〜分析結果サンプル〜
「…………。」
悪くないチョイスだった。
いや、良い。俺にとっては良いチョイスだ。
「ダメ、、、ですか?」
不安そうな結菜の顔を見て、ハッとする。
「いや、そうじゃない。」
「……もしかして、ボクがフルーツパーラーみたいなところとか、エスニック系とかオーガニック系とか、そういう女性受けしやすそうなところへ連れていくって、思いました?」
「……正直、そうだな。」
「ふふ、女性受けしやすいということは、女性だらけってことですから。」
そんな、晴彦さんにとって居心地の悪いところへは行きませんよ? と、言外に告げてくる。
「じゃあ、どうしてここへ?」
目の前には、老舗ホテルの一階に入っている天ぷら屋。駅の人気が無い方の改札を抜けて、ちょっと歩いたホテルに連れて来られて、ビックリした。
どうして、こんな所を知っているのか。俺も存在は知っていたものの、通勤途中の駅だから、お昼に寄るには遠いし、夜はここまで来なくても職場の周りに美味しい所なんていくらでもあった。それで、どうにも足が伸びなかった。
だが、一度は来たいと思っていた。
「一度、来てみたかったんです。でも、ボクみたいな女子高生がどんなに着飾っても、浮いちゃうのはわかっています。」
結菜は絡めた腕を、少し強く抱いた。
胸の生暖かな感触が、シャツ越しに押し付けられていてもわかる。
「ほら、見てください。天せいろとかもあるんですよ?」
指差す先に、ホテルらしい素朴なメニュー表が立て掛けてある。
ここの料金設定は知らなかったが、デートの昼ご飯としては妥当な範囲のそれを見て、結菜の事だから事前に調べていたんだろうなと納得しつつ、そもそもデートのお昼にしては渋過ぎるチョイスだと思った。
「ふうん。まあ、行ってみようか。」
「いらっしゃいませ、当ホテルの……いえ、2名様ですね?」
手で宿泊客ではないことを伝えながら、店内を見回す。
俺も、ネットの写真しか見たことが無かった。が、やはり良いセンスをしている。
随分とまあオシャレな造りじゃないの?
ホテルのバーだって言われても通じるだろ、このシックな感じは。
落ち着いたダークブラウンカラーの店内は、真ん中にUの字型に突出したカウンター席があって、壁側にはいくつか、目隠しの向こうにテーブルも見える。
客も疎らにしかいない。
メインは、夜。サービスとしてお昼も開けている、そんなところだった。
そして、このためか。と、納得した。
だから結菜は洒落たOLみたいな恰好で、俺もドレスシャツなんて着させられたのか。
店員に案内されたカウンター席に、結菜と並んで座る。ちょうど、Uの字のカーブがキツくなっているところだった。
座って、早速ランチメニューを詳しく見る。
「晴彦さん。」
「うん?」
「ボクは、オススメの天蒸籠がいいですね。」
そういえば。
全く気にしていなかったが、結菜は随分と熟れた様子だよな。まるで、来たことがあるみたいな。もしくは、こういうところに良くくるような。
俺は課長に連れられて、居酒屋以外にも多少はバーとかにも行ったことがある。商談のあとに担当の人と親交を深めるのに役立つから慣れておいた方が良いと言われたっけ。
最近の女子高生はこんな雰囲気の店に慣れるほど来るのか?
