エロ率分析 (α)

〜分析結果サンプル〜






 あー、そういえばネトゲはどうしてるんだろ? そんなことが気になった。流石に一週間もログインしなかったことなんて無かったけど、晴彦さんは今週ログインしたりしたのかな。

 そうでなければ昔オフ会をして以来、家の場所を知ってる澤田さんとか様子を見に来ちゃうんじゃないだろうか?


 ボクは、病院の長椅子に座りながらソワソワしていた。

 晴彦さんは一週間経って、診察に来ていた。朝からもう松葉杖もいらないとばかりにスタスタ歩いてたけど、ヒビ入ってたんじゃなかったっけ?

 だなんて思ってたら晴彦さんが出て来た。

 ボクは駆け寄って尋ねる。


「どうでした?」

「うーん。」


 晴彦さんは思案気な様子。


「……ずいぶんと治りが早いんだよなあ。」

「どういうことです?」

「そもそも、医者が言うにはスネの外側の方の細い骨ど真ん中にヒビが入った程度だったが、俺の体重もあって、大事をとってギプスを巻いたらしい。」

「はい。」

「その甲斐あってか、悪化はしていなかった。どころかもうほとんど治ってると言っていいレベルにまでなってる。……高校時代以上の治癒速度で、俺もビックリした。」


 なるほど。晴彦の知識的にも倍速くらいで治ってる感じがするね。


「そうなんですか。」


 結菜的には純粋に知らないことだから、普通に聞いてるけど、この分だと腕のほうもずいぶん治りが早いのかな?


「まあ、レントゲンが上手く撮れてなかっただけの可能性も一応残ってるからって、足のギプスは来週取るそうだ。」

「良かったですね。」

「ああ、腕の治りも早いから、順調ならそっちは再来週くらいに取れるかもしれない。」


 晴彦さんは松葉杖をブラブラさせて「これ、もうほとんど必要ないんだ。」なんて冗談めかした。

 そんなことを話しながら、受付で会計を済ませたら、お金が返ってきたって。そうなんだ。

 帰りもタクシーを使う。どうやら通院にかかる費用も出るらしく、だったらタクシーを使った方が良いんじゃない、って課長さんに言われたらしい。

 そういうものなんだ。知らなかったよ。交通事故なんてそうそう遭うものじゃないし。


 病院から晴彦さんの部屋に帰ってきて、ボクは洗濯物を干す。そしてお昼ご飯の支度をする。食材は今週中にちょこちょこ買っていたものを使った。同時に、後で買い足すもの、必要なものを考えておく。週末にまとめて買っておかないと、後でアレがないコレがないって慌てることになるからね。


 こういう時に、新婚さんみたいな感じがしてボクはウキウキしちゃう。それを晴彦さんがチラチラ見て、ふふって微笑んだような気がしたから「なに?」って聞くんだけど、「なんでもない。」って答えて、リビングのソファーで寛いでる。

 こんなことでボクは幸せになる。即席でハッピーなチョロゆいさんだよっ。

 そしてボクはエプロンを外して「晴彦さん、お昼ですよ。」って言うんだ。


「美味しいよ。」


 おっとと、ちょっと期待した目で見すぎちゃったかな? でも好きな人に作ったご飯を美味しいって言ってほしいから。時間をかけてない手料理だけど、それでも。

 パクパクと食べる姿をニヤニヤ見ちゃうのは許してほしい。それが美味しいって言わせるような圧力になっているなら、、、我慢、できるかなあ?


「ごちそうさま。」

「お粗末さまです。」


 晴彦さんには休んでもらってボクはお掃除とか色々お世話をする。10月のよく晴れた午後だから、本当は晴彦さんとお散歩に行きたかったりする。脚はほとんど治っているとはいえ、ギプスが巻いてある状態というのは非常に歩きづらい。

 脚のギプスがとれる来週末は、晴彦さんとデートしたいな。

 ……うん、ボクってば付き合ってるのにデートの一つも行けてないんだよね。デートに行ったら思いっきり甘えてみたり? それともクールな感じ? 服装は? 場所は? 高校生におすすめスポットなんてツマラナイでしょ? ピクニック? 釣りとか? 紅葉とか見に行く? それとも一日中ゴロゴロして、映画でも見る?

