エロ率分析 (α)

〜分析結果サンプル〜


 何より、力が不足している。完全な人類として不適である。故に失敗作だ。

 ――『最終ハイブリッド計画/No.01』報告書より抜粋




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 目覚めると、白い天井があった。それを見上げながら、自身の身を認識する。

 余剰な質量を増していない。

 余計な羽毛も生えていない。

 余分な手足もついていない。

 手指が触手になっていない。

 全身が、人体を続けていた。


「起きたかね」


 声を聞いて、起き上がる。

 既に身はほぼ完調していた。カロリーがやや足りないという程度だ。

 ゆっくりと身を起こす。

 窓の外は暗い。夜闇の暗さだ。


「……ここは」

「警察病院だ。アラン・モングレル」


 竜人――以前戦った、警官がそこにいた。牢屋じみた病室の中、爛々と、目だけが光っていた。

 ベッドの横に座って、器用に缶コーヒーを飲んでいる。長い首が、不機嫌そうに喉を鳴らした。


「なにがあった」

「何が、とは――」


 思い出そうとして、後頭部が痛んだ。

 それによって、パノラマじみて、すべてを思い出す。


「…………保護しようとした娘が。浚われた」

「成程。成程」


 警官は、俺の顔を見て、頷いた。

 そして、封筒を俺の方に放り、立ち上がる。


「ダニエル爺さんからの頼みだ。でなければこんなことはしない。以前君に病院送りにされたしな」

「……その節は、ご迷惑をおかけした」


 竜人が、俺を見下ろして、鱗の揃う顔面を歪めた。

 ふん、と、焔の混じる吐息を吐いて去ろうとするが、こちらの要件は終わっていない。


「待ってくれ」


 声をかけながら、封筒を返す。


「これは、不要だ。俺はこれを見る権利がない」


 内部資料の類なのだろう。俺は警官ではない。現在のところ、八卦衆などという肩書こそあれど、その実態はない。

 たとえ、"乾坤然"の力添えがあってのものだったとしても、駄目だ。人権登録とはわけが違う。否、人権登録についても、多少の無理押しがあった。

 制度とは理由があってそのように定められたものだ。それを飛び越えるのは、当然良いことではない。


「いいのか。僕もその方が面倒はないが、君は浚われた娘を助けたいのではないのか」


 助けるためには、確かに、力となるだろう。そういう情報だろう。

 "乾坤然"には昔から世話になっている。だが、


「あれは、俺の裁量だ。俺の責任だ。俺が取り戻す。俺が、キャリコの権利を守らねばならない」

「……そうか」


 竜人は、俺から封筒を受け取り懐にしまい込み、そして言う。


「見逃そうかと思ったが、やめだ。ダニエル爺さんから協力してやれと頼まれていたのだけどな。……いいか、アラン・モングレル。大人しく入院していろ。明日の朝、回診に君がいなければ、その時は重要参考人として確保させてもらう。今度こそ、だ」


