エロ率分析 (α)

〜分析結果サンプル〜


 ……彼は■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ――『最終ハイブリッド計画/No.01』報告書執筆者の殴り書き




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 ふわふわとした感触を、彼女は得ていた。


……浮いているみたいかなー。


 そう言えば、と彼女は思い出す。


……あのおじいさんのところから追い出されちゃったときも、こうだったかなー。


 その後、やたらと目つきの鋭いニンゲンに拾われて、養ってもらうことに、なんとなくなっていたわけだが。


……こわかったなー。


 でも、なんていうか、


……怖がってただけだよね。


 自分は猫で、それもまだ子供と言える身体だった。おなかも空いていたし、あのご飯は嬉しかった。


……うん。だから、大きくなりたいって。


 意識が沈んでいく。自分で分かっている。


……これ、軽い走馬燈ってやつかなー。


 脚先から身体が砕けていく。


……ひどいことになってないといいなー。


 びりびりと震えて、そのたびに結合が解けていく。


……なっちゃってるかなー。


 今更のように、意識が千々に砕けていくのが分かる。


……たすけて。


 その名を想い、呼ぶ。それから、助けに来てくれるかな、と、不安を得る。


……子供みたいだなー……


 砕けながら、意識の海に沈んでいく。


……たすけて。くるしい。おねがい。たすけて。


 欠片を零しながら、無明の闇へと堕ちていく。


……アランさま……




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 うららかな、春の陽気だった。

 4月に入り、花は咲き、風は穏やか。

 車いすを押しながら、ゆっくりと、並木道を歩く。


「…………」


 車いすの上――猫の特徴を残す少女は、動かない。

 意識を失ったまま、俺に押されるがまま、だ。


「…………キャリコ。いい天気だ」


 声をかけるも、返事はない。

 彼女はまぶたを閉じたままだ。


「…………寝坊助め」


 車椅子を揺らさないように歩く。

 そうして、病院の周囲を一周した。

 丁度、背の高い男と、背の低い少女が、連れ立って歩いてくるところだった。

 男は右手に包み(希少薬品だろうか)を持ち、赤毛の少女と何事かを話していたが、ふと、俺達の方に顔を向けてくる。

 二人は、歩み寄ってくる。

 男の方は、珍しく、落ち着いた色合いのジャケットを着ていた。


「アランじゃねえか、よっす」

「こ、こんにちは……」

「こんにちは。どうした、"銀杖"、と……」

「紅可欣。……ケイと呼んでいただければ」

「……ああ」


 義父の、兄の、娘――関係性だけで言えば従妹になるか。

 赤子の時に見たことがあるが、……今そうと知って見てみれば、確かに初代総督の娘と見える。

 複雑そうな顔で、紅可欣は俺の方を見ていた。


「……義父は今、永久凍土に封印されていた露西亜帝室の遺産を発掘する作業の護衛として働いているようだ」

「っ、」

「永久凍土地下でおかしなところとつながってしまったらしく、難航しているらしい。義父は氷系の術士ということもあり、重宝されているそうだ」

「いや素直に謝れよ殺そうとしてゴメンねってよ分かりにくいわお前」

「素直に謝っていい状況だっただろうか」