 そんなことを妄想して、ボクは鼻歌交じりにお掃除をする。


 ボクを眺めてた晴彦さんは何か手伝うって言ってくれたけど、簡単に済ませられるものは終わらせちゃった後だったから、泣く泣く諦めてもらった。トボトボとパソコンでの作業に戻ったみたい。会社関係の何かかなぁ?

 でも、うぅ。一緒にお掃除とか、楽しそうなイベントを逃した……。

 ボクは若干気落ちしながら、トイレ掃除とお風呂掃除を終わらせて、洗濯物を取り込んでいた。

 そんなとき。


 ピンポーン。


「はぁいっ!」


 ……なんだろう? 何か注文とかしてたのかな?

 ボクは玄関の横の棚においてあったハンコを持ってドアを開けた。


「――え、」

「あらっ!?」


 そこには、晴彦のお母さんがいた。


 え、なんで。

 ボクは目一杯驚いてたと思う。


 そして沈黙。


 やがて静寂。


 先にビクッとしたのは、お義母さんだった。


「え、あれ、おほほ。部屋を、間違えちゃったかしら?」


 お義母さん、また少し太った? じゃなくって!

 なんで晴彦さんのお母さんがここに、ってああっ!

 ボクのばかっ! なんで忘れてるのさ!

 晴彦さんも言ってたじゃんか。

 週末はお義母さんが来るって。


 あ、とにかく何か答えなきゃ。


「ま、間違えてないですここは晴彦さんの部屋で合ってますよ!」


 ボクが答えに詰まってた間にチラチラキョロキョロして表札とか確認していたお義母さんは、さらにビックリする。


「えっ。そ、そう?」


 そこでボクは気付いた。お義母さんを外に待たせたままだ。

 早く中にお連れしなきゃと思って、ハッと気付く。

 お義母さんは少し余所行きの恰好で、小さな箱に入った和菓子っぽいお土産を持ってる。それに一泊くらいできる量の荷物。

 重いものを、持たせたままだった。


「あ、あっ。ごめんなさい。ボク、希埼結菜っていいます。とりあえず中に入ってお話ししませんか?」

「え、ええ。わかったわ。……晴彦はいないのかしら?」

「晴彦さんですか? 今は、パソコンで何かしてたと思いますが、ああっ、荷物はボクが持ちますっ。」

「え! いいのよ、そんなに重くないし……それよりこっちのお土産の方を持ってくれないかしら?」


 流石に年の功、驚いてからの回復がが早いな、とか思ったけど、そっか。ボクとは若めの祖母と孫くらいの差があるもんね。


「はいっ。」


 ボクは、ストンと落ち着いたお義母さんを、綺麗になった玄関に迎入れる。掃除してて良かったぁ。

 お土産の袋をダイニングテーブルに置いているときに、お義母さんが冷蔵庫を開けていたからどうしたのかと思ったら、食材を買ってきてくれたみたいだった。お義母さんが持っていた荷物から食材が出される。

 ぅわあ。ボクが作り置きしてた料理とか、見られてるよぉ。恥ずかしいなぁ、もう。



   *** ***



 ジリジリと、時間が焦げているような気分だった。


「……それで、希埼さん? でしたっけ。」

「はっはい。」

「晴彦も、どういうことか説明してほしいのだけれど。」


 お義母さんをダイニングの上座に案内して、晴彦さんを呼んで、ボクはヤカンを火にかけていた。晴彦さんはヘッドホンを着けて何かに没頭してたか気付かなかったみたいだけど、お義母さんが来たのを知って、急に慌て出してた。「明日だとばかり……。」だなんて、言ってた。