 言い捨てて、竜人は去っていく。

 ……部屋に備え付けの時計は、もうすぐ日付が変わる時刻を示している。

 点滴を引きちぎり、包帯を解く。既に傷は治っている。

 ……なんと、甘い。

 つまり、あの竜人はこう言ったのだ。明日の朝まで監視は来ない、と――それまでは、見逃してやると。

 そのくらいの言葉の裏は、俺にも読み取れるようになっていた。

 成長というものだろうか。あるいは、不純物が混じったか。

 素直に封筒を受け取っていれば、今すぐ退院ができたのかもしれないが。制度を飛び越える真似を軽々としたくはなかった。


「…………」


 語った言葉に嘘はない。

 キャリコは俺が保護した猫だ。

 ある程度は俺の裁量である。

 俺には保護観察の義務が既に発生している。

 キャリコには既に、完全に登録されたものではないとは言え、人権が発生している。仮免許ならぬ仮人権だ。

 よって現在のところ、少なくとも営利目的、未成年者略取及び誘拐罪が罪状として発生している。現行犯だ。

 故に助けに行く。助けに行ける。助けに行くことは、疑いようもなく正しい。絶対的に正しい。

 そしてそれ以上に、規範と規則によって作られた俺の心が、未発生であるはずの魂が言っている。

 助けろ、と。


「…………」


 息吹を吐く。

 義務感と同時に、喜びが腹の底から沸いていた。

 戦ってもよいのだと、その喜びがどこかにある。

 あの竜人警官に語った言葉に嘘はなかったが――邪魔者は不要だと、その思いは無かったか。

 嘘は言っていないにせよ、語らぬ思いはなかったか。

 設計され調整された俺の心が、未発達であった脳が言っている。

 応報を、と。


「く、ぉ……」


 遠吠えしかけたところを、意思で止める。

 鼻面を伸ばす。

 全身からざわざわと毛が生えていく。骨格が変動する。手足が伸び縮みして、四足歩行に適したカタチに変容する。

 黒い毛並みとなったことを確認し、肉球ある手指で窓を開く。窓には鉄格子もかかっていない。

 においを嗅げば、消毒液のにおいで、鼻が曲がりそうだった。


「お……!」


 逃れるように、跳び出す。

 心で叫びながら、夜の街を飛ぶ。

 四足で、風のように駆ける。

 体長5メートル。犬のような姿を作って、頑丈に作られている香港建造物の屋根に足跡を刻んでいく。

 ――逃がさない。

 鋭敏になりすぎた鼻でにおいを嗅ぐ。

 ――逃げられるものか。

 文字通り猟犬となって得物を追う。

 ――逃がしてなるものか。

 猟犬の主とはすなわち俺自身だ。

 ――この世の果てまでも追いかけそして応報を食らわせてやる。

 狂った猟犬となって敵を追い詰めに行く。


「           」


 人外となった発声器官から声が漏れる。

 笑い声だ。

 我ながら狂った鳴き声だ。

 それすら置き去りにしながら、そしてそこにたどり着いた。

 鎮火された家の前からほぼ一直線。なにがしかの店だ。

 舌を伸ばし、舌先に手を形作って扉を開く。

 中からは濃厚な酒のにおいがした。


「もう店じまいだ、」


 よ、と。年行った女の、酒で焼けた声が凍ったように止まる。


「キ ャリコ  はどこ だ 」


 頭を突っ込み、扉を開き、扉の周囲を砕きながら、口にする。


「ひッ、ひぃイイいいいいいいいいいいいいいッ!?」

「  どこ だ」


 頭さえ入ってしまえば、犬に近い身であるだけに全身も入る。

 天井を割って押し入りながら、化粧でぎとぎとの老女に詰め寄った。


「きゃ、きゃきゃ、きゃり……」

「ね こ」


