エロ率分析 (α)

〜分析結果サンプル〜


 思考能力に柔軟さが欠如している。完全な人類として不適である。故に失敗作だ。

 ――『最終ハイブリッド計画/No.01』報告書より抜粋




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 ……少し、酒が残っていた。

 天井を見上げながら、自身の身を認識する。

 余剰な質量を増していない。

 余計な羽毛も生えていない。

 余分な手足もついていない。

 手指が触手になっていない。

 全身が、人体を続けていた。


「…………く」


 重い頭で、昨晩の記憶を思い出す。

 予定外に、そして予想外に、宴が長引いた。

 歓待を失礼なく断ったり抜けたりするのは苦手だ。

 応じて杯を飲み干し、なんとか帰宅して、明かりのない冷えた家に入った。

 たしか、人間らしく、眠るときは布団で眠るべきだ、という思いだけがあった。

 スーツを脱ぐことすらせず、半分目をつぶりながら、覚えている限りの廊下を歩き、私室にたどり着き、ベッドに倒れこんだ。

 もぞもぞと、小さく温かいものが、懐にもぐりこんでくるのを感じたのが最後だったように思う。

 手をついて身を起こして、やたらと柔らかいものを握った。

 手の先を見る。


「…………なんと」


 そこにいたのは、猫系獣人だった。

 それも女性、否、少女だった。

 俺は乳房を握っていた。

 彼女は全裸だった。


「…………待て」


 確かに昨日の俺は深酒をしていた。

 折角頂いたものを急速排泄するのも失礼と考えたからだ。

 もしかしたら一人では玄関先が限界だったかもしれない。

 誰かに手を引いてもらったかもしれない。

 何を言っても俺は脳を持つ生物だ。意識が混濁することはある。

 肩を貸してもらった覚えまではないが、それも自信を持って断言できるほどではない。

 俺の身体は不完全――未完成の試作品の失敗作だ。

 アルコールは分解できるが、アルコールをほとんど分解できない生物の血も入っているために、酒には強くない。

 アルコールと同様に、毒に対しても似たような反応を示す。

 対処療法的に強制排泄機能を強化されたが、それだけだ。

 俺が失敗作と呼ばれた所以だ。


「んーにゃー……」


 喉を鳴らしながら、少女は身を柔らかく捻った。

 完全に全裸だった。

 白い肌。開いた赤い唇からは、鋭い犬歯がのぞいている。

 猫系らしく身は細くしなやかだが、乳房は呼吸で揺れる程度には大きい。

 年若い少女と見えるが、性的に成熟しているようにも見えた。

 白、黒、茶色と3色の髪色と同色まだらの二又の尻尾、向かって右の、へたれたように折れた耳には、見覚えがあった。


「…………」


 ひとまず視線をそらす。

 手も離す。

 可能な限りベッドを揺らさぬように降りて、一息。


「……なんだこの状況はッ……!」


 呻くが、返ってくるのは寝息ばかりだった。




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 ――義父が"死んで"から、二月近くが経過した。

 死後、様々な処理を行ってきたが、副総督が正式に総督になり――よって、"総督への呪い"も引き受け始めたのだが――義父、先代総督の私兵であった八卦衆にも、これからの道が示された。

