エロ率分析 (α)

〜分析結果サンプル〜


 闘争本能に偏りすぎているきらいがある。完全な人類として不適である。故に失敗作だ。

 ――『最終ハイブリッド計画/No.01』報告書より抜粋




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 軽い足音を立てて、キャリコはちょこまかと走る。

 物珍しそうに周囲を見回していた。

 先ほどから思っていたが、どうにも歩行が不安定だ。


「転ぶぞ」

「大丈夫大丈夫問題にゃいにゃいですですにゃー!」


 どうやら尻尾でバランスを取ってはいるようだ。

 初めての変異を行った場合、筋量や身体のバランスを上手く設定できない場合もある。

 言語については現在言語統一塔のはたらきにより問題なくなっているが、結局元々の身体で過ごすことになる変異獣人も数多いと聞く。

 その点彼女は、"運動神経がいい"らしい。

 歩くたびに踵が離れるような靴(俺の未使用の革靴だ)も気にせず、エプロン部分を外して簡素にしたメイド服で、スカートを翻しながら歩いている。


「アランさまー、あっちのでーっかいのはにゃんですかー?」


 ふと、何かに気づいたように、キャリコが遠くを指さした。

 半ば霞んでいるが、そこには"九龍背城"がある。

 全長約2キロメートルの黒竜。九つの首、九つの指、九つの尾を持つ、半ば石化し毒を失った大ハイドラだ。

 世界の裏側より落ちてきたモノのうちでも、最大級のモノである――地球上においてあれより大きいとされるものは二つしかない。

 すなわち大海魔と――いや、後のもう一つは大気圏を越えて宇宙に進出したのだったか。

 ともあれ地球上にある生物の中でもっとも大きい、そしておそらくは世界の裏側を数えても十分に最大級だろうと思われるモノだ。


「"九龍背城"だ」

「???」

「ああ――つまり、滅茶苦茶な場所だ」


 疑問符を浮かべたキャリコに返答する。

 どんなところと問われても、一言では返しがたい。

 香港で見つかるものは、質さえ問わなければあそこで全て見つかる。

 あそこには一種の秩序すらある。

 だが、彼女にとってはこの一言で総括できるだろうか。


「……危険な場所だ。絶対に近づかないようにしろ」

「……にゃー?」


 大きな目をぱちくりとさせて、キャリコは頷き、右手を上げて叫んだ。


「了解ですにゃー!」

「……いい返事だ。だが、あまり往来で大声を出すな」

「うにゃっ」


 キャリコは口を両手で塞いで周囲を見回し、そして笑われていることを認めたようだった。

 うにゃ、と、彼女はそのまま俺の方を見てくる。


「…………」


 返答を求められている。

 20年前ならひとまず無力化しようとしていただろうが、今なら対応も分かる。


「貴様の声は高くよく通る。大声を出せば何事かと注目を集めてしまう。他人の時間を奪うと言うことだ。良いことではない」

「う……にゃ……?」

「……俺の耳はいい。だからあまり大声を出さなくても聞こえる」

「あっ。……りょぅかぃですにゃー……」

「そこまで声を抑えなくともいい」


 加減が分からないのだろう。

 自分の身体のことは天然で把握していても、声の大きさや表情――それに嘘など、"人間"として生きるための様々な事柄は、当人が体得していく他ない。

 仮にも先達である――先にこれらを経験した者として、拾い主として、保護観察者となる者として、そのくらいは教えてから自由にしてやりたいものだ。




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「下着類については承りましたが……この服、《調整》がかかっておりますけれど?」