 鼻先を近づけると、アンモニア臭がした。臭い。

 苛立ちで喉が鳴った。

 この女程度なら丸呑みが可能だが、正直に言ってまずそうだ。

 殺すならば、前足で踏みつぶすだけに留めたい。そうすれば血のにおいで、アンモニア臭も多少はまぎれてくれるだろう。


「ど こ だ」

「ひゃわ……ひゃひひ、ひぇ……」


 女が、震える指で店の一角、扉を指差した。

 キャリコのにおいも、確かにそちらに通じているように感じる。

 四足に力を込めて、軽くぶつかれば、隔てる壁ごとぶち抜けた。

 老女が悲鳴を上げている。汚らしい悲鳴だった。

 ぶち抜いた先の壁の向こうには、倉庫らしき一室があり、そしてその奥に魔法陣があるのが見えた。

 ……成程、転移陣か。

 鼻でこれ以上は追えない。

 故に老女に向き直る。

 そして、尻を向けて逃げ出すそれに、咆哮する。


「キャリ コ は ど こだッッッ!!!」

「ぎゃぃッ!?」


 老女が転がって、そして改めて俺の方を見た。

 恐怖に凍った目だ。

 頭から血も流している。

 そうだ。ここに来たとき、キャリコもおそらく血を流していたはずだ。

 ピトフーイの瘴毒の治療は、それなりに高度な魔術師でなければ不可能だ。頭から血も流していた。

 ここに来るまで血を流し続けていたはずなのだ。


「こ、殺ひゃないでッ!!! お願ひッ! ま、まほうじん、魔法陣んッ!!!」


 祈るように突き出された腕を軽く噛んで、牙の間で挟むようにし、そして投げ捨てる。

 ひぃい、などと情けない悲鳴を上げ、老女は魔法陣前まで転がった。


「はやく しろ」


 ひいひいと泣きながら、老女は魔法陣を起動する。

 左腕の皮膚がべろりと剥がれていた。

 砕けた壁や天井などの建材を踏みしめて、魔法陣に乗る――




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 ――と。そこはまた別の倉庫だった。

 今の俺が問題なく歩けるような、大きな倉庫だ。外から見れば、円筒型の屋根をしているだろうか。

 多少の荷物があるが、長く放置されているにおいがあった。

 そうであるにも関わらず、ごく最近、幾度も利用されているようなにおいがあった。

 キャリコのにおいはある。においは徐々に濃くなっていく。

 否、散逸していないのだ。段々と近づいていることが分かった。

 足元には、わずかに零れた赤があった。


「      」


 大犬のまま笑い、鉄板の引き戸に爪をかけて開く。

 外にあったのは倉庫街だ。

 気圧からして、香港風水螺旋の中腹――235の島のうち、地上から100島目、と言ったところか。

 風の音に交じって、わずかに音が聞こえていた。

 テレビの音だろうか。無機質な笑い声とともに、どうやら人間の肉声も聞こえている。

 においもそちらの方へと続いていた。

 そちらの方へと近づけば、プレハブ小屋があった。

 ピット器官で内部を確認すると、どうやら一人が中で寝転がってテレビを見ているようだった。


「……うはははっ……」


 男が一人。

 前足を振り上げて、男に被害が及ばないように、入り口付近を引き裂く。

 扉を縦に押しつぶすようにして開いて、頭を突っ込む。

 中にいた男は、口を開いてこちらを見ていた。


「し つれ い」

「ぇ…………」

「ひとを さがして いる」


 プレハブ小屋は狭い。

 体長は5メートルほど。体高は2.5メートルほどある。

 唸りながら、何とか声を出す。


「ねこ の じゅうじ  ん」

「あ、あわっ、ウワッ、ひ、《氷陣》ッ!」