 そもそも、殺そうとしたという事実は、謝罪一つで許されていいものだっただろうか。

 距離を置く方が、俺の性格からすると無難だと思うのだが。

 首をかしげると、"銀杖"は、ため息を吐いた。


「お前なー……まあ、いいや」


 ため息を吐きながら、"銀杖"は視線を落とす。


「……退院だって? その猫子」

「ああ。貴様の師には、返しきれない恩が出来た」


 車椅子の上には、キャリコが力なく座っている。

 それこそ冬場の猫。ストーブの前でだらけるように、彼女は笑みを浮かべながら、車椅子に腰掛けている。

 ……くーすやー。ぴーひゅるー、と、寝息を立てていた。




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 ……あの後。

 眼を何故か真っ赤に腫らした"銀精娘々"によって、キャリコは治療された。

 ただし、彼女の業を持ってしても、完全な治療は不可能だった。

 彼女は、脚の欠けた、ヒビの入った――つなぎ直された人体模式図を、示した。


『……完璧とは、行かなんだわ』


 キャリコは足をピトフーイの瘴毒によって蝕まれていた。

 おそらく真っ先に解体されたのが足の部分に重なっていた魂で、真っ先に解体された――砕けたのだろう、と診断が降りた。


『魂というものは、肉体という器に合わせて形を変える。肉が傷つけば魂も傷つく。特に、足の傷は瘴気じゃろう? 弱所から崩壊するのは当然の話じゃな』


 重篤な障害が残った、と。そう言っていいだろう。


『人格も完璧に再現できたとは言わぬ。ばらばらになった欠片を、なんとか整合性のある形に組み直したに過ぎん。おそらく、解体される前後の記憶は欠落していよう。恐怖感が残っておるかも分からぬ』


 じゃから、と、彼女は語った。背後――キャリコが眠る部屋に視線をやりながら。


『……後は、長い時間をかけてやる他ない。肉が治れば魂もそれに合わせて治ってゆく』


 それでも。

 彼女は、目覚めるのだ。

 俺は深く、深く頭を下げた。




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 目覚めた後も、2週間ほどの入院は必要だったが、肉体的には、ほぼ完調した――車椅子でも住める家を探すには多少手間があったが、その程度だ。

 屋敷の方も、焼けた離れについては撤去が完了し、庭の一部になっている。多少値段は下がったが、特段の問題はない。

 そのように騒動は一段落したが、それでも日々は続いていく。

 5月に入って、八卦衆は正式に解散が決まり、希望者は新設される総督直下の警察組織に編入されることとなった。

 "乾坤然"は1年の期限付きでその長となることが決まり、彼からは、少なくとも任期の間ならいつでも歓迎できると言っていた。同時に、引退しそこなったともぼやいていたが。

 組織設立当初から力を貸せないのは心苦しいが、それでもしばらくは、キャリコの面倒を見てやるべきだろう――そのように言うと、"乾坤然"は笑って、何かあれば言え、と言ってくれた。ありがたいことだった。

 キャリコにとっては、初めての人間生活――どころか、特殊な部類に入るであろう、車椅子生活だ。俺の方からしても思わぬ苦労が見える以上、キャリコ当人の感じる不便はいかばかりか。

 流石に一生働かずに済むような蓄えはないし(義父の不正蓄財は秘密裏に処分した)、いつかは保護観察期間も終わる。俺がいなければ生きていけないという状況は不健全極まりない。