 と、無知を晒した俺は、服屋の前で待っていた。

 総督としての任の中には、私服が必要となる場合もある。

 そんな時に、義父や俺の衣服を誂えたのがこの店だった。

 あまり大きな店ではないが、女性向けの靴や帽子も置いているし、近場で一式が揃う店ではあった。


「…………」


 遠くの方から銃声が聞こえる。

 あまり大きくはないが、戦闘がどこかで行われているらしい。

 白昼堂々か、と思いながらも、動きはしない。

 今の俺は、立場が宙に浮いている。

 そもそも俺たちが"八卦衆"として動けていたのは、義父の権力によるものが大きい。

 義父が作った、義父のためだけの私設兵だった。義父以外のためには働けないし、今ここに義父はいない。

 香港国民としての義務も、騒動に首を突っ込んで行って戦え、とまでは言っていない。

 それに、連れもいる。


「…………」


 複数人が戦闘しているのは間違いない。それも、拠点攻略―― 一種の攻城戦だ。

 ひときわ大きな音がして、その後銃声が聞き取りづらくなったので、おそらく既に屋内に入っている。


「…………」


 見上げると、鳥が飛んでいた。

 大鷲だ。基準物がないため翼長は計測できないが、知っている翼のような――


「アランさまーっ!」


 ――見上げていると、大声が店の中から響いてきた。

 終わったら呼べと言ってある。会計だろう。立ち上がり、財布を取り出しつつ振り返ると、キャリコがべったりと扉に張り付いていた。

 黒色の上下下着と、白色の上下下着とを左右の手に持ち、自身は茶色の上下下着を身に着けていた。茶色の下着から半分ほど露出した乳房がガラス扉に密着していた。


「どれが似合うと思いますかにゃーっ!?」


 後ろで店員が泡を食ってキャリコを羽交い絞めにしていた。


「…………失礼した」


 再度腰を下ろして空を見上げると、大鷲は、既に見えなくなっていた。




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 ひとまず荷物は店に預けて、街を歩く。


「次の道を右だ」


 にゃっ、と返事をするキャリコの装いは、短く活動的なワンピースになっている。

 しなやかな脚だ。ステップを踏むように歩いているが、やはりバランスを取って転ばないようにしている。

 靴下や靴がサイズの合うそれになっているためか、更に活発になっているように見える。

 それなりに早く歩いているが、あちらを見たりこちらを見たりと忙しい。俺の方を幾度も横目で見てもいる。

 ついてきているかを確認するなら俺の後ろをついてきた方がいいと思うのだが、こちらとしては前を歩いてもらった方が監視が楽だ。

 だが、一つ気になることがあった。


「キャリコ。もう少し落ち着いて歩け」

「?」


 キャリコは首だけで俺の方を振り返った。きょとんとした顔で、歩く姿勢ほぼそのままと器用なことをしているが、


「下着が見えている。下着を見せてはいけない」

「うにゃっ」


 キャリコは両手で腰後ろを押さえた。

 尻尾を下に通すタイプのデザインを気に入ったらしいのだが、やや失敗だったか。

 俺としても予想外であり、反省を胸に刻む他ない。


「……ごめんにゃさい、アランさま……」

「いや、いい。俺は気にしない」


 歩調を緩めたキャリコの額には、汗が浮かんでいる。