 足元を走って来た氷を踏み砕き、鼻面を男に近づける。


「ねこ」


 男の歯の根は合っていない。

 ジャンバーの襟を噛み、持ち上げ、キャリコのにおいが続く方向へと進んでいく。

 倉庫街は閑散としている。

 もう日付は変わっている。

 キャリコを浚った組織の所有する倉庫街なのかもしれない。

 今重要なのは、キャリコの足取りを追うことだったが。


「こ、こここ……この、さきっ……」


 倉庫の扉を引き裂くように開いて、襟を噛んだまま中に踏み入る。

 人の気配はない。

 恐らくはこの倉庫街は、中継点なのだろう。

 男を倉庫の中に投げ捨てて、一度唸る。


「ひぃっ、こ、ここだよぉっ!! 本宅だァッ!!!」


 男が地面を叩けば、コンクリート打ちっぱなしの床に、魔法陣が光った。

 転移陣を維持できると言うだけで、それなり以上の力を持つ組織だと言うことが分かる。

 俺には通常の意味での魔力がない。

 気力を回すことにより生命力を増幅し、このように形質を強調することはできるが。

 通常の魔力がスイッチとして必要なもの――例えば、この魔法陣を起動することができない。

 人員がいて助かった。

 名目上は、この倉庫街の管理員なのだろう。

 役立ってくれた。老女と違って、スムーズに話が進んだ。


「あぎょッ」


 男を上から優しく叩いて失神させて、魔法陣を踏む――




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「……おやぁ」


 ――と、男と目が合った。

 背中が天井でつっかえていた。

 見たことのない男だった。


「なんだおま」


 辛うじて動く前足で男を叩き潰して、身を縮める。

 体高は2メートル弱。体長も4メートル弱。ほぼそのままスケールダウンし、余った質量は表皮に回す。

 今の俺は、鎧を纏った犬のように見えるだろう。

 唸って、瞬発。

 扉をぶち破ると、そこはどこかの邸宅の地下倉庫のようだった。

 キャリコのにおいは、いよいよ強まっている。

 足裏に血が付いていたが、構うものか。

 扉を破った音が聞こえたか、足音と声が聞こえた。


「          」


 笑いが出た。

 我ながら下品に笑っているものだ。

 廊下の先はT字路になっている。

 気力を回しながら、突撃した。

 再現する形質は、遺伝子異常。俗にいうシャム双子。

 壁に頭から突っ込みながら――同時に、左右から来ていた男たちに吼えたける。


「な、なんだぁこいつはッ!?」

「あぁあああ!?」


 叫ぶ先頭の二人に、高濃度の胃酸を吐きつける。


「ぎ、ぎゃああああ――ッ!?」

「うわぁッ!?」


 片方は胃酸をかぶったが、もう片方は咄嗟に結界を張っていた。

 頭を壁から引っこ抜き、三つとなった頭を結界に向ける。


「ひっ……だ、誰かッ!!! 敵だぁッ、おいッ!?」


 結界は咄嗟に張った面積の小さなものだ。

 それを上から押しつぶす。

 中々やる結界だ。爪はごくわずかにしか食い込まず、それで割れることもない。

 だが、パントマイムじみて壁を這ったまま、男は倒れた。


「だれ……がっ! だじゅげっ……!!!」


 骨が砕ける音がして、同時に結界が解けた。

 後続の男たちが、怯んでいる。

 口端を歪めて笑いながら、押し通りに行く。




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「"傑道"さんッ! や、やべぇっす! やべぇっすよぉおおお! なんかでけェ犬が! 犬がッ!!!」