 お義母さんも始めは目を白黒させてたけど、落ち着きを取り戻してからは、ボクを値踏みするような視線を投げかけている。

 曰く、ボクは晴彦さんの何なのか。


 その答えに、晴彦さんがゆっくりと口を開いた。


「……結菜は、今付き合ってる彼女だよ。」


 えへへっ。

 晴彦さーんっ。

 っとと、くっつきたいのは少し我慢ー。


 お義母さんは一瞬、喜色を浮かべて、咎めるような表情を経由して、最後に不信気に眉根を寄せた。

 一気に、質問は核心に迫る。


「そうなの。それで結菜さん? は、ずいぶん若く見えるけど、お仕事は何をしているのかしら?」


 仕事。

 ――ああ、仕事。


「……学生です。」


 お義母さんの眉毛が吊り上がる。


「どこの大学かしら?」

「……高校生です。」


 ピシッ――。


 宙に亀裂が入ったかと思った。


「それは、冗談。じゃ、ないのよね?」

「はい。」


 ボクは、いつも持ち歩いてた学生証をカバンから出す。


「今年で、高校2年生になります。」

「ああっ。」


 なんてこと。と、頭を抱えるような姿を錯覚するほどの当惑だった。

 でもやっぱり、すぐに表面は落ち着いて、もう一度、今度はボクに尋ねた。


「結菜、さん。」

「は、はいっ。」

「晴彦と付き合ってるって、本当?」

「はいっ。ボクが晴彦さんを好きになって、お付き合いさせていただいてます。」


 あれ、敬語ってこれで良かったっけ!!??


「どこがいいの?」


 えっ!? それをお義母さんが言っちゃうの?


「だって、体ばかり大きいだけで、こんな歳で女日照りの鰥暮しなのよ? 結菜さんみたいな若い子が、相手にするような、、、こんなおじさんのどこが良いのか、気になるじゃない。」


 な、なんて酷いことをっ!


「そんなことないですっ。晴彦さんは頼りになるし、優しいですし、おじさんじゃないです。」

「そう、、、かしら?」

「そうです。ボクは、昔から晴彦さんと遊んでもらったりしてて――、」


 ――あ。

 ボクは気付いた。

 晴彦は、昔のボクについて何も言ってないじゃん。っていうか10年前の事故未遂とか、話してないじゃん。


 お義母さんが不信気なのも当然じゃん?


「――そもそもですが、晴彦さんとボクは10年くらい前からの知り合いだったんです。」

「どういうこと?」


 ボクは、お義母さんに今回の事故と、前回の事故も含めて説明した。

 説明中は随所に晴彦さんが、いかに頼りになってカッコイイか織り交ぜた。


「二度も命を助けてもらって、キュンとしちゃったから、ボクが押しかけてお世話させてもらってるんです。それだけじゃ抑えられなくなって、ボクの方から晴彦さんの彼女にしてもらったんです。」


 だから晴彦さんは悪くないんです。

 ボクは、お義母さんの目を見て答えた。

 そしてまだ、ボクらが付き合って一週間ほどなのも全部、包み隠さず話した。


「……そう。だいたいわかったわ。」


 よかった。


「つまり。」

「はい。」

「全部アンタが悪いんじゃないっ!」


 ビシッとお義母さんは晴彦さんを非難した。


「えっ。」

「え、じゃないわっ。こんな可愛い子をどこで引っ掛けて来たかとビックリしてたら、性格も好いじゃない! それを報告もしないなんて、何やってるの!?」

「え。」

「さっきからそればっかり! ちょっとはシャキッとしなさいっ。それより、私はわかったけど、結菜さんの御両親はこのこと知ってるの?」

「ボクはまだ、お母さんにしか言ってないです。」


 お義母さんは、それみたことかと気色ばむ。


「アンタがシャキッとしないから! 大体ね、同年代の彼女が出来たって言うなら、こう、、、何も言うことはないんだよ。でも結菜さんは未成年でしょ? なんでアンタが大切な娘さんを預かってますって、相手の御両親に頭下げに行かないんだ。」


 ボクは一瞬ムッとして、直ぐに落ち着いて、落ち込んだ。

 自分で小娘小娘って思ってきたくせに、いざ本当に小娘扱いされたらけっこうヘコむものなんだね。


「ああもうっ、今からでもいいさ。挨拶に行かない――、」

「え、あっ、ちょっと! ……待って、ください!」


 お義母さんがヒートアップして変なことを言うものだから、大声を出してしまった。


「あっ、ごめんなさいね。結菜さんの御両親との話だものね……でも、私は思うのよ。一時でもこんなに年上のおじさんと一緒にいるんだから、後からそんなことがありましたって、お父さんが聞いたら卒倒しちゃうわよ?」


 お義母さんは、あくまでボクを一時だけ晴彦さんを誑かす小娘扱いする。それは当然の話だ。奈緒も言っていた通り、高校の3年間で別れないカップルは珍しい。それだけボクらみたいな年頃は多感で浮気性だ。一生好きで絶対結婚するなんて言って作った二人で共用のSNSアカウントの残骸なんて珍しくもない。


