し、再生を開始する――同時、"銀杖"を後ろに突きこんだ。

 手ごたえなし。振り返ると、"剣翼"は俺に背を向けて、やはりバレリーナのように構えていた。そして消える――いや、今度は見えた。


「……なるほど初見殺しだなオイ……!」


 急激な静から動への移行。

 "剣翼"は、そのままの姿勢で、足首だけで、高く跳躍していた。

 見上げれば、くるり、くるりと、身を小さく回転している。

 ぶちのめす、と意識を固めた瞬間、"剣翼"は、唐突に全身を開いた。

 奇襲を二度繰り返すクソではないらしい。

 上空より、双曲刀が襲い掛かってくる。

 カッ、と吐き捨てるように笑って、剣を受ける。

 反動を受けて、"剣翼"の身が浮く。

 空中にとどまったまま、二度、三度。むしろ泳ぐように、"剣翼"は頭上からの攻撃を繰り返してくる。

 成程――翼のように剣を扱い羽ばたくからこその徒名か。


「ちっ、っく、そ、がっ」


 受けるうちに、姿勢が無理なものとなってくる。

 避けられれば、『羽ばたく』ことができずに落ちるはずだが、受けざるを得ない場所に攻撃が落ちてくる。

 中々やりやがるが――


「ふッ!」


 振り下ろしを受ける。構える右手の指の間で、だ。


「!!!」


 "剣翼"の剣は、跳ねあがらない。羽ばたくために、俺を下に押し付けるように、力を加えてきているためだ。

 それは同時に、俺の体勢を崩すってことにもつながっているのだが、同時に"銀杖"と長く触れ合っていることになる。

 だから、剣を指の股に挟んだ。


「おおっ!」


 地に転ぶように引けば、指に剣が少し食い込んだ。軽く血が流れる。

 だが、羽ばたきは止まった。

 "剣翼"が落ちてくる――先端は無論のこと、もう片方の剣だ。


「ッ、」


 背を地に付けながら、その肘を蹴り上げ骨を砕く。


「がァッ、」


 "剣翼"が苦鳴を上げた。剣が手を離れ、勢いのまま首横に突き立った。

 あぶねえな、と思いながら、背筋で飛ぶように起き上がり、"銀杖"を壁に刺して反動を得て、身をよじる。


「おッらァ!!!」


 脚を振り回すように蹴りを入れて、砕けた腕を更に砕く。

 嫁の隣に旦那を叩きつける。

 "剣翼"は、二度バウンドし、ぐったりと地面に転がった。


「――と」


 着地して、"銀杖"を引き抜いて、ゲキ夫妻を見下ろす。

 どちらも戦闘不能だ。


「な、親父まで……」

「た、助けなきゃだろ」

「そ、そうだ、一斉に行くぞ」

「お、おうッ、怪我してるはずだッ」

「お、おにいちゃんたちっ、あ、謝ろうよぉっ」

「ダメだっ、行くぞっ……!」


 兄弟5人が、腰や懐からナイフを取り出す。

 妹だけは、拳銃を取り出していた。


「おう、テメェら」


 "銀杖"を地面に突き刺し、ズボンのポケットから煙草を取り出す。

 くわえながら、言う。


「光モン出したんなら手加減しねぇぞ」


 兄弟が、一斉にかかってくる。

 全員身を低くしての疾走だ。

 妹が、銃撃してくる。

 それを回避して、タバコの先端に掠らせて火をつけた。

 発砲音が路地に響き、ガシャンと背後で何かが割れた音がした。

 ほぼ同時に、1人目が俺に肉薄してくる。

 ナイフは見せ札。実際には俺の腰にタックルをかけに来ている。

 前に出つつ、上体を折りつつ、膝を出す。

 鼻骨が砕けて弾けるように1人目が飛ぶ。

 跳びかかって来ている2番目のベルトを払うように掴んで、上体を起こすついでに頭から地面に落着させる。

 3番目は両手で二本のナイフを突きこんできていた。

 半身になって両方回避してこめかみを拳で打ち抜き、わきを抜けようとしていた4人目にぶち当てて、2発目の弾丸をかがんで回避。

 顔面を躊躇なく突いてくる5人目は、腕を掴んで握りつぶして終わらせた。

 煙草をひと吸いして立ち上がり、3人目の下敷きになっていた4人目の頭を軽く蹴って失神させて、3発目の弾丸を回避。

 4、5、6と避ければ、それで弾切れだ。


「あ、ああ……お、おにい、ちゃ……」


 "銀杖"を引き抜く。

 薬臭い紫煙を吐いて、背を向ける。


「……待たせた」


 ケイと無尽の方に向き直ると、無尽が、おおー、と拍手し始めた。

 ジャケットはケイが持っていたが、荷物は無尽が持っていた。


「流石、流石。最近引っ越してきた新進気鋭だったんだけどねえ」