 ヒト型になって、運動量の見積もりもうまく行っていないのだろう。

 下着を見せることに対する恥ずかしさは感じていないようではある。

 道を右に曲がれば、大きな通りに入る。

 流石にキャリコが駆けるには人が多い道だ。


「キャリコ。逸れないように――いや」


 左右をきょろきょろと見回すキャリコの手を掴み、歩く。


「転ばないようにだけ注意しろ。俺が連れて行く」

「はいですにゃー……」


 ほぇー、と感嘆の声をあげながら、キャリコは左右を、そして上下を見回す。

 このあたりは香港政庁――総督府関連施設やビジネスビルが多い。高層建築が多い土地だ。

 先程までの道も高層建築が立ち並んでいたが、この通りは特に高い建築物が並んでいる。

 壁面を全て広告スペースに使ったビルや、並立する塔、ジェンガと評されるビルや、世界樹の幼木、真四角の岩塊、総クリスタル製、木造、道路、生体式、等。

 ビルの建材や建築法にそれぞれ特徴があり、同じものは二つとない。香港を表す風景の一つだ。

 手を引きながらその通りを抜けて、一転して緑のあふれる丘に入る。スーツ姿の人々が憩う政庁公園を通り抜ければ、俺の主たる仕事場でもあった政庁にたどり着く。

 新規戸籍の登録は、この政庁でしか手続きできない。


「ん。……おお! アランではないか!」


 太くがらがらとした声が響いてきた。

 そちらを見れば、恰幅のいい老人が歩いてきている。

 娘二人とともに八卦衆に所属していた――そして、その中でも参謀格であった男。義父とも付き合いが長かった、"乾坤然"と呼ばれる魔術士だ。

 カイゼルひげは今日も天をついており、忙しいはずであるが、肌も若々しい。

 杖をつきながら、革靴の音も高らかに、俺たちの方に近づいてくる。


「こんにちは。今日もいい天気ですね」

「やめろやめろ下手糞な挨拶なぞ! どうしたのだ、手など繋ぎおって! ようやっと色気づきおったか!」

「違います。彼女はキャリコ。本日、人化した猫股です。……キャリコ。彼はダニエル・袁。俺の上司のようなものだ」


 うにゃ、と俺の方を見るキャリコ。

 視線で促すと、キャリコは"乾坤然"の方へと向き直り、言った。


「きゃり子ですー、アランさまに拾われました!」


 頭を下げた彼女を見て、"乾坤然"は頷いた。


「うむ、ダニエル・袁だ。彼の仲間であるよ。……よい子ではないか。その子の登録に来たと言うわけか」

「はい」

「で、あれば、儂が手伝おう。なに、引退間際とは言えど、顔は効く」

「ありがたく。お願いいたします」

「そう固くなるな! 暇な老人が口出しをしようというだけだ!」


 "乾坤然"は、既に70歳を超えている。香港浮上当時から義父に(そして初代総督である義父の兄に)様々な力添えをしていたらしい。

 背筋も伸びた矍鑠とした老人ではあるが、近ごろは流石に衰えを感じたようで、引退する予定だった。

 同じく八卦衆であった孫二人は継続して八卦衆(あるいはその後継組織)に所属する予定だが、彼は魔術を研究するつもりだと聞いている。

 キャリコの手を離し、杖を突きながら歩き出す彼を追う。




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「拾ったからには、よくよく面倒を見てやらねばならんぞ、アラン」