「お義母さん。」


 だからボクは、真正面からお義母さんを見据えて言う。


「ボクは10年も前からずっと晴彦さんのことが好きで、今はもっと、どんどん好きになっているんです。」


 ボクは一瞬考える。

 ボクみたいな小娘の口が吐く言葉の軽さは、どう言い繕ってもごまかせない。

 だからこれからもずっと好きです、なんてのは戯言にもならない。

 いっそのこと、明日にでも婚姻届けにサインしたいです、くらい言わないといけないけど、晴彦さんに嫌われちゃうような言い方だからダメ。

 だから、


「もう、ボクの人生の3分の2は晴彦さんで一杯なんですから、責任を取ってもらわないと困ります。」


 返品なんて出来ないんですから。って、半分以上に本気を混ぜながら、それでもちょっと冗談めかす。これがボクの精一杯だ。


「……え、アンタいつから光源氏になってたの?」


 お義母さんは壊れた。


 ピー。


 あ、お湯が沸いた。

 ボクは逃げるようにお茶の準備をした。



   *** ***



「結菜さん、お酢を取ってちょうだい。」

「はいっ。」


 ボクは今、お義母さんと一緒にキッチンに立ってる。といってもボクはお義母さんが料理をする横でお手伝いしているだけだ。お義母さんがアレコレ指示するのに従ってテキパキと動く。

 ここで点数稼がないとね。


「あとは落とし蓋をして少し煮たら、一度冷ましましょうか。」

「はいっ。」


 ボクはワクワクしてお義母さんの手順をなぞる。

 お義母さんには晴彦さんの好物を作ってもらってる。その味を教えてもらっている。

 希埼家とは少し違うレシピで、記憶の中にしかない味の出し方だったから、ボクは新鮮なのに懐かしいような気分だった。


「少し見ててくれるかしら? 15分くらいお願いね。」

「はーいっ。」


 じーっ。

 わくわく。

 コトコト煮立って動く落とし蓋を見詰める。


「結菜さん?」

「……はいっ。」

「お料理は好き?」

「はいっ。大好きですよ。だって、晴彦さんが美味しいって言ってくれるんです。」

「そう。お家でもお料理するのかしら。」

「そうですね、小学生の頃からですから、お母さんの手伝いも含めれば、かれこれ10年近く料理はしてますね。」

「そんなに。」

「はいっ。晴彦さんに美味しいって言ってもらいたくて頑張りました。それとお掃除とか他の家事もそこそこ出来ますよ。」

「そうなの。どこに出しても恥ずかしくない感じなのね。」

「ボクは、どこにも行きませんよ。それに、まだまだです。今日はお義母さんの味を勉強させてもらうつもりですから。」


 お義母さんとにこやかにお話しする。

 ボクを探るようで、試すようで、どことなく優しい。


 お義母さんはボクのあらゆる事を尋ねた。両親のこと、住んでる場所。高校はどこかとか交遊関係とか。

 将来の進路を聞かれたのは困った。

 正直に晴彦さんのお嫁さんとか言ったけど、「その前に大学は行かないの?」と聞かれて詰まった。

 ボクとしては大学に価値があるとは思えなかった。

 でも確かに、どうにかしてお金を稼ぐ手段はあった方がいい。

 とは言え、ボクは最短で晴彦さんを幸せにしたいから、子供がほしい。となると、在宅勤務ができたらいい。


 普通に勤めるにしろ、在宅勤務をするにしろ、文系に進むのは間違いないから無難に「文系の大学を志望してます。」なんて答えた。


 それでお義母さんは満足したようだ。


 コンロの火を落としてから、ボクはお義母さんといっぱい話した。取り留めのないことを、実にならないことをいっぱい。

 高校での流行りとか、晴彦さんの高校時代とか、あれやこれや。

 ボクは晴彦さんが混ざってるから、お義母さんとも話が合って、すごく楽しかった。


 ふぅ。


 と、お義母さんが息を吐いた気がした。


「あ、そうですよね。疲れてますよね。」


 ボクはリビングで寛いでた晴彦さんを呼んだ。


「晴彦さん、ボクはこっちの部屋でマンガとか読んでますね。」


 お義母さんの息が詰まっているような気がしたんだ。そういう時ってやっぱり家族同士がいいじゃんか。でもボクは晴彦さんとご飯を食べたいし一旦冷ましただけで、まだ料理も終わってないっていうふうに、心の中で言い訳して2LDKの二つ目の部屋に入った。