 男は、異様な男に叫んだ。

 筋骨隆々という言葉では物足りない。

 あまりにも膨張した筋肉の男が、背を向けて――鏡に顔を向けて。唇に、紅を差していた。

 描かれた眉毛。白く塗られた頬に、鼻筋をくっきりとさせるファンデーション。つけまつげもばっちりで、いよいよもって異様な容貌となっている。


「分かってるわよォ。聞こえてるわァ。汚い悲鳴よねェ」

「わ、わかってんなら、"傑道"サンッ! 化粧なんてしてないでッ、早く!」

「これでもちょっと頑張って急いでるのよォ。アタシ、死ぬ時もキレイでいたいからァ」

「け、化粧なんて後でいいでしょうッ、み、みんな殺されっちま、」


 う。と、男は最後まで言葉を続けられなかった。

 振り返った"傑道"に睨まれたからだ。


「あ゛?」


 "傑道"が立ち上がる。

 右手に握った口紅が完全に手の中に隠れた。

 身長212センチ。

 体重258キログラム。

 筋骨隆々という言葉では物足りない。

 あまりにも膨張した筋肉の男が。凍り付く男の前に、立っていた。


「えっ……あっ……い、ぇ、あ……?」

「最後の言葉は」

「こ、ころしゃないで……」

「そう。覚えておくわ」


 拳が薙ぎ払われた。

 そして、あら、と、"傑道"は呟く。

 拳を開き、指の形にへこみ捻じ曲がり歪んでひしゃげた口紅を見て、はぁ、とため息を吐いた。


「やだァ。口紅握りつぶしちゃったァ……」


 ふう、とため息を吐いて、"傑道"はしゃがみこんで、流れ出る朱色を小指の先に取る。

 そして鏡の前に戻り、分厚い唇にそれを塗り付け、唇を食み、そして笑顔をつくり、科を作った。


「……悪くないじゃない。今度からこうしようかしらねェ」


 ん! と満面の笑みを浮かべて、"傑道"は立ち上がる。

 大股でぐいぐいと歩き、屋敷のホールにたどり着き、


「うーん、流石よねェ。アラン。いえ――"嵌合体"」

「     」


 その三つ首の大犬と、鉢合わせた。




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 何匹目かの血袋を踏みつぶして、その男を見る。

 "傑道"と呼ばれている男だ。

 主な武装はその身体すべて。身体硬化が主だが、当然身体強化も常識外れ。

 今現在俺は大犬と化しているが、この爪牙が通るかどうか。

 主な戦闘方法は、格闘。特に全力の拳は戦車砲じみた威力がある。直撃を受ければ俺とて危うい――実際先ほどは直撃を受けてそのまま気絶まで持ち込まれた。


「でっかいワンちゃんねェ」

「はいぼく し こ    うして はじをさら すは ぶすいなれ ど」


 足裏が粘つく。

 毛皮など鎧代わりの甲殻に置換しているが、それでも表面を流れる血液や肉の感触が不快だった。


「ぶすいでは とまらぬものが ある」


 吼える。

 突撃する。


「いィ――よいしょぉおおおおおおおおッッッ!!!」


 突撃を、"傑道"は止めた。

 足元、絨毯がたわみ、毛がちぎれて舞った。


「はぁッ!」


 右の拳が、噛みつこうとした頭を砕いた。

 左の脚が、噛みつこうとした頭を砕いた。

 強い――思いながらも首を押し付け、その身を更に押す。


「んぐッ、だぁァッ!」


 身を回しつつの膝蹴りが、押していた頭を砕いた。

 そして"傑道"は俺の方を見た――大犬の背中から上半身を生やす俺を、だ。

 両手には既に剣を握っている。

 素晴らしい気づきだ。三つの頭を砕いても俺が止まらぬことを怪訝に思ったのか。

 遅いが。


「ふッ!」


 振り下ろし――呻きと同時、"傑道"の腕、防御した肌に傷がつく。