 いつかは車椅子であっても一人で生きて行けるようになってもらわねばならないし、脚が動くようになった後のためにも、人間生活と言うものを教育しなければならない。

 今は、手始めに皿洗いを任せている。

 訓練として申し付けたが、うにゃうにゃと、どこか楽しそうに、キャリコは両手を泡塗れにしていた。

 ……洗剤を使いすぎではないだろうか。

 ……鼻の頭に洗剤が乗っている。

 ……皿が音を立てているのだがもう少し丁寧に洗った方がいいのではないだろうか。

 ……一人で大丈夫と言っていたが最初くらい一緒に洗うべきだっただろうか。


「……ぬ」


 見ていると手出しをしたくなってくる。

 いかんな、と思いながら、手元の本――魂魄学の本に視線を落とす。

 直後、後ろから、水が勢いよく出る音と、うにゃーっ、という叫びが聞こえた。首筋に水が飛んでくる。

 ……これは声をかけていい案件だろうか。


「キャリコ?」


 振り返ると、水に濡れたキャリコがいた。

 蛇口に手でも当ててしまったか。


「あうー……」


 猫のように頭を振って水を飛ばし、肩口の服で顔を拭いて、そこでキャリコはこちらに気づいたようだ。


「だ、大丈夫ですにゃー」


 誤魔化すように彼女は笑い、そして洗い物に戻った。

 息を吐き、立ち上がる。


「うにゃっ、アランさま?」

「風呂に入れ」


 命じつつ、袖をまくり、立ち上がる。

 そもそも、大半が俺の食事跡だ――"傑道"達との戦いで、蓄えていた栄養の大半を使ってしまった――山盛りの泡と皿に手を入れ、キャリコの手を引っ張り出す。


「うにっ……」


 声を漏らすキャリコの手を洗ってやり、タオルを手に取って水気を取る。


「身体を冷やすな。……それとだが」


 近寄れば、分かる。

 キャリコはあまり上手く体を洗えていないようだ。汗のにおいがやや濃い。

 考えてみれば、人体を得て、その日の晩から2週間ほど入院していたわけだ。病院では看護師の補助があっただろうが、人間としての挙動が曖昧なのは仕方のないところか。

 皿洗いも、俺がしているのをじっと見ていたことから任せようと考えたことだ。


「身体をよく洗うように」


 言うと、キャリコが表情を歪めた。

 そもそも、両足が動かないのだ。風呂に入るには、苦労がやはりあるか。


「……きちんと洗ってる……つもりにゃんですけど……」


 キャリコは肩口に鼻筋を埋める。

 自分のにおい故に、分からないのかもしれない。身体を洗う習慣など猫にはないだろうし、気にしていないのかもしれない。

 ともあれ、ここで問答するつもりもない。俺も手を拭き、車いすの向きを変え、押す。

 不満げに唸るキャリコを押して、脱衣所に入る。車椅子対応と言うだけあって、広い空間だ。


「あ、……アランさま。着替えが、にゃいんですけれどー……」

「入っている間に持ってくる」

「うにっ」

「安心しろ。俺に性欲はない」

「えっ」

「繁殖ができないわけではないが、繁殖欲――性欲は完全に制御下に置いている」


 むしろ何かの番いになるだけならばどんな生物とでも番いになれるが、そうしたい、という欲求はない。

 食事のように、栄養だけでなく味も求めるようになるよう訓練すれば、反応できるようにはなるかもしれないが、今のところ必要性は感じていない。

 そもそもそのような訓練など、流石に相手に失礼であろう。


「よくよく洗え」


 車椅子から手を離し、キャリコにあてがった部屋に向かう。


「あっ、アランさまーっ!? あぁああ、うにゃあああああああ!? 待ってぇ――!?」


 後ろから車輪を回す音が聞こえるが、扉を閉じて遮蔽する。

 そも、下着のサイズを見て雑に買ってきたのは俺だし、クローゼットに収めたのも俺だ。何を今更恥ずかしがると言うのか。




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 ……改めて魂魄学の本を読んでいると、パジャマ姿のキャリコが車椅子に乗って現れた。