 無論のこと、義父の集めた人材である。俺はともかくとしても。他七名は優秀かつ貴重な人材たちだ。


「ニンゲンの舌ってすごいですにゃあ、アランさま!」

「……そうだな」


 もう2か月近く前になるが――春節祭の数日前になるが。俺は子猫を拾っていた。

 最初は屋敷裏で秘密裏に保護し餌を与えていたが、つい先日、家の中にいれてやった。

 この屋敷――義父の本宅であるこの家屋は引き払う予定であり、俺の住んでいる離れ以外は既に無人である。もう秘密にしておく必要がなかったからだ。

 本来は義父の情婦を含めた複数名が住んでいたのだが、皆ついていってしまった。


「お塩とか、ニンゲン用だとぴりぴり効きすぎて舌が痛くにゃってて! ニンゲンサイコー!!!」

「……そうか。味わって食べろ」


 子猫は、三毛猫で、二股の尻尾を持っていた。

 猫股、と呼ばれる日本の猫だった。

 人間でも、先祖の血が覚醒し、鬼となったり、あるいは獣人に覚醒するケースはあるが、その他の動物であっても例外はない。

 本来は年経た猫が変異するものだと聞き及んでいたが、彼女は子猫であるにもかかわらず、既に猫股となっていた。


「にゃーにゃー、アランさまー」


 眼前。

 サイズの合っていないメイド服を着て、出前の食事をかきこんでいる少女が、それと同じ存在だとは、思いたくなかったが。

 底抜けに明るい笑顔を浮かべながら、パンくずを頬にテーブルに零しながら、彼女は笑った。


「食べにゃいなら貰っていいですかにゃー?」

「……いいぞ」


 皿を少女の方に押しやりつつ、眺める。

 猫のような顔立ちをしている。まだ15、6歳と見える容貌だ。

 身長は152センチ。やや小柄であり、身の細さも相まって小さく見えるし、胸が余計に大きくも見えた。

 鈴のついた首輪と、金色の目、白黒茶色の髪と、片側がへたれたように折れた猫耳、尻から生えた二尾――それらが、猫の姿からの名残である。


「ありがとうございますー!」


 やたらと人懐っこいのと、食欲が旺盛なのも、名残と言えば名残か。

 少女は皿を自分の方に引き寄せ、かきこむように食べる。


「身体が、んぐ、おっきくにゃったせいか、おなかがすいちゃって、もぐ、ぺこぺこでっ」

「……後で話は聞く。ゆっくり食べろ」

「はいですにゃー!」


 食べる速度を全く落さぬまま、少女は答えた。




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 色々と聞くべきことはあった。


「名は」

「特にありませんですにゃー」

「飼われていたのか」

「一応そうだと思いますにゃー」

「場所は」

「覚えてませんにゃー」

「捨てられたのか?」

「んー、よく覚えてませんにゃー」

「なぜ変異した」

「んぇーっと……にゃんとにゃく? できたから?」

「……そうか」


 深く息を吐き、彼女を見る。


「そうなれば、登録しに行かねばならないな。知性ある者は登録しなければならない決まりだ」

「…………? アランさまが言うにゃら」


 香港――に限らずだが――知性ある者、特に人化できる者は、人権を持つ。

 人権を持つからこそ、登録し、戸籍を得なければならない。

 古代から復活したファラオですら、手続きを取る。

 今日は窓口も動いているはずだ。

 しかし、そうなると、と、考え込む。

 住所はひとまずここでいいとしよう。

 新たに発生した新世代の人間扱いで家庭欄も問題はないはずだ。

 保護観察者はひとまず俺でいい。

 生年月日は仮に1歳とでもしておけばいいだろう。

 重大な問題がひとつある。

 名だ。


「確認するが、貴様に名はないのだな」

「そうですにゃー。ずーっと、お部屋の中でごろごろしてるのが仕事でしたにゃー」


 少女を上から下まで眺める。

 目を瞬かせ、彼女は俺を見ている。

 髪はざっくりと肩口あたりで切られている。

 もしかしたら、美容室にでも連れて行った方がいいのかもしれない。

 ともあれ、このメイド服では可哀想なのは確かだ(義父の趣味……否、性癖で、我が家のメイドは少女というか童女ばかりだった)。

 後で義父の情婦に連絡を入れてみることにしよう、と決めつつ、口を開く。


「……キャリコ。お前の名は、キャリコだ」

「きゃり子?」

「……ああ。キャリコだ」


 三毛猫という何とも安直な名前だ。

 気にくわなければ後で変更もできる。問題はないだろう。

 きゃり子、きゃり子と呟くキャリコ――から、視線を切る。

 インターホンが光ったためだ。

 システム系統を切り替えて、客が来た場合こちらに知らせが来るように変更してある。


「客だ。待っていろ」


 んにゃ、と俺の方を見てくるキャリコを置き去りに、玄関の方へと向かう。

 離れから靴を履いて玄関の方へ。

 インターホンに見えた姿は、よく知る男の姿だった。


「ハロー、アラン?」


 背が高く、肩幅も広い男だ。

 その顔面は白い――唇は朱い。女性のように化粧をしている。

 鍛え上げた肉体を持ち、拳一つで大抵のことを解決する、ただの人間――そして、八卦衆が一人だ。

 212センチの高さにある頭を見上げながら、言葉を返す。


「どうした、"傑道"」

「やァ、アタシは八卦衆から抜けるもんでェ? 挨拶しに来たってワケよォ」

「そう……だったな」


 半分以上酒に飲まれていたのであまり記憶がないが、確かにそう言っていた気がする。

 八卦衆そのものを解散するかどうかはまだ決まっていない――義父の私設部隊ではあったが、政庁独自の部隊として残すか、という提言もある。