 筋肉で止められたが、肌は裂いた。


「く、おおッ!」


 頭部を失い首だけになった犬頭で、姿勢を立て直そうとする"傑道"を押す。

 肋骨を変形させ、刃と化して開く。


「くぉッ!?」


 化粧の乗った頬を裂く。

 良い笑顔を浮かべると言えど、流石に剣を止められるほど鍛えているわけではないようだ。

 異様に太い首で、頭部への打撃は効きづらそうだが、それでも斬撃の効果がないということはあるまい。

 筋肉に一寸――いや、半寸。その程度でも、傷をつけ続ければ、いつかは気力を維持できなくなる――つまりは身体硬化を維持できなくなる。

 "傑道"は、その筋肉量こそ以上であれど、回復能力は常人と大差ないはずだ。


「やるじゃないのォ! アタシまたかっこよくなっちゃったじゃないのッ、顔の傷跡ファンデで隠すの大変なのよォ!?」


 悪いことをした。

 だが今は別の対応が必要だ。

 天井からゆっくりと、ピトフーイが落ちてきているのを感じる。

 不意打ちなど、およそ戦士の風上におけるものではない。

 だが、ピトフーイは戦士ではなく狩人だ。

 剣を振るえば、ピトフーイは翼を広げて身を翻す。

 2対1か。


「ピトフーイ? お仕事の範囲で遊ばせてねェ」


 クルルルゥ、と、ピトフーイが不満げな声をあげて、2階へ続く階段の手すりに止まった。


「あぞび、」


 喉が人間のそれではなかったので少し調整する。


「……遊びでは済まんぞ。"傑道"」

「んんー。価値観の違いよねェ。アタシは、戦いって遊びだと思ってるのよォ」

「そうか」


 そうならば仕方がない。

 下半身――大犬の身を、いよいよもって変えていく。

 もはや犬ですらない。ケンタウロスと言うにも不格好に過ぎる。

 虎の脚で跳びかかり、回避した先に肋骨の剣を伸ばす。

 身の下には剣山を作っている。

 我ながら後で反動が恐ろしい体になっていた。

 "傑道"は両腕肌に赤く擦過傷を残しながら、それらを弾き、あるいは逆に骨を砕き、毛皮を抜く打撃を放ってくる。


「……ところで、"ビッグ"な方はどうしたのォ? もう殺したの?」

「いや。まだだが」

「ふぅん? おかしいわねェ。逃げ出したかしらァ。ちょっとはイイオトコだと思ってたんだけどォ」

「そうか。貴様も逃げるなら追わないが」

「冗談。こーんな相手と死ぬまで踊らないなんて――おバカのすることよォ!」


 隙を作られた――それを逃さず、砲撃じみた右の崩拳が俺の下半身に着弾し、


「ふッ」


 上半身を残して――大犬の胴体の中で再現していた人間の下半身を残して、すっ飛んでいく。


「――あら。ビッグマグナム」


 両の剣が、"傑道"の肩口から、胸筋までを切り裂いた。


「ぐぅッ……つい見とれてしまったわッ、なんて卑怯なッ!」


 血を噴き出しながら、"傑道"は距離を取る。

 体液に濡れた下半身に毛皮を生やしながら、踏み込み追撃する。

 浅い――と言うより、この男を切り開くのはやはり難しい。

 刃は筋肉の表面を通ったのみだ。

 それに、巨大な肉と骨であった大犬の身体は、俺の背後で壁に叩きつけられてミンチ肉になっている。

 やはり直撃は危険だ。


「おお……!」


 故に、反撃を許さない。

 ヘソ。肋骨の隙間。筋肉の隙間。腋。頸動脈。股間。爪。顔面。眼球。頭部。

 双剣で狙う。


「くぅっ、ンッ!」


 歯を食いしばり、犬歯を砕いて吹き付ける。


「っと!」


 "傑道"は首をひねって眼球へと飛来したそれを回避し、続いて飛んできた剣を身を翻して回避し、更に続く一刀の投擲をブリッジで回避し、そのままの流れで回転し距離を取ろうとして――