 彼は真剣な目で言って、キャリコに飴を渡して去って行った。

 人権登録の手続きは、様々なものがある。

 身体検査や変異の有無。年代や種族の特定、知能検査、防疫検査。戸籍登録、魔力測定、等、等。

 日本であればもう少し簡略化され手続きも一日で終わるそうだが、香港の場合は専門の医療機関にて検査を受けるなどする必要がある。

 今日の段階では仮登録、と言ったところだ。

 半日ばかりお手を煩わせてしまったが、それでもスムーズにこなせたのは、"乾坤然"の力によるものだろう。俺だけであれば書類の不備などがあったかもしれない。

 既に夕方。夕食を取ってもいい時間ではあった。


「キャリコ。食事はどうする。家に帰るまで我慢できるか」

「んー…………」


 退屈だったのだろう。キャリコは眠たげに目をこすり、付いてくる。

 猫系と言うことで、睡眠時間は常人よりも多くなるはずだ。


「アランさまは、おにゃか空いてますかにゃー……」

「俺はどちらでもいい。貴様の意見を聞いている」

「にゃー……」


 キャリコの手を引きながら歩く。

 このままではどこかの店に入っても、料理が来る前に眠ってしまいそうだ。

 家に帰って寝かせて、食事を用意しておいた方がいいかもしれない。

 ……そもそも歩きながら眠りそうだ。手を繋いでいるとは言え、危険である。


「……眠いか」

「大丈夫、ですにゃー……」

「そうか」


 俺はキャリコの手を離し、膝を付く。


「眠いなら連れて帰る。おぶされ」

「うにゃ……」


 キャリコは少し迷ったが、結局俺の背中に抱き付いてきた。

 脚を抱えて、立ち上がる。柔らかい肢体を感じた。

 歩き出せば、ちりん、と、首輪の鈴が鳴った。すぐに、寝息が聞こえてきた。首元に吐息がかかる。

 考えてみれば、人化してすぐだ。はしゃいでいたのだろう。

 もうしばらくすれば、落ち着いてくれるだろうか。

 独り立ちをするまではそうなってくれればよいのだが。


「…………」


 まだ初日だ。

 彼女がどうなっていくかは分からないが、どのように育つかは俺の手にかかっているとも言える。

 責任は重大だった。野良猫だった彼女をただ拾っただけではあるが、拾ったなら拾ったなりの責任があった。"乾坤然"にも言われたが。


「…………」


 ひとまずは彼女をきちんと登録してやらねばならない。

 この状態で野良で生きることになっては哀れだ。"九龍背城"に流れるのは客観的に言って不幸だ。

 しかる後に、仕事を探してやるなり、あるいはそのための教育を受けさせるなりをしてやらねばならない。

 そんなふうに考えながら、服屋に立ち寄って預けていた荷物を受け取り、抱え込んで、家の方まで歩いていく――と。

 火事だろうか。やや空を明るくして、煙が立ち上っているのが見えた。

 脳内に地図を描き、煙の立ち上る場所を思い浮かべる。

 そんなはずはない、と自らの性能を否定しながら、足早に、しかしキャリコを起こさぬように歩き、そしてたどり着く。


「……なんと」


 思わず声が出た。

 家が燃えていた。

 思わず紙袋を落としていた。

 野次馬が揃っており、そして塀の上に幾人かが立ったり座ったりしていた。

 明らかにあれらが犯人だった。


「ンん?」


 と、塀の上に座る男たちが、こちらを向いた。


「おい、家主のオカエリっぽいぜ」

「あらァ。ホントね」


 ……キャリコを下ろす。


「はァいアラン♪ 探し物しに来たんだけど留守だったみたいだから先におうち焼いちゃったわァ」


 野次馬が散っていく。


「カカッ。まあその娘拾ったのが不運と思いな」


 ジャケットを羽織った男が、嘲笑った。

 魔術士と見える数人の男たちと、正方形の男――"傑道"。

 それらが、塀から降り立ち、俺の方へと向かってくる。


「おォ? テメェが家主か。その猫、こっち寄越しな。じゃねぇと――」


 長身の青年が前に出て、腰から銀色の杖を引き抜いた。

 それを一振りすれば、それは2メートル近い長棒と化す。

 精霊銀製と見えるが、それをこともなげに振って、青年は構え、見栄を切った。


「――この"大銀杖"の一撃で弾けて死ぬぜ」


 キャリコの前に立ちながら、両腕を引き抜く。

 骨を硬化、同時に高速再生。尺骨を伸ばしながら、痛みと、そして襲い来る快楽に耐える。

 痛みを感じた時、脳内麻薬が分泌されるが。俺はそれがやや濃い。

 故に戦うことは、嫌いではない。


「この家は、売る予定だった。既に買い手もついていてな。来週には出る予定だった」


 だがそれと同時に、怒りが沸いていた。

 既に約束があった。

 家はどのみち取り壊されたかもしれないが、解体撤去にしても、こうして手間を省く必要はなかった。

 俺の個人的な物品はまだ残っていた。

 彼らの行動は、俺以外にも損失を生んでいる。


「――弁償をしろ。貴様ら」


 カカカ、と、男は笑った。