「……まあ、ケイの声がなかったらちょいヤバかったが」


 "剣翼"の方を見る。

 関節が二つ増えた腕を抑えてはいたが、意識はあるらしかった。


「悪いな。助太刀貰った」

「避けられた、だろう……?」


 "剣翼"は、脂汗を額に浮かべていた。

 ……まあそうだよな。骨が折れたら普通そういう反応だよな。俺どうなってんだ。


「……なんのこったよ」

「そこの、娘の声で……我が翼を、完全に、避けられたはずだ……」

「……なんのこった。俺は知らねえな」


 タバコをひと吸いして、吐き捨てるように言う。

 ――半端なことをした。

 斬られるなら斬られるで、半端に傷を浅くしようとはせず、斬られてやるべきだった。

 避けるなら避けるで、完全に回避してやるべきだった。

 迷った末が、一歩だけ前に出て、皮一枚を裂かせるって結果だ。

 クソが。と結論して、背中を確認する。

 シャツの背中が涼しいことになっている。

 血は止まったが、ちょっとジャケットは着れない。


「楊さん待たせてるだろ、行こうぜ」

「そうしよう、そうするとも。さあ、可欣」

「あ、はい」


 無尽がケイの手を引いて、歩き出す。

 横を通り抜けて、ゲキ一家妹の横を抜けて行くのを確認してから、俺も歩き出す。


「……おい。テメェだけ残したのは、女だからじゃねえぞ。人呼んで病院にでも連れてけってこった」


 妹が、びくりと肩を震わせる。


「全員死ぬことはねぇと思うが、親父とか骨折ったしな。――それとだが、お前の銃は狙いが正確すぎる。殺気の位置にぴったり飛んでくるってのはすげぇが、抑えた方が強くなれると思うぞ」


 普通、意思と体の動きは異なる。

 筋肉の動きはブレる。

 銃であっても当然、撃つ瞬間にブレる――が、この妹は、そこまで含めて銃撃してきていた。

 ケイに当たるコースであれば撃ち落としていたが、その必要もないくらい、俺の頭を狙っていた。


「養生させろよ」


 言い捨てて、"銀杖"をホルスターにしまう。

 二人はもう、路地を曲がって見えなくなるところだった。

 ……そして深く、深くため息を吐く。

 正直、このまま逃げようかと思った。

 ケイの俺を見つめる視線と来たら。

 決して鮮やかに片づけたわけじゃないというのに、あの目だ。

 今晩は眠れまい。夜這いに来たって驚かない。


「帰ってるうちに落ち着けばいいんだが……」


 流石に、『たまにお前俺のこと食おうとしてねぇ?』とかは聞けん。明らか、かつあからさまに藪蛇。むしろ危険だ。

 もう一度、深くため息を吐く。

 二人を追って、歩き始める。











/











 ――それを見る男がいた。

 男は、異様な風体をしていた。

 襤褸を身にまとっていた。

 頭髪は伸び放題だった。

 爪は摩耗し短くなっていた。

 肌には垢が堆積していた。

 なにより異様なのは、男がぺっとりと、地面に張り付いていることだった。


「と、とうちゃん、大丈夫っ?」

「あ、ああ……それより、母さんを起こしてやってくれ。みんなを運んでもらおう」

「う、うんっ……!」


 男は、皮膚が硬化した指先で、ざりりと地面をひっかく。

 掌を持ち上げないまま、肘を地面に付けたまま、這うように、蛇行するように、海底を泳ぐように、一家へと近づいていく。

 そして、3メートルを超える巨体に、手を触れた。


「え、だっ、誰……!?」


 男に気づいた少女が、悲鳴に近い声を上げる。

 同時に、バネ仕掛けじみて、女が立ち上がった。


「か、かーちゃ……」


 ――ばぢゅっ、と、湿った音がした。




/




「「「「「「「「滅ぼさねばならない。滅ぼさねばならない。滅ぼさねばならない。滅ぼさねばならない。滅ぼさねばならない。滅ぼさねばならない。滅ぼさねばならない。滅ぼさねばならない。」」」」」」」」


 八つの口から声が聞こえる。


「「「「「「「「滅ぼすべきである。滅ぼすべきである。滅ぼすべきである。滅ぼすべきである。滅ぼすべきである。滅ぼすべきである。滅ぼすべきである。滅ぼすべきである。」」」」」」」」


 八つの頭がそれを口にしていた。


「「「「「「「「香港落ちるべし。香港死すべし。香港堕すべし。香港敗れるべし。香港砕けるべし。香港朽ちるべし。香港消えるべし。香港滅ぶべし。」」」」」」」」


 ――胴体は、一つだった。