まさか。
「結菜。」
額を小突いてみた。
「あっ、わわっ。な、んですか?」
途端にボロを出して、直ぐに取り繕うような澄まし顔になる。
ああ、安心した。
「いや、なんでもない。」
安心した、か。
今朝だって、結菜は俺を安心させてくれたばかりじゃないか。
大丈夫か、俺。
「ふふ。変な晴彦さん。」
とかなんとか言いながら、結菜はテーブルに投げ出された俺の手に、手を重ねて、もう少し身を寄せる。
「晴彦さんは、どれにしますか?」
そして何事も無かったかのように小首を傾げた。
「結菜と、同じものにしようかな。」
「はい。一緒ですね、ふふ。」
さすがに注文まで結菜に任せるほど、動揺が続いているわけじゃない。隅で注意を払っている店員を呼んで、飲み物と料理を注文をする。
店員が去って、直ぐに結菜が口を開いた。
「ここ、季節の天ぷらと変わり種が美味しいんですって。」
「へえ。そりゃ美味そうだ。」
「今の季節は、栗と――え? サボテンの新芽……?」
「サボテンの新芽?」
なんだそりゃ? サボテンに新芽もクソもあるのかよ。
「え、は、はい。」
「本当だ。」
「ふふ。」
「ははは。」
結菜と二人でクスクスと、擽ったそうに笑った。
シュワーッ。
Uの字の真ん中にある調理台から、天ぷらを揚げはじめる爽やかな音が弾ける。
俺も結菜も一瞬話すのを止めて、その鍋を見入る。
なんというか、天ぷらの揚がる音は本能的に食欲を刺激するのか、期待感が高まる。
その光景をなんと言い表したものか、結菜とこの気分を共有したくて振り向いた。
結菜は手で隠しながらだが、紙ナプキンの端を咥えてモニュモニュと唇を動かしていた。そして、それを引き抜いて折って畳んで脇に置いた。
「もぅ、見ないでくださいよ。」
大人びたOLみたいな姿で、少女のように唇を突き出して、可愛く抗議する。
その仕種にドキッとした。
そして、ハッと気付いた。
ああ。そうか。口紅を落としているんだと、気付かせるために抗議しているのか。
昔、言われたことを思い出した。
気合い入れて化粧をしているときはフレンチや、せめて懐石料理みたいな、自分で一口のサイズを調節しやすい食事じゃないと、口紅とか化粧を食べてしまって楽しめない、と。
だから、昼のデートと夜のデートじゃ――そもそも光の加減で化粧のコンセプトも変わるけど――化粧を変えるのは当たり前で、ご飯はそれを考えてくれないと困ってしまう、というか気が利かないって思ってしまう、と。
天ぷらは齧り付く物だし蕎麦は啜る物だ。……どう考えても口紅の天敵だな。というか啜ったらツユが飛ぶから、やたら食べ辛いだろうな。
それは結菜もわかっていた。化粧の事も考えれば、やはり、別のホテルのビュッフェとかの、一口ずつで食べられる料理を出す店に行くべきだった。
俺の好みを考えて、外さないチョイスを考えて、ここ以外に思いつかなかった、とかか? そんな気遣いをしていることを、気付かさせられた。
どうして、なんて決まっている。
俺だって女子高生相手に金を出せなんて、みっともない真似はしない。結菜もそれは最初からわかっていた。
結菜はお昼ご飯の選択を俺側に寄せたのだから、口紅を塗りに席を立った時にでも支払いを済ませて欲しい、と告げているんだろう。
なら、この可愛い抗議に対する返答は、出来る限りスマートに済ませるべきだ。
「いや、驚いた。」
「……?」
「口紅一つ取れただけで、随分といつもの結菜に近付くんだなって。」
「むぅ。」
「今は、ちょうど大人びた結菜と普段の結菜の間くらいで、お得な感じだよ。」
「お得、ですか?」
「可愛くて綺麗な結菜ってこと。」
「そっ、そうですか……?」
「だから、あとで化粧を直せよ。」
「可愛いのはダメ、ですか?」
「凄く綺麗な結菜が見たい。」
「そ、うですか……/// 恥ずかしい、ですね。。。ボクを恥ずかしがらせて、どうしたいんですか?」
「さあね。どうにかしたいんじゃないかな?」
マジで何を口走ったんだろうね。
柄にも無い、、、こともないか? 高校時代、据え膳は有り難く頂く物だと教わったが、ついでに、膳を据えられる努力をしろ、そのために、ピエロ役になるならソイツはカッコイイとも、教わったな。
確かにそれで、大学も新入社員時代も、割りと上手く立ち回れたか。その時代には、こんな、歯の浮くようなセリフなんていくらでも吐いた気もする。
柄にもなくなったのは、いつからだろうな?