「今心配することがそれかよ! 金か! 下種だな! 先に命を守れよ! 金なんぞそこらにあるだろうが!」

「……やつには、似ても似つかんな」


 箇条書きにでもしてやればよく似ているのかもしれないが。だがしかし、俺の知る男とは違った。同じような人間はいても、同じ人間はいない。そんなことを思う。

 剣を握手のように握りしめて、再生した骨を微調整する。

 そうして剣先まで内力を通し、構える。


「……あ゛ァ!?」

「"傑道"。香港から出ると言うのは、嘘か」

「ホントホント。ほら、こういうことしたら流石に香港からしばらく出なきゃでしょォ?」

「無視してんじゃねぇよッ!!!」


 "大銀杖"とやらが跳躍する。


「なるほどな。嘘ではない、か」


 両の剣で大上段からの振り降ろしを受けて、流し、地面に落として蹴り上げる。

 "大銀杖"は空中で身をよじって躱すと、逆に空中で蹴りを放ってくる。

 見え透いたそれを回避し剣を振るうも、やはり回避された。

 身の軽い男だ――それに、剣にひびが入っている。速度も重さも十分。

 印象は三下であるが、血気に逸る阿呆であるが、しかし力量まで三下と言うわけではないらしい。

 体内機能を戦闘用に調整しつつ、距離を取った"大銀杖"、そして"傑道"とその部下を視界内におさめる。


「目標は」

「その子が持ってるはずの鍵ねェ」

「おい、"傑道"」

「いいのよ"大銀杖"、アランってば素直なんだからァ」

「俺が拾った時には、鍵などは持っていなかったように思うが」

「ほら。アランがこう言えば、実際に彼女は鍵らしい鍵は持ってなかったってことよォ。やることがシンプルになったでしょォ?」

「平和的解決は不可能になったか」

「……よく分かんねぇなぁオイ! なんだお前ら八卦衆!」

「あの総督に雇われてたのよォ? そりゃあマトモなわけないじゃないのォ」


 ともあれ形勢はよくはない。

 キャリコを逃がすべきだが――


「う……にゃ……?」


 ――背後で声。

 キャリコが目覚めたらしい。

 声をかけようとした瞬間、"大銀杖""傑道"が同時に飛びかかって来た。


「殺しまではしないわッ!」

「俺は殺す気満々だがなァッ!」

「ッ!」


 一歩、"傑道"の方へと踏み込み、横から迫ってくる"大銀杖"の攻撃範囲から抜け出す。

 眼球を操作し片方はそちらに向けつつ、第三の目を額に生み出して"傑道"との遠近感を保つ。


「ふんッ!」


 常人の頭とほぼ同等の大きさの拳を迎撃する。

 威力が乗り切る前に受けたつもりだったが、その筋量はそのまま質量となっている。

 "傑"の字をもつだけに、豪傑である――手首が衝撃で悲鳴を上げる。

 仮にも刃だと言うのに、"傑道"の肌一枚すら裂けない。


「くッ……おっ!」


 刃を当てつつ身を捻り、その動きで小指側に刃を流す。

 小指の肌程度は切ることができた手ごたえがあった。

 空気を裂く拳が、俺の頬に傷を作った。

 背中側に回った。

 骨剣で、すれ違いざまに胴を切り抜こうとするも、やはり腹筋に遮られる。


「んッ……!」


 服と、わき腹の肌を裂く程度の成果に終わらない。

 "傑道"が身を回し裏拳を放ってくるが、それを読んで腋下に刃を当てつつ切り抜け、そして"大銀杖"とやらへと剣を伸ばす。

 キャリコを確保しようとしていたからだ。


「ちッ!」


 精霊銀の棒を背負うようにして防御された。

 キャリコの襟に手がかかっている。

 口内で犬歯を折って、吹く。

 同時に、髪にある物質を送っていく。


「がっ!」


 腕に直撃――毒までは用意できなかった。犬歯を再度生やしながら、身を翻して"傑道"の蹴りを回避し、更に"大銀杖"を襲う。


「ちっ、くしょッ!」


 背中側から襲ってくる"傑道"――格闘家。鋼鉄の肉体を持つ男。

 気の運用は、現在の八卦衆においては随一。その身体硬化は、俺の全力の打ち込みでも筋肉で止められるほどだ。

 とは言え、やっていることとは身体強化であり、防御結界を張っているわけではない。

 髪先に用意した物質――主にルシフェリンとルシフェラーゼを、振り乱す。


「形質・バイオルミネッセンス」


 二つの物質が飛散結合し、そして光が発生する。

 二人には、俺の頭の周囲が唐突に光ったように見えただろう。


「んッ!?」


 背後から"傑道"の驚いたような呻きが聞こえる。

 一瞬の間があった。

 スーツを裂くように、刃に等しい翼を出し、そして鳥のそれに変えつつ、"大銀杖"へと蹴りを入れる。


「ぬぐっ!」


 "大銀杖"が飛ぶ。

 同時、翼を動かし、薙ぎ払うような拳の殺傷範囲から抜けて、"傑道"も蹴り飛ばす。


「く、ぉ――!」


 体内の戦闘準備は整った。

 溢れ出る生命力を操作する。

 全身を置換する。人間への擬態をやめる。

 全身の皮膚を甲殻へと変更する。内臓は委縮し、心肺機能は逆に増大。眼球は複眼と化し、額に角が生え、筋繊維はより効率の良いそれに。神経を組みなおし、脊椎の副脳を活性化する。