 頬を赤らめて、その上で膨らませていた。


「きちんと洗ってきたか」

「きちんと洗いましたともっ!」


 かすかに金属の軋む音を立てて、キャリコがソファーに座る俺の背中側に回る。

 何をする気なのか、と、髪の毛を触角代わりにして感知する。

 ゆっくりと、手を俺の方に伸ばしている。

 耳でも引っ張る気だろうか。耳の周囲の筋肉を発達させながら、キャリコの手の到達を待つ。


「……うにゃっ!」


 耳を動かして手を回避する。

 中々素早い動きの手が、勢い余って俺の顔横まで到達していた。


「うにっ、にゃっ、てやっ」


 頭を傾けて回避する。

 焦れたのか、身体ごと抱き付いて来ようとするのを、立ち上がって回避。

 ソファーの背に腹で乗ったキャリコの胴を抱えて、持ち上げる。


「湯冷めするぞ。寝ろ」

「ひぁっ、やんっ」

「……暴れるな」

「暴れるにゃと申されましてもー!?」


 風呂上がりのせいか、体温が高い。

 上半身は暴れていても、下半身は殆ど動かない――尻尾と尻が動いてはいるが、両足はその動きに連動して揺れるだけだ。

 キャリコの部屋に踏み入って、整えさせた(今のところ毎朝監督している)ベッドに横たえてやる。


「……入院生活で、体力も落ちているだろう。ゆっくりでいい」


 毛布をかぶせてやり、額に手を置く。

 白黒茶のまだらの髪は、すこしだけ湿気っている。

 …………髪を濡らしたままだと良くないのだったか。今度、女性に、手入れの仕方を教えてもらうよう依頼するべきだろうか。


「う、にゃ……あ、アランさま……その……」


 キャリコが、額の手を両手で取った。顔が赤いのは、見て分かる。

 意識して、ゆっくりと問う。


「……どうした?」


 キャリコは、半笑いになったり、唇を引き結んだり、頭を軽く振ったり、手の甲に頬を摺り寄せたりと忙しくしている。

 手は引かぬままに、腰を床に降ろして、視線の高さを落とす。

 そうして待っていると、覚悟を決めたのか、キャリコは訥々と言葉を口にした。


「……そにょ……ぇえと……て、手を、にぎっていて、ほしくて、ですにゃー……」


 言葉を受け、俺は頷く。

 そして立ち上がり、手を引いた。

 あぅ、と、キャリコが声を出した。


「今、車椅子を持ってくる。その後だ」




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 ――さて、と思う。

 どうしてこうなったのだったか、と。

 俺の腕の中には、体温がある。37度は、超えているか。

 荒く息を吐き、俺の胸元に額をこすりつけるように動いている。

 胸元で空気の流れがある。

 においを嗅がれている感触がある。

 そうだ。車椅子を持ってきて、ベッド脇に置いて――それから、そうだ。俺の方はきちんと洗っているのか、と言われて、無論洗っていると返して――気づけばベッドに引き込まれていた。

 背中を軽く撫でてやりながら、思う。まあ、眠るまではこうしていてもいいか、と。


「アランさま……」

「……なんだ?」

「ひ、ひと段落? しましたにゃあ……」

「そうだな」


 様々なことに、一応でも、決着はついた。

 キャリコを狙う者は現れないだろう。

 義父についても亡くなったという処理が終わり、香港が新体制で動き始めている。

 新たな家へと引っ越しも終わった。

 しばらくは、キャリコの世話に専念できるか。


「ありがとう、ございます、……ですにゃあ。アランさま」

「……ああ。気にしなくていい。保護観察者の責任だ」


 ん、と、キャリコが身をよじる。

 片目を開くと、キャリコがこちらを見ているのが見えた。


「それじゃあ、ちょっと……納得ができにゃいのです」


 ぱっちりと開いた、大きな目だ。

 言葉は迷っているが、感情は定まっていると見える。

 金に近い色合いの目が、夜の微かな灯りに光っている。

 見つめ返しながら、ふと、昔のことを思い出す。


「……俺も同じことを昔言った。俺は、義父の敵だった。倒され、屈服し、保護されたが、ただ保護されることに意義を唱えた」


 義父に拾われてしばらく経った頃か。

 改めて感謝の意を伝え、できることがあれば何でもさせてほしいと頼み込み、その後色々とあって、ちょうど欠員の出た八卦衆に加入したのだが。


「……お父さまは、にゃんと?」

「子を持つのは初めての体験だから、もう少し堪能させろ、と言われた」


 今にして思えば、今以上に頭の固い子供だっただろう。

 完璧な人間を目指して鋳造された割に――あるいはそれ故に、一般的な人間とはかけ離れた人格を持っていた。


「俺も同じことを言おう。俺は貴様の親ではない――保護観察者であるが、初めての体験であることは、変わりない」


 髪の毛に指を通す。

 細い髪の毛だ。場所によって黒髪であったり、白、あるいは茶色と、三毛猫の特徴を残している。


「もう少し、それを体験したい。護衛は仕事にしていたが、庇護というものは、今まで体験したことがない。新鮮だ」


 ん、と、キャリコが顔を下げ、改めて俺の胸に鼻面を押し付けてくる。


「……さあ、明日も色々とやることがある。朝まで隣にいてやるから、安心して寝るといい」


 軽く抱きとめて、俺の方も目を閉じる。

 まだ時間は20時を少し回ったところで、寝るには早い時間ではある。

 呼吸を落ちつけて、キャリコの呼吸とリズムを合わせる。

 ……キャリコの呼吸が、やや浅く、早い。体温も下がっていない。布団の中に入っていて、俺の方も体温をコントロールしているわけでもない。温まるのは理解できるが、それでも少し問題があるように思う。