そんなことをつらつら考えていたら、ジュースが届く。
久しぶりに恥ずかしげもなく吐いた言葉に、今更気恥ずかしくなって、だが、嘘っぱちに出来なくて、照れ隠しに俺からグラスをコツンとやった。結菜はまだグラスに手をつけてすらいなかった。
俺はそれを気に留めもせず、中身を3分の1も呷る。……そういえば、こいつはジンジャエールでビールじゃなかったな。口の中がシュワシュワと辛い。
そんなふうに俺が自滅していたら、蕎麦が届いて天ぷらはカウンター越しに目の前から出される。
それを幸いに、いただきますなんて大袈裟に言いながら、結菜を盗み見る。
洗練された所作で手を合わせて、結菜もいただきますと俺に合わせて言っていた。なのにどこか可愛気があって、落ち着いた見た目とギャップがあった。
天ぷらも蕎麦は最高だった。天ぷらが美味しいのは勿論だが、ホテルらしいソツのない蕎麦も良かった。
*** ***
「こっちですよ。」
決してグイグイと引っ張られているわけではない。
俺の腕に結菜は自分の腕を絡ませて、身体を傾けて微かに方向を示すだけだ。
気付かないほど細やかに先導されていて、まるで俺が自分の意思で歩いている気分にさえなる。しかも先導するために僅かに揺らされる俺の腕が、結菜の身体のあちこちに当たって、それを無意識のうちに意識しないようにするから、余計に先導されていることを気付きにくくしていた。
そんな結菜の気遣いに気付いたのは偶然だった。
結菜は普段から、セリフの元気さに似合わず、はしゃがない。だから、行動を見ているだけなら、結菜を静かで大人しい性格だと思うだろう。今は、あえて大人びて見えるように、さらに落ち着いた所作で言葉遣いも変えようとしている。
だが、所々でボロが出る。咄嗟に対応できないとき、驚いて、大人の仮面が剥がれて落ちる。
例えば。
気分が上がるときのエネルギーの圧の違い。それが見た目よりずっと若いものだから、見た目の落ち着いた感じとの違和感を隠せない。
大人びた結菜の正体を知っている俺からすれば、それは大人の女性と少女の重ね合わせに見える。今日の結菜は、将来の結菜の成長の先を予感させるのに十分で、その透明な女性の仮面の下の少女の結菜の表情が透けて見えた。
大人びた女性の仮面と少女の表情のギャップに、俺は戸惑った。
戸惑った、は、嘘だ。
ドキッと心が躍ったことが、恥ずかしかった。それを取り繕う方に必死で、結果的に戸惑ったような感じになっている。
だからか、瞬間的に硬直した身体が動かされたことに気が付いた。腕を、引かれていた。
気が付いたから、俺は思い出した。結菜は、俺の服を選びたいんだっけか。じゃあ、任せちゃえばいいだろ。
そういうわけで俺は、結菜にお願いしたわけだ。「どこで服を買うんだ?」と、一方で丸投げに近い問いに乗せて。「こっちですよ。」と結菜は嬉しそうに、誘導するのを隠さなくなった。
別に怒りゃしないのに。
出しゃばっているなんて思いもしないのに。
何となくムシャクシャしたから、信号待ちの時に結菜の前髪を空いてる片手でクシャクシャに散らばらせてやった。
「わっ♡」
なんでか結菜は楽しそうだった。
楽しそうな結菜が可愛かったから、そのまま前髪を撫でて整えてやった。
「むふふー♡」
*** ***
良い品は良い値段がする。
「晴彦さんは、休日にお出かけするときしかオシャレをする必要が無いので、パンツが二つ、着せ替えパターンで印象をガラッと変えられる、似た種類のトップスが三つもあれば十分です!」
なんでも、冬はコートやカジュアルジャケットなんかで色々バリエーションを増やしたりごまかしたり出来るから、俺が暑がりなのも含めて秋から春までは上三つ下二つの組み合わせで十分。夏は装いをガラッと変えることで印象を操作すると良いらしい。
それを着こなせるようになって、初めてポロシャツみたいな物に手を出した方が懸命だと諭される。
俺としては、安くあがるなら何でも良いやと、、、思っていた時期もあった。
俺はガタイが良い上に脂肪を纏っているから、基本的に普通の服屋に合うサイズは置いてない。この街で俺が知っているのは二軒だけ。結菜は、少しだけ大きな服が売っている店と、古着屋を加えて四軒も知っていた。
そして、それを全部回った。
一軒々々の全商品を、さっと見て一着か二着だけ選んで次の店に向かった。歩き回ったこと自体は面倒でもあったが、即断即決で異なる店の商品なのに似たような感じというか、同じブランドの商品だと言われて納得しそうな物を選んでいく手腕は見事だった。
気付けば1時間で4万円ほど無くなっていた。
「ふぅ。」
良い仕事をしたとばかりに、ズボンを変えて更衣室から出てきた俺を見る。
そして、またパシャリと写真を撮った。
昼飯を終えてからこっち、何かにつけて写真を撮りはじめるようになった。なんでも、お昼ご飯で写真を撮るのは失礼に当たることも多いけれど、デートを写真に収めたかったらしい。
それじゃあ仕方ねえかと、撮らせるのに任せていたら、いつの間にか俺のスマホも取り上げられて、俺とのツーショットをストレージの肥やしにしていった。
「惚れ直したか?」
「直してないですよ? ずっと、上がっていますから。」
軽口のつもりが、返しで一発KO寸前まで追い詰められる。
構えたスマホから覗くように首を傾げて、当たり前のことを何でもないとばかりに、結菜は答える。
「……じゃあ、落ちないように努力しないとな。」
「はい。」
こりゃ、しっかり尻に敷かれるイメージしか湧かねえな。
そして、腕に腕を絡めてきて、またパシャリとツーショットを貯めていく。
「それ、どうしたいんだ?」