「……出ちゃったわねェ、アランのそれ」


 息吹を吐く。

 再度剣を構え直し、広がった視野で二人を捕らえる。


「"大銀杖"君。さっきみたいに猫ちゃんをかっさらおうってのは、やめた方がいいわァ。隙を見せて殺されちゃっても、アタシ助けないんだからァ」

「……わァーってら。流石は音に聞こえし八卦衆、ってか」


 言葉を受けて、わざと"大銀杖"の方に顔を向け、言葉を放つ。


「貴様のような――"大"が付く名は寡聞にして知らん。よもや、奴の兄か何かか? まさかだな。お噂はかねがね等とは口が裂けても言えん」

「てめッ……!」


 "大銀杖"は怒る。

 俺の知る"銀杖"は日本人だが、"大"は中華圏の出身と見える顔立ちをしている。

 民族として似てはいるが、甘く見ても遠縁の親戚、曽祖父が同じという程度の似方――つまるところは全くの別人だった。

 おそらく"大"としては、己こそが"銀杖"と呼ばれたいのだろう。精霊銀の長棒は、それだけで当人を特徴づける強力な武装ではある。

 そしてそれだけではない、一廉の使い手ではある。全く哀れなものだった。

 他者からどう呼ばれるかを自分で規定するなど、哀れにもほどがある。


「殺すッ!」

「ん、ちょっとォ、もう!」


 "大銀杖"が飛びあがる――そして、両手に構える精霊銀杖が、巨大化する。

 なるほど、大、銀杖。自分で名乗るだけのことはある。


「見よ、これぞ我が技法! 虫の如く潰れ死ねッ、"嵌合体"ッ!」


 受け止めきれる質量ではない。背後に庇っていたキャリコを、踵の甲殻で拾い、回避――退避する。


「うにっ!?」


 甲殻の上にキャリコを乗せて、翼を震わせ飛行する。


「あ、……アランさまっ!?」

「黙っていろ!」


 隣と言える距離に、"傑道"が跳びあがっていた。

 膝から骨を突き出し、迎え撃つ。


「はッ!」

「ふんッ!」


 真正面からの衝突――硬質化が甘かった。骨棘が砕かれ、膝の甲殻にまで拳が到達する。


「ぬッ!」


 打撃を受け、衝撃が全身を巡る――勢いで回転するが、それを利して回転し、空中へと身を逃がす。

 にぎゃーっ、と耳元で声は聞こえたが、怪我はしていないはずだ。


「ちッ……!」


 下から声が聞こえる。

 道路を砕いた"大銀杖"が俺の方を見上げている。

 二人とも武技に寄った武芸者だ。

 空中を行けば、俺の方へと手出しはできないはずだ。

 だがそうなれば――二人と格闘戦を行っていなければ、その他の男たちが黙っていない。

 おそらくは家を焼いたのであろう魔術士たちだ。


「《炎弩》!」

「《榴弾》」

「《熱矢》!」


 連射される炎の矢を回避する――高速の単発射撃、近接信管とでも言うべきか、回避した直後に爆発が起きる射撃、熱そのものの射撃。

 いずれも一級の使い手ではあるが、俺とて負けるつもりもない。


「ぎにゃーっ!?」

「我慢しろっ!」


 翼を動かし、連射される魔術を回避し、爆炎を抜けて、


「なっ……!?」


 眼前――壁のように立ちふさがる、翼に、遮られた。

 翼長は3メートルを超える――知恵を持つ、色鮮やかな羽毛の大鷲――そして、八卦衆が一。


「ピトフーイ……!?」


 咄嗟にキャリコの顔を手で覆い、背を向ける。翼を広げて、キャリコを庇った。

 瞬間、瘴気が風と共に襲い来た。

 背が毒に冒される。


「が……!」


 翼がぼろりと崩れる――キャリコの足元、靴下が変色し、露出した肌も同様に毒に冒された。

 甲高い鳴き声と共に、その脚を、鷲爪が掴んだ。


「にァッ!?」


 キャリコが甲高い悲鳴を上げる。

 鷲爪は、変色した部位を――毒に冒された部位に食い込んでいる。

 変色した血が零れだしていた。


「くッ!」


 毒を受けて背中側が崩れかけている。

 キャリコを掴みきれず、ピトフーイによって浚われていく。


「舐め……るなァッ!!!」


 お、と、叫びを上げる。

 背を再生する。翼を生やし直して――


「全力も全力よォ。八卦衆二人よ? 一応、ねッ!!!」


 ――組んだ両手の鉄槌に、甲殻を砕かれた。

 飛びあがっていた"傑道"の一撃だった。

 叩きつけられ、道路を体で砕く。バウンドする。