 何か身をかすかによじってもいる。尻尾が立って毛布からはみ出ているようだったので、軽くつかんで毛布の中に収めてやろうとして、


「ふにゃっ、ぁあっ……❤」


 尻が跳ねた。

 熱に浮かされたように、キャリコの身から力が抜けていく。そうでありながら、もどかしげに、俺の身に全身を押し付けてくるような――


「……む」


 そこで、思い至る症状があった。

 枕元に出しておいたスマートフォンを手に取り、つい先日交換した電話番号を呼び出す。


『……もしもし?』


 すぐに、男の声が届く。

 キャリコが俺の方を見る気配があるが、ここはあえて無視する。


「"銀杖"か。俺だ。アランだ」

『おう。……よし、いいぞ。どした』

「ああ、貴様の師にも少し確認したいのだが――猫系獣人が、体温が高く、尻尾が持ち上がって、にゃあにゃあと鳴き、フェロモンを出す症状があるかを問うてほしい。頼む、"銀杖"」

『…………お前そろそろ俺のこと名前で呼べよ』


 と、言いつつ、師匠ー、と問うてくれるあたり、付き合いのいい男だった。

 服がめくられて、キャリコの頭が入り込んてきていた。

 脇腹を、ざりざりと舐められている。

 ややあって、声が電話口に戻ってきた。


『……待たせた。で、猫子って何歳ぐらいだって話だったか。猫として』

「……1歳弱だと思われるが」

『それ、あー、うん、アレだろ』


 電話先で、"銀杖"は躊躇したように一度言葉を溜めて、そして言った。


発情期ではなかろうか、だってよ』

発情期」

発情期。堪えが効かんようになっておるかもしれぬ、とは言ってる。そもそも治療中にその気配あったらしいし』


 やはりか、と……頭を抱える。


「……感謝する。"銀杖"」

『おう。……まあ、なんだ。今なら市販で抑える薬も売ってるからよ……』

「今抱きつかれている」

『あっ。……まあ頑張れよ!』


 電話が切られた。かけ直したが電源が切られていた。次に会ったら海の方へ"神雷鳥"を放ってやろうと決めた。それも全力でだ。

 息を吐きながら、キャリコの頭を撫でる。


「キャリコ……落ち着け」

「んゃ……❤」


 彼女は俺に抱きついたまま、首を振った。

 白黒茶の、まだらの三色髪が肌をくすぐる。


「キャリコ」


 子供のように、彼女は拒絶する。

 否、事実子供であるのか。猫としては大人であっても――性成熟をしていても、彼女はまだ一年ほどしか生きていないはずなのだ。

 だからこそ思う。

 彼女には選択肢が与えられていない。

 生きる先達として、子供には選択肢が与えられるべきだと考える。こんな価値観は100年も前にはなかった考えだが。

 発情期が来た。これはいい。生態だ。だが、彼女は妊娠を望んでいるか。その相手が俺でいいものか。

 彼女にとっての選択肢は、ほとんど俺しかいなかろう。

 彼女の世界は狭い。この状態で選ぶことが、彼女のためになるとは思えない。


「……キャリコ」


 彼女の息は荒い。言葉ではもはや止まらないだろう。


「こどもじゃ、にゃいのです。きゃり子は」

「子供だ」

「こどもを、もう、産めます」

「それが子供だと言っている」


 キャリコが独り立ちをしたくないと言うならば、妹にでもして養ってもいい。

 一生暮らし続けるほどの蓄えはないが、しかしキャリコの一人程度養って行ける稼ぎは得られるはずだ。

 だが、番いに選ばれるべきかと言えば、否だ。


「貴様は、番いとなるべき相手を知らない。男と言うものを知らない。もっと生きて、様々なものを知った末に俺を選ぶと言うなら、応えよう。だが……」