俺のスマホだ。ツーショットなんてあっても放っておかれるだけだ。
「魔よけです。」
「魔よけ?」
「晴彦さんのスマホには、思い出らしい思い出が、Lineのメッセージしかないじゃないですか。ボクは、もっとこのスマホを思い出でいっぱいにしたいんです。」
「なんで、それが魔よけになるんだ?」
むぅ、とアヒルみたいな口を小さく突き出して、気付いて欲しそうな瞳を向けるが、わかってて尋ねているんだと、視線に乗せてみた。
ピクリ、と結菜の被虐心でも刺激したのか、クチバシが引っ込んで笑顔になる。
「いつか現れるかもしれない泥棒猫さんに牽制するんです。もう、晴彦さんの心の中はボクでいっぱいだよっていう証拠にするんです。」
「そうか。」
「だから、ボクのスマホも晴彦さんの写真でいっぱいにしちゃいたいんです。でも、まずは晴彦さんの、からですね。」
俺にスマホを押し付けた結菜は、そこで腕を解いて、コツコツコツ、っと先に行って振り返る。
「……ボクを、いっぱい撮ってくださいね?」
悪戯っぽい視線。何てこと無い立ち姿が、まるで雑誌の、ファッションモデルのポーズのように色っぽい。
あれか。手首を上向きに返して、軽そうなバッグを腕にかけている。そのポーズが結菜を"女性"らしく見せるからか。
「じゃあ、このあとは結菜の服でも見に行こうか?」
「え?」
「じゃなきゃ、結菜をバシャバシャ撮れないだろ?」
「いいんですか?」
「ちょっと時間がかかっても、まあ。」
「そうですか? ホントに良いんですかっ?」
きっと、結菜は昼飯の時みたいに、女性が多いことを気にしているのだろうが、そもそも女性服の店だ。
……俺みたいなデカイ男は目茶苦茶目立つな、うん。
あれ、早まったか。
とはいえ、デパートみたいな色んな店が詰め込まれた、このビルの中にある女性服の店だから、そんな軽い後悔を余所に、エスカレーターを下ってすぐに着く。
色彩の配色から違う、完全にアウェーな場所。
こんなところでは、男は縮こまって時が過ぎるのを待つか、退散するしかない。優男じゃないからソツなく寄り添うみたいな事は俺には難しいし、どれが結菜に似合うか探すために、服に触れることに躊躇いがある。
だというのに、結菜は俺の腕を取って、あっちこっちと楽しそうに歩き回る。俺の腕に腕を絡めたまま、片手でハンガーに掛かった服を物色し、時折俺から離れて身体にあてている。店内の姿見に映る自分の姿を、そして写真に収めている。
そして、何かを確信したように頷いて、また俺の腕に戻って、次はあっちと引っ張っていく。
「これ、どうですか?」
「いいんじゃないか?」
パシャリ。
「こっちはどうですか?」
「うーん……?」
「さっきの方が好みですか。」
パシャリ。
「なんで、そんなに撮っているんだ?」
「これはレシピなんです。」
「レシピ?」
「はいっ。こんなにたくさん服を買うことは出来ないですけれど、お洋服の組み合わせを試したりして、残しておくと、後で参考になるんですよ?」
「そうなのか。」
「それに、ですね――、」
結菜は服を合わせながら俺の腕を取って、器用に姿見に映った姿を写真に収めた。
「――こうして写真に収めると、客観視がしやすいじゃないですか? 今、ボクが選んだ服装は晴彦さんの隣に似合うかなって。」
そう言って、フワリと微笑んだ。
そんな顔されたら、何も言えなくなる。
「なので、――あ、マユさん。」
「はーい。……ん? ん? って、もしかして、結菜ちゃん?」
「はいっ。」
「え!? うそっ!? あっ、でもそうだよね?」
言葉の途中で結菜が誰かに声をかけた。
咄嗟にそっちを向けば、服を畳んでいる店員。
それが小走りに駆け寄ってくる。
「いらっしゃい! 今日も色々見ていってよね。」
「はい。あ、でも。」
「まあまあ、見ていって着てくれるだけでいいから! っていうか、今日はなんだかすっごいフェミニンな大人スタイル? っていうかお隣りの方を紹介してよ。ね?」
アパレル業界特有の鋭角に抉るような下から這い寄る熱量と、直接的な圧を持ったその人は、店長のネームプレートをつけて、俺に振り返って、そしてさっきまでの雰囲気が無かったかのような澄まし顔になった。
「紹介が遅れまして申し訳ありません。Pinna2号店の店長をしていますマユと申します。結菜さんには私の趣味である、綺麗で可愛い子にウチの服を着てもらって、その写真を撮らせていただくためのモデルをしていただいております。その代わりに着ていただいた服の幾つかを素材代のみでお譲りしておりますし、写真も個人の趣味の範囲を逸脱しないようにしております。」
キリッという音が聞こえてきそうなほど態度を変える。
「これはご丁寧に。結菜の彼氏の望月です。」
なんとなくテンパっているのか、ついデザイン部の連中や、他社様と出先のスタジオで挨拶をするときのような態度をとってしまう。
「こちらこそ、ご丁寧にどうも。……っていうか、結菜ちゃん初カレ?」
「え、はいっ、そうですね。」
スウッと目が細められて、値踏みをされる。
「ふんふん。なるほどねー。そっかそっか。」
こういう視線は苦手だが、嫌いではない。
なにより、慣れている。
「ちょっと、結菜ちゃんおいで。」
「あ、え。」
結菜がこっちを向いて心配そうにオロオロする。
「行っておいで。」
「は、い。」
結菜は躊躇いがちに離れていって、マユさんと少し話す。合間合間に結菜もマユさんもこちらをチラチラと見てくるが、あれは、結菜が軽くからかわれているのだろう。
お、結菜が恥ずかしそうな様子で戻ってきた。
「あの、晴彦さんも来てください。」
なんだなんだ?