 全身の甲殻が砕けている。直撃を貰った。全身に衝撃が走っている。麻痺していた。


「ぐがッ……!」

「ごめんねェ。ピトフーイもアタシも、飼い主はまた別にいたってこと、よォ」


 背を踏まれる――複眼の端に、辛うじて映像が映っていた。

 ピトフーイが、キャリコを下ろし、"大銀杖"がそれを受け取っていた。


「きさま、ら……!」

「安心して、流石に命まで奪うつもりなんてないわよォ。癇癪で殺させもしないからァ」


 重い。

 身が体重で軋んでいる。


「ふざける、な……!」

「ンー。悪い事してるってのは分かってるけどねェ。……と」


 魔術士たちの声が聞こえる。


「やはり、なさそうだ!」

「燃えて壊れた形跡もない! その猫自体に何かがある!」

「そう。……ま、一週間かそこらかしらね。きちんと返すから安心してくれていいわよ、アラン? そこは約束するわァ」

「殺さぬ、と、誓うわけでも、なかろうがッ……!」

「そうねェ。確約はできないわねェ。でも、アラン? なんでアタシたちがそんなの聞かなきゃならないの? アナタが知り合いだから便宜を図ってあげてるんだけどォ?」


 "大銀杖"が、キャリコを抱えた。

 手足を振り乱し、暴れている。


「あっ、アランさまっ、アランさまぁっ!」

「うるっせェ! 黙ってろ猫がッ!」

「あぅっ!?」


 ――キャリコがぐったりとする。

 白黒茶の、まだらの髪に、血の色が混じった。


「き、さま、ら――」

「――おやすみ、アラン!!!」

「がっ……」


 後頭部に衝撃が入る。

 文字通り、虫のように四肢が痙攣する。

 常人であれば死んでいる――首が破断しかねない一撃を受け、意識が落ちる。

 だが、最後まで。

 俺の複眼は、その姿を見ていた。




/




「――だからァ。なるべく、傷つけない方がいいわよォ。落とし前付けたら許してくれるタイプの男だからァ」


 調度品も用意された上等な一室に、野太い声が響く。

 ベッドに寝かされた、意識を失った猫娘――キャリコを前に、三人の男が立っていた。

 筋肉を軋ませ腕を組む"傑道"。

 銀色の杖を誇示する"大銀杖"。

 角を生やした、魔術士の青年。

 室内には、もう一匹、大鷲が留まり、彼らを見ていた。

 キャリコは頭と足に包帯を巻かれている。治療を受けてはいたが、目覚める様子はなかった。


「つっても――な」


 魔術士の青年が、箱を取り出す。

 キャリコに近づければ、黒檀の箱が、わずかに光を放つが、それだけだ。


「……箱が開かん。首輪が怪しいって思ってたが、こりゃあまた別か」

「なんだ。それじゃァ、その反応はなんだってんだ?」

「魂に括り付けられてるケースもあるわねェ。子猫だったんでしょう? それがこうして人型になってるんだもの。あまり専門的なことはわからないけどォ……不自然よねェ」

「ああ。……油断してたぜ、スカタンだったのは俺だったってことだ。あの一瞬で、"鍵"をこの猫に埋め込みやがったんだろう」


 青年は息を吐き、踵を返す。


「精査後になるが……魂を解体して鍵を取り出す。術者を用意するからよ、お前らで守れ。俺は忙しい」

「御意」

「了解よ。……あーあ」


 と、"傑道"は肩をすくめた。


「これじゃあ、アランは殺すしかないわねェ……落とし前付けなかったら、絶対許してくれないタイプだから、あの男はァ……」


 言葉とは裏腹に、その頬は緩んでいる。

 同じ八卦衆として、過去、ともに鍛錬したことはある。だが、結局のところ鍛錬だ。

 彼自身が底を見せていないのと同様に、アランも彼にその底を見せてはいない。

 本気で殴り合えばどうなるか――それは、お互い分からないことだった。


「アンタも気をつけなさいよォ? あの男は、手段ってものを選ばないんだからァ」

「お、おう」

「ピトフーイも、ね。貴女、アランの手の内はだいたい知ってるでしょうけどォ……?」


 キュ、と、大鷲は鳴いた。

 分かっているとでも言いたげな眼光だった。


「……八卦衆の中でも、最も危険な男、だったものねェ。アラン・モングレルって男は……♪」


 "大銀杖"は、一歩引いた。

 彼とて名をあげようとする男だ。

 胆力は人一倍だという自負はあるが――しかし。"傑道"の不気味さは、彼をして、一歩下がらせていた。