 今は、と、言外に含ませる。

 見上げてくるキャリコは、大きな瞳に涙を湛えていた。


「あ、アランさまは……たすけて、くれました。きゃり子にゃんて、無視したっていいはずにゃのに」

「攻撃を受け、家を焼かれた。その復讐だ。貴様を助けたのは、無論目的の一つではあったが、それがすべてではない」

「でも、たすけてくれましたっ……!」

「ああ。確かに助けた。だが遅れた。貴様の脚が動かないのは、俺が遅れたせいだ。貴様を第一としなかったためだ」


 実際、"傑道"とじゃれ合わなければ、あるいはあの竜人警官――ジェームズの情報を受け取っていれば、キャリコは魂を解体される前に助けられたのではないか、と思っている。


「遅れてにゃんか、にゃいですっ……! アランさまは、きゃり子を、助けてくれたんですっ、きゃり子は、本当に、ほんとうに、もうダメだって思って、でも、目が覚めてっ!」


 キャリコの手指が、俺の服を掴む。

 身を押し付けてきて、顔を近づけてくる。

 涙がこぼれていた。


「アランさまは、きゃり子を助けてくれた、ヒーローにゃんですっ……」

「……だからと言って……」


 拒否する言葉に詰まる。

 俺とて既に木石と言うわけではない――人間よりはそちらに近いかもしれないが、感情らしいものはある。好かれれば、嬉しさを感じる。だが、やはり罪悪感に近いものを感じる。


「きゃり子には、アランさまに、にゃにを返したらいいか分かりませんけどっ、今は歩けにゃいし、お世話されるばかりですけどっ、ほんとに、全部あげたっていいくらいで、全部あげるしかにゃくってっ、」


 いつの間にかキャリコは、大粒の涙をこぼしている。


「ぇ、ええっと、ちがう、ちがうんです、ぜんぶ、ぜんぶあげたいんですっ……アランさまが、きゃり子の全部にゃんですっ!」


 目線が強い。挑むような視線が、俺を見ている。

 首を振り、もう一度だけ突き放す。


「……不健全だ。俺は俺。貴様は貴様だ。貴様の全部などと言われても、俺には受け止めきれない」


 キャリコは最早何も言わず涙を流すだけだ。

 だが、分かる。

 そんなことはないと。俺自身よりも、俺のことを買っている。


「……泣くな。……困る」


 抱き寄せると、胸元が熱い液体で湿った。

 くぐもった声が、胸元から聞こえてくる。


「ぜったい、ぜったい、アランさま以上のひとにゃんて、いにゃいですっ……ほんとうに、ありがとうって、思ってるんですっ……」


 ……そうか、と。言って、諦める。根負けだ。

 これ以上、言葉は無粋か。

 だが確認はしておかねばならない。

 キャリコを抱き寄せ、そして身を回す。

 上に覆いかぶさりながら、目を見て問う。


「……産むことになる、覚悟はあるか」


 キャリコの頬が、更に赤くなるのが見えた。

 彼女は、一度唾を呑みこみ、そして目に力を入れて、言いきった。


「や、ややっ、……やっちゃります!」


 ややどもってはいたが。


「そうか」


 それでも覚悟はあるのだろう。

 ならば、最早問うまい。

 唇を落とす。紅い唇は柔らかい。

 キャリコの身には力が入っている。胸の前で手を合わせて、身を固めている。

 口付け――文字通り唇を合わせただけのそれを終えて、宣言する。


「……俺も、発情期に入ることにする」


 ふぇっ、と、キャリコが気の抜けた声を出す。

 感じたことのない感情が、腹の底から昇ってくる。

 そうか、と納得する。

 これが、ムラムラする、というやつか。