「ふふーん。私、結菜ちゃんに頼まれちゃいましたからね!」
「よろしくおねがいします。」
「望月さん。」
「はい?」
「ご予算は、いかほどでしょうか?」
なるほど。この店長、結菜が高校生だって、正しく知っている側の人間だったな。
「この辺を3着分くらい?」
「あら、結菜ちゃん愛されてるわ。」
「もうっ!」
俺が指差したの辺りは、1万~1万5千円程の服が並んでいる。
「そのくらいの予算なら、トータルコーディネートでも2~3パターン作れそう。」
「あの。」
「はい? なんでしょう?」
「結菜は、マユさんに何を頼んだのですか?」
結菜は、それを聞いてしまうのか、という顔をする。
「ああ、ああ! ごめんなさい、説明していませんでした。さっき結菜ちゃんにちょっと色々聞いていたら、望月さんの隣に並んで恥ずかしくないコーディネートで悩んでいる、とのことでしたので、不肖私めがお手伝いの手を差し上げようかと。これでも本職ですので。」
「なるほど?」
「全部言わなくってもっ! も!」
あっけらかんと明け透けなマユさんの言葉に結菜がアタフタする。どうしてか、そんな姿を見ると、少しホッとする。
「もうっ、晴彦さん行きますよっ。」
「ああん、怒らないでって。」
「知りません。」
俺は、結菜に腕を取られて「STAFF ONLY」の表示の先にある試着室の前まで連れていかれる。
「マユさんは?」
「服を取りに行くそうなので、放っておけば良いんです。」
結菜が、プリプリしている。
「まあ、悪い人じゃないんだし。」
「だからです! さっきだって、本当はそこまで言っていなくて、ですね。もうちょっと大人っぽい服とか、マユさん目線でどうかなって、アドバイスを頂けたらと思ったんです。」
なるほど。結菜としては、俺との関係を詮索されるだろうとは思っていたものの、あの場で服についてどうこう聞いてすべて片が付く予定だったわけだ。それが一瞬で話を大事にされたものだから、好いようにこんなことになって、ちょっとお冠っていうオチだ。
策士が溺れたな?
「……そんなに、背伸びをしなくても、」
「うー。」
結菜が、俺を恨むような目で見る。
確かに今みたいな大人っぽい結菜の方が、仕事で接している女性のような見た目だから、色々わかりやすいだけで、そのうち手に入るものを今すぐ欲しがるほどせっかちじゃない。
「はいはーい。今日はデートらしいので、コンセプトが異なる2パターンで攻めてみるよ?」
マユさんは追いついて早々煩いくらいだ。
「こっちが、今の大人上品フェミニンスタイルをもっと強調した感じのコーデね? で、こっちは大人のお嬢様の休日コーデ。どっちから着る?」
……正直、大人のお嬢様の休日コーデ、良い。
「じゃあ、こっちからにします。」
結菜は、大人上品フェミニンスタイルの方を選ぶ。
「そっかー。じゃあ、パパッと着ちゃってて。私はカメラとか持ってくるからね!」
「はーい。……あ、晴彦さん。覗かないでくださいよ?」
これは、覗けということか?