「――やられたわねェ」


 白球を構える俺を見て、着地と同時、両腕を十字に構えて腰を落とした。

 白球は、増殖、硬質化させた骨を掌中に出し、丸めたものだ。


「――受けるがいい。この"嵌合体"至高の一投を」


 右足を踏み込む。

 左手の内で、骨球を完成させる。

 練習を重ね。修練を積み上げ。工夫を連ねた一投だ。

 身を沈ませ、力をすべて、骨球に集約させる。

 気を込めた白球が輝きだす。

 絨毯を指先がこすった。

 指先は音速を超える。

 空気の壁を破って、白球が飛ぶ。


「"霹靂鳥"」


 一瞬の後――まさしく瞬きの内に、白球は着弾する。


「ぬぅッ、うううううううッ!!!」


 骨が軋む音がする。

 骨で出来た球の音か。

 あるいは、"傑道"の腕骨が軋む音か。


「うっううううううッ!!!」


 回転によって、"傑道"の腕から血が迸っている。

 だが、しかし、だが――所詮は、投球である。


「うぅうううおおおおおおおおおおおおッ!!!」


 十字の防御を、"傑道"は開く。

 完全に分解した骨球の骨粉をまき散らしながら――受けた腕を真っ赤に染めながら。

 その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。


「……なんと――と。そう言うべきか。貴様なら受けうるとは思っていたが」

「ふ、ふふ、ふ……そうね、ェ。自分でも、ちょっと驚いてる、わァ……」


 とは言え、受けた左手は回転によって抉られ、骨が見えている。

 "傑道"は筋肉を固め、それで止血としたようだ。


「……終わった後貴様が死んでいなければ、キャッチャーとしてスカウトに行く。キャッチャーが現在いないのでな」

「こんなの何度も受けるのは、流石にお断りよォ」

「そうか」


 もう一度――は、流石に望めまい。

 腕の骨剣を出す隙も、ない。

 そうなれば背の翼剣を出すか。

 大犬で暴れて、そろそろ栄養が足りないのだが――と。考えつつも、膠着していた瞬間だ。


「ぐッおぉおおおおッ!!!」


 扉をぶち抜いて、男が一人、飛んできた。

 その男は、銀色の軌跡を引いていた。吹き飛んだ扉が、壁に刺さるほどの勢いだ。

 男は壁に叩きつけられ、受け身を取って、落ちて、そして両の脚で立ち――しかし、ダメージが甚大であることは見て取れた。


「ぐ、ぉ。畜生ッ……!」


 "大銀杖"だった。

 自慢の精霊銀の杖を、文字通り杖に。

 そうして、吹き飛んできた方向、入り口の方を睨みつける。


「カッ、ハ」


 と。吐き捨てるような笑いが聞こえた。


「面白ェ状況になってんじゃねぇの」


 ――嘯きながら。

 一人の青年が現れた。

 黒髪に黒目――180センチ半ばほどの身長。左頬には大きな傷跡がある。

 口元にある赤い火は、煙草だろうか。紫煙を夜闇にくゆらせながら、青年はゆっくりと屋内に入ってくる。

 ドラゴンの刺繍された、真っ赤な(趣味の悪い!)ジャケットを羽織っている。左耳に、銀色のピアスをつけている。

 鍛え上げられた肉体は、引き締まっていながらも、"傑道"と同等の存在感を持っている。

 袖をまくったジャケットから出る腕は筋肉で張りつめており、左手には銀色に輝く杖を持っている。

 ――実に見事な銀の杖。精霊銀の塗布された表面には、多少の装飾が走っている。決して目立ちすぎぬ、しかして見事なそれだ。


「ちょっと、バイトしに来たんだがな」


 片手の銀色の杖を打ちふるえば、重く風を切る音がする。

 三白眼が周囲を睥睨する。

 青年は、暴威を纏っていた。気に食わなければ、相手が誰であっても殴るような――殴り殺すような。そんな気配だ。

 獰猛な笑みを、浮かべていた。


「現場ァここで合ってるか? アラン」

「貴様、誰に――いや、いい。現場はここだ」

「オーケー、オーケー。つまるところ――脳がポンコツのクソどもをスクラップにしてやりゃあいいんだよな? いつものバイトだな、ホント香港はクソだな!」

「く、はは、そうだな」


 笑いながら、肩を並べる。


「そうだ。その通りだ。――"銀杖"」


 背の翼をもぎ取って大剣とする。

 "銀杖"が、むしろ軽やかにその杖を構えた。


「"銀"……"杖"……ッッッ!!!」


 "大ナントカ"が、凄まじい眼で隣を見ていた。

 "銀杖"は、全く動じた様子もない。

 ピトフーイも含めて、周囲を眺めている。


「ご指名だそうだが」

「ほおーう。まあ、どうでもいいな」


 "銀杖"は、タバコを吐き捨てながら、言う。


「どうせ全部ぶちのめすッ! ディスティニーランド限定チケット引換券どもだからな……!!!」


 ピトフーイだけが、ちょっと嫌そうな鳴き声をあげた。