 残すにせよ再編はされるだろうし、あるいは警察の所属にでもなるかもしれないが。


「香港から出るのか」

「そうなるかもだからァ。ヒマなうちに、挨拶しとこうかってェ話よ。短い間だったが、世話になったわねェ」

「ああ」


 奇妙な容貌であるが、案外と律儀な男だ。

 筋肉を軋ませながら、"傑道"は肩をすくめる。


「それに、ほら? 昨日アンタよ、帰る時の言い訳に、猫に餌とか言ってたでしょう? 三毛猫の猫股」

「あ、……ああ。そうだな」


 正直なところ記憶にないが、そう言ったかもしれない。

 あまり長くない付き合い――八卦衆の中でも最も新しいメンバーである――だが、"傑道"は嘘を言う男ではないと分かっている。


「よく意外って言われるんだけどォ、アタシ猫好きなのよォ。猫股って、尻尾が二股なんでしょォ? 超カワイイでしょ。ついでに見ていけたらいいなって思って?」

「そうか。……人は何を好きでいてもいいと思うが」


 つい先日、よく知った男が映画館から泣きながら出てきたときは何が起こったのかを思わず問い詰めたが、話を聞いてみれば映画が好きなのだという。

 あの男のように子供向けの映画が好きでも別に軽蔑はしない。


「だが、その趣味に合うかどうか。今朝方、人化してな」

「それは、……あァん、あーん。そうなのォ。そっかァ……」


 "傑道"は肩を落として溜息を吐いた。


「人型になっちまうと、なんてェの、違うのよォ……女も男も、アタシを受け止められるようなのじゃないと……ほら、猫系は細っこいからァ」

性欲をぶつける前提か」

「そりゃあ、人型なら性欲が出てくるでしょォ。……と、あの娘?」

「む」


 振り返れば、離れの窓から、キャリコがこちらを覗き込んでいた。

 "傑道"は大きな手を振る。

 キャリコはじっとこちらを見つめていた。


「……そうだ」

「はァん。カワイイ娘じゃない? ……性欲の対象にはならないけど」

「そうか」


 ヒトの美醜はよく分からない。

 義父の呪いがかかった面相を見ても大して嫌悪感が沸かない程だ。

 キャリコの顔立ちは、確かに整っていると思うが、それに対して美しいとは思わない。


「って、アンタ、枯れてるんだっけ。あーあー、勿体ないわねー……」

「……そのように造られたものでな。どうする。上がって茶でも飲んでいくか」

「やめとくわ。"輝光剣"さんをとっ捕まえて挨拶したいし」

「無理に追い立てるのはよせ。なんなら、手紙でも預かるが」

「まあ明日にも出てくってわけでもないからァ。もしダメだったら、お願いするわね」


 じゃあね、と、"傑道"は去っていく。

 後ろから見るとほとんど正方形――恐ろしく鍛えこんだ男である。

 顔に白粉を塗らなければ、その性欲を満たすのも多少は簡単になるのではないだろうか。


「……好きだから、か」


 好きだからああしているのだろう。

 性欲を満たすよりも、自己を表現することに重きを置いているのだろう。

 納得しつつ、改めて離れに戻る。

 キャリコは窓の桟に顎を乗せて、うにゃうにゃと言っていた。

 半分眠っているようだ――朝の光が気持ちいいのだろうか。

 完全に顔が緩んでいた。


「キャリコ」

「うにゃっ」


 呼びかけると、ぴん、と耳が立った。

 がばっ、と起き上がる姿は、それこそ猫に近い。


「出かける」

「……にゃー!」


 キャリコは窓枠に足をかけ、飛び出てきた。

 軽やかに俺の方まで走って来て、輝く瞳で俺の方を見上げてくる。

 昨晩も見た瞳だ――昨晩はまだ、猫の姿だったが。


「……今すぐではない。出かけるから準備をするということだ」


 溜息を吐きながら、一度離れに戻る。

 後ろを、裸足のキャリコが付いてくる。

 まずは、サイズの合っていない服や靴をどうにかせねばならないだろう。




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 異様な男が、歩いていた。

 あまりにも筋骨隆々。2メートルを超える身長であるが、正方形にすら見える体格である。

 肩には腕の代わりに脚が付いているかのようだ。三角筋の盛り上がりは、ほとんど尻のようですらある。

 胸筋の盛り上がりも著しく、足元を見ることも難しかろう。体重は200キロを超えるだろう。

 バスケットボールを掴んで潰せそうな大づくりの手指で、彼はスマートフォンをつまんでいた。


「……操作しにくいわねェ、ホント……」


 指の直径は、常人の倍以上であろう。

 彼は白粉を塗った顔をしかめながら操作し、そして顔に近づける。

 ……ややあって、彼は話し出した。


「ハロー? アタシだけど。元気してたァ?」


 のしのしと歩きながら、通話する。


「え? 忙しい? うん、そうみたいねェ。応援はいる?」


 スピーカーからは、何かが連続して破裂するような音が聞こえている。


「んー、分かったわァ。今どのあたり? ……オーケー、急いで向かうわねェ。で、用件だけ、一応ねェ。ほらァ、前アンタが言ってたじゃないのォ」


 まるで銃声のような音を聞きながら、彼は――"傑道"は、筋肉を軋ませ駆けだす。


「三毛猫の猫股を見かけたら教えろ、って。見つけちゃったのよね、アタシ」


 彼は――"傑道"は、笑いながら語る。


「……そ。場所はアタシが知ってるから、後で一緒に襲いに行きましょうねェ?」


 ――4月。

 春の陽気も麗らかに。

 今日も香港は騒々しい。