「わかった。」
まあ覗かないけど。
けど、ごそごそと聞こえる音から色々想像をするのはアリだろう。
お、今、上のブラウスを脱いでるな。
結菜はブラウスを脱いでからスカートを落とすのか。
ふむ。
「ねえ、望月さん。」
「なんでしょうか。マユさん。」
気付かれないように忍び足で戻ってきたのか、かなり至近距離から声がして、それに驚かなかったのは褒めて欲しいくらいだ。
「結菜ちゃん泣かしたら、私、許さないですよ?」
「肝に銘じますよ。」
「でしたら、私はこれ以上何も言いません。」
そいつは面倒が少なくていいや。
しかしまあ、結菜もずいぶんと色んな人から愛されてるじゃないの。
「まあ、結菜ちゃんとは、まだ1年半くらいしか付き合いが無いので、私程度が何を、と思われるかもしれませんね。」
「一つ、聞いても?」
「なんでしょう?」
「俺は、あまり洋服の値段には詳しく無いですが、それでも、ここの料金設定的に、ターゲットは大学生では?」
「ああ、そうですね。メインターゲットは、確かに大学生から20代の女性です。……結菜ちゃんも、初めてショーウインドウを通してトルソーに着せられたウチの洋服を見ていた時は、溜め息だけでしたっけ。」
ここは、ショーウインドウの後ろに壁が無く、店内を見通せる。逆に言えば、中から店内を見ている人の様子もわかる。
「あら、そういえば。……あの時見ていたのって。」
「どういうものでした?」
「……いえ、お客様に少し嫉妬しそうですね。あのときの結菜ちゃんも、背伸びをしたようなちぐはぐ装いでした。すでに、ほとんど完成されていましたけれど、捕まえておくなら今のうちだと思ったんですよね。だから声をかけて、私の趣味に付き合ってもらっているんです。……そのとき見ていたのもウチの商品じゃ、大人向けのコーディネートで、結菜ちゃんによく似合っていました。」
――シャッ。
「あの、着替え終わりました。」
マユさんの言葉に何と答えたものか。それを逡巡しているうちに、結菜がカーテンから顔を覗かせた。同時に、マユさんは目を輝かせて首から提げた一眼レフを構える。
早業だった。
そして、結菜が怖ず怖ずと出てくるのをワクワクした顔で待つ。
「どうですか? 晴彦さん。」
「ぐはっ、この私を完全に無視した感じ! いいよいいよー!」
バシャバシャバシャ……。
マユさんは様々な角度から余すことなく結菜を捉える。
けれど、そんなことはどうでも良かった。
「結菜。」
「はいっ。」
綺麗だった。
可愛かった。
俺には勿体ないほどだった。
女優みたいな、という例えはチープだった。
そんな、平均的に美人や美少女が集まるグループに入っていてもおかしくないなんて表現じゃ、目の前の結菜にアヤを付けるようで、ケチを付けるようで、困った。
そう、困った。
言葉が見つからなかった。
だから、何かを言えと、主に拳で教えられてきたのに、二の句を繋げない。
こんな、為体を晒すなんて。
「んふふー。可愛いですか? そうですかー。」
一言も話さない阿呆から何を見つけたのか、結菜は得意気に、満面の笑みだ。
そのままスカートの後ろの方をちょこんと摘んで、胸を張ったポーズをとる。
「どうですか? 晴彦さん。」
「うん……。うん……。神が、おる。」
マユさんは途中から壊れて何を言っているのかよくわからない。
「晴彦さんも撮ってくださいよ。」
「あっ。」
忘れてた。
しかし、さすがの唐変木でも直ぐに、結菜がここの服を身体に当てて、コーディネートのレシピを考えたり、客観的に見るための材料にするために写真を撮っていたのは覚えていたから、言われてスマホを構える。
「あ、やっぱり、なんだか擽ったいですね。」
パシャリ。
写真は、視線を見える形にする。俺がどの角度でどういうふうに見ているか、結菜にも、それがわかってしまうのがこそばゆいのか。
「結菜、こっちを向いて。」
「はぁい。」
パシャリ。
シャッター音に擽られて、結菜は身動ぎをする。
「いいよ……。いい。結菜ちゃんマジ女神。。。」
「晴彦さん的には、何点くらいですか?」
「……満点。」
「……///」
フランス料理とかの、高級な有名食材をメインにしたコースのこれ見よがし感とでも言えば良いか。フォアグラのソテー、松阪牛のステーキ、何とかの何とか風~トリュフを添えて~、みたいなケバケバしさ。そういう押しつけがましい美女なら、いくらでもいる。
結菜はそうじゃない。
贔屓だろうし、盲目過ぎるかもしれない。
だとしても。
結菜は、調理の技術力だけで高級食材を凌駕していくシェフが選んだ季節の食材を使った、洗練された料理のように、一見するとパッとしないコースの内容だ。
美女になりかけている美少女が、洗練されたOLの恰好をしている。
頭がいくつも飛びぬけている。
「つ、次のに着替えてきますね?」
結菜に、逃げられた。
「くぅ~。」
ふと、気づけばマユさんが隣で口元を拭っている。
「いやぁ、良いもの見させて撮らせてもらいました。」
「そうですね。」
「今日、ここに来た時の結菜ちゃんも可愛かったですが、もっと可愛くなったって、思いませんか?」
「ええ、言葉もなかったですよ。」
「うわー、そんなことサラッと言えちゃうんですね。……お兄さん、何歳なんですか?」
「俺ですか? えっと、36歳かな?」
「犯罪ですね。」
「知ってますよ。最近は、光源氏だなんだと言われています。」
「光源氏……? ああ、幼女を誑かして好みに育てたうえで美味しくいただいたド変態ですね。」
「言葉のトゲを隠せてないですよ。」
「羨ましい限りです。……ああ、そっか、わかりました。私はまんまと結菜ちゃんのファッションセンスを上げるお手伝いをさせられてしまっていたんですね。」
「恨みがましい目で見ないでくださいよ。」
「だって、結菜ちゃんですよ? この先、あんな美少女を見ることなんてないと思います。そりゃ、声もかけちゃいますし、気もかけちゃうじゃないですか。ずるいですよ。」
「結菜は可愛いですから。」
「それが、望月さんに全部持っていかれちゃうなんて、なんだか腑に落ちないというか。……ああ、そうです、望月さん、これからもご贔屓にお願いしますね。」
「それは結菜次第ですが。」
「それはそうなのですが、望月さんも綺麗で可愛い結菜ちゃんをいっぱい見たいじゃないですか。なら、ウチの商品なんてすごく結菜ちゃんに似合うと思いませんか?」
「すごい自信ですね。」
「本職ですし、1年半も結菜ちゃんを見てきましたから。……正直、ウチの商品って、人を見て作っているんですよ。何人か、結菜ちゃんみたいに私の贔屓のお客様がいらっしゃって、その子たちのためにどんなお洋服を作ろうかなっていうのがモチベーションになってるっていうか。だから、結菜ちゃん用のコーディネートなら負ける気はしないですし。」
「なるほど。」
「あ、そうです。……こちらが、ウチの名刺になるんですが、ああ、これはどうも望月さんのお名刺ですね? 私の方は、裏にPinna一号店の場所が書いてありますので一度いらしてください。」
癖で、渡してしまった。
「あれ、けっこう有名な企業じゃないですか。企画部の係長をなさっていると。」
「一応は。」
「ウチの商品をこっそり衣装として使ってくれたりしません?」
「それはウチの広報とデザインの方と話し合わないといけないでしょうね。基本的には衣装は外注なので、衣装屋との関係もありますし。」
「まあ、そんなに簡単にはいきませんよね。……というのはさておき、私の名刺に書かれてる一号店ですが、ここからだとちょちょーっと遠いのですが、そっちは姉がランジェリー専門店をしていまして、姉も贔屓の娘がいるんですけど、その娘も胸が大きいから、割りといろんなサイズを取り扱っているんです。」
「なるほど?」
「まあ、姉妹ですから、ウチの商品とも合いますし、結菜ちゃんも気に入るデザインを取り揃えている自信があります、、、けど、ちょっと遠いですから、今まであまりお伝えすることができなかったんですよね。」
確かにちょっと遠いから、この店のために行くのは躊躇われるか。が、そっちの方面にドライブがてら寄るのなら、そんなに遠くもない。
「営業がお上手ですね。」
「そんなことないですよ。」
「――あの、着替え終わりました。」
そんなことを話している内に、結菜が着替え終わっていた。
しかも、こっちはこっちで盛り上がって、試着室のカーテンを開ける音も聞こえて――、
「ををを!?」
マユさんが、残像を残して消えた。
シャッター音がするからその辺にいるのだろう。
「結菜。」
「はい。」
ゾクッとした。
背筋が、冷えた。
有名食材を使わなくても技術で魅せる料理人はいる。
なら、そんな人が美味いとわかりきってる食材を使ったら、どうなるのだろうか。
素材のネームバリューに惑わされないどころか、それを凌駕する技術で洗練されている。
そんな不安定な美少女と美女の間で揺れる儚げな女の子が、結菜だ。
「どう、ですか?」
結菜が天使なら、俺はその羽根をもぐようなことを妄想する。
どうにかして穢して引きずり降ろしたい。
そう、されても結菜は穢れることなんてないんじゃないか。
端的に、最高だ。
「ここまで可愛いと、感覚がマヒするな。」
「ありがとうございます……?」
パシャリ。
俺は、気づいたら写真に収めていた。
これを撮らずして何のためのレンズか。
相変わらず、俺のスマホのシャッター音がこそばゆいような結菜を撮る。
あ、そうだった。
「マユさん。」
「うへへ。――ハイなんでしょうか。」
「これ、いくら?」
「あ、お買い上げありがとうございます。このまま着て行かれますか?」
「そうだな。靴とも合うし、このままでもいいか。」
「あ、晴彦さんっ。」
「ん?」
「ボク、こっちの服だけで大丈夫ですからね?」
「何を言っているんだ勿体ない。さっきの服だって、」
「ダメですよ、晴彦さん。……マユさんにも言ってますが、ボクは一番似合ったのをひと揃えだけしか買わないよって決めているんです。」
「そうなんですか?」
「……ええ、だから、私も結菜ちゃんに似合うお洋服を必死に考えないと納得してもらえないですからね。今までは可愛い感じのばかりをお選びいただいてましたけれど、これからはグッと大人感がこなれた感じのものもご用意させていただく予定です。インスピレーションが湯水のように湧いて出ております。」
「わかった。」
俺が出したクレジットカードをマユさんは渋々受け取って、レジに向かう。
「そうだ、晴彦さん。」
「どうした?」
「こっちのお洋服なのですが、さっきのとは違って、ボタン留めじゃなかったんです。だから、お化粧が付いちゃわないか不安で、口紅だけ、またとっちゃったんですよね。」
そう言いながら、結菜が近づいてくる。
ああ、結菜がやたら儚く見えたのはこのせいか。
「このままこのお洋服を着て行っていいのなら、晴彦さんに、口紅を塗ってほしいです。」
そんなことを言って、結菜は口紅を渡してくる。
呆気に取られて受け取ってしまい、気づけば結菜は両手を後ろで組んでキス顔で背伸びをしていた。
俺の手は、少し震えていた。
ちょこんと、口紅を唇に当てる。
外から内側に塗ると、聞いたことがある。下唇の右から中央、左から中央。上唇の右から中央、左から中央。
ぐにゃっと歪む唇が、艶めかしくてエロい。
塗るごとに、結菜の唇の隙間から、何かの吐息が漏れ出る。
その意味は?
なんでこんなことをさせるのか。
もうどうにでもなれと、俺はワケのわからないプレイをさせられている気分になる。
「おおう……。なんですか、そのプレイ。」
最後に結菜が唇をムニュムニュしているあたりでマユさんが帰ってきた。
「口紅を塗ってもらっていただけですよ?」
「わー結菜ちゃんが知らない間に大人になっちゃってた。」
「そうでもないですよ?」
「ハイハイ。わかりましたバカップルですねごちそうさまです。あとこちらが領収書です。お安くしておきましたよ?」
確かにめちゃくちゃ安かった。手間賃が入ってないんじゃないか?
これは、姉の方の店にもいつか行かないと悪いな。
結菜が手早く元々着ていた服をまとめると、マユさんが持ってきた紙袋に入れた。
「マユさん、また来ますね。」
「はいはい。今度は彼氏抜きで頼みますよ。」
「わかりました。」
「じゃあ、これで。」
「ありがとうございましたー。」
最後はやる気のなくなったマユさんに見送られる。
そして透かさず結菜が右腕に腕を絡ませてくる。必然的に左腕で荷物を全部持つことになるが、袋の数にしては軽い。
色々、店を巡ったな。
*** ***
路に出て、デートの用が無くなったことに気が付いた。
「なあ、結菜。」
「なんですか?」
「今日の予定も終ったし、デザートでも食べに行こうか?」
「はいっ!」
「ところが、俺はそういうのに詳しくなくて。どこか良いところは知らないかい?」
「仕方ないですね、……あっちに良いところがあるんですよ?」
と、ちょうどレコードショップの前を通りがかる時だった。
「――希埼、先輩……?」
自動ドアが開いて、なよっとした高校生が驚きの表情とともに、ありえないものを見るような目で結菜を見て、それから何か辿るような視線で俺に視線を向ける。
俺を見て、瞬間湯沸かし器みたいに、わかりやすくイラついていく。
「希埼先輩ですよね?」
「……そうだけど。」
「……その人、誰ですか?」
いや、お前が誰だよ。
とは言わないが、見た目からしてまだまだ高校生なり立てくらいか?
じゃあ結菜と同じ高校の後輩か。
この姿の結菜を見て、よく結菜だと気づいたな。結菜の姉とか、、、いないけど、そのくらいに思われてもおかしくはないだろうに。
さて、こんなところで固まっていても仕方がない。
「えっと、なんだか結菜の知り合いみたいだけど、」
「金田です。希埼先輩から、カナダって聞いてないですか? ……それで、あなたは誰なんですか?」
話の腰の骨を折るんじゃないよ。
しかし、この一瞬でここまでインスタントに怒れる坊やだから、ここで煙に巻くのも難しいか。
「カナダ……金田君? かな。ちょっと、カラオケにでも行こうか?」
「……それでいいです。」
「ごめんな、結菜。」
「晴彦さんが悪いワケじゃないですし。」
晴彦さん、というワードでピクリと反応する、か。
金田君とやら、さては結菜に惚れてるな?
~to be continued~