 こっちの部屋にもベッドがあった。ずっと放置されてきたような、眠ったままのベッドだった。

 マットレスはまだ使えるし、シーツとかを持ってきたら十分使えるものだ。というか、実際、何度かネトゲで知り合った澤田さんとか、泊まりに来たときに使ってたらしいって記憶してる。


 だけど、ボクはこのベッドが大嫌いだ。


 本来、こっちの部屋が晴彦さんの部屋だった。本棚も机も一通り揃ってる。なのに主人がいない部屋だ。比べると、今の晴彦さんの部屋は味気ないくらい、男性の部屋にしては物がない。

 裏切りの痕跡を感じるような、忘れられたこの部屋はいつかボクが片付けてしまいたい。書斎とかにしちゃったら良いんじゃないかな。もしくはこっちを二人の部屋にして、あっちを子供の部屋にするとか? 二人くらいなら一部屋を間仕切ればいいでしょ?

 とりあえずは今日、お義母さんが泊まれるように整えていく。シーツを敷いて、掛け布団とか枕とかを押し入れから引っ張り出す。


 ふぅ。


 ポフン。


 整えたベッドに腰掛ける。

 手許にはよく読んでたマンガを並べた。あの頃がわかるような気がした。結菜には新鮮な男性向けのマンガ。ドラゴンボールとかカメレオンとかエンジェル伝説とかスラムダンクとか。こち亀とドラえもんの大長編が数冊あって、HUNTER×HUNTERとかジャンプのマンガだけじゃなく、Hellsingとかそれ町とかあずまんが大王とかもあった。

 でも、シリーズすべてが揃ってるマンガは無かった。


 目の前の本棚を見る。本棚は、その人の為人を映すらしい。

 マンガと比べると小説は少ない。申し訳程度に村上春樹や東野圭吾とか流行りの有名作家の著作が十数冊、なぜかシェイクスピアとヘルマンヘッセの日本語訳がいくつか、かつて話題を攫った新書がたくさん。入社当初は向上心の塊みたいなラインナップなのに、やがて読んで面白いものが中心になる。寺田課長と、ああでもないこうでもないなんて益体も無く批評家を気取ったっけ。最近刊行されたものは、晴彦さんの部屋に転がってた。片付けたら8冊もあった。あとはPRESIDENTといったような雑誌もある。

 その頃の向上心の表れは、手垢の付いたTOEICの教本を見ればわかる。もう、だいぶ衰えてしまったけど、当時は最高で800点ちょっとまで取れたっけ。他にも出来そうな気がして、手を着けないうちに埃を被ってしまった中国語の参考書もある。


 頑張ってたなあ。

 偉いなあ晴彦さん。

 だって、これだけ頑張って、裏切られて。

 それでもまだ、諦めてなかった。自分のやって来たことが正しいって、半ばヤケクソになりながら続けてる。


 だから、御用聞きみたいなことをさせられて、他部署を巡るのが日課になっていても腐りきってない。他部署の人から嫌われているわけじゃない。晴彦さんの手落ちのない丁寧な仕事は、作業効率をあげるって、お礼もされたことがある。晴彦さんは社交辞令だって思ってるけど、あれは本当にそう思ってるんだよ。


 だから、こんな死んだような部屋は大っ嫌いだ。


 ――コンコン、ガチャ。


「結菜さん。そろそろご飯が炊けるみたい。」

「はぁいっ。」


 ボクは散らばったマンガを元に戻して急ぐ。

 窓の外は、茜色だ。


 そしてもう一度鍋を温め直しているお義母さんに従って、お皿やコップ、お箸を配る。

 ボクが作り置きしていたいくつかの惣菜も並べて、少し豪華な感じがした。


「……あら? そんなちょっとでいいの?」


 ボクはいつもの半分になるよう、よそった。


「ちょっと、ダイエット中で。」


 真っ赤な嘘だった。

 このあと、家に帰ってもう一度ご飯を食べるからだ。さすがに、先週に引き続いて今週末も家でご飯を食べないなんて不自然なことはできない。いくらボクがよく初香とか奈緒とか麗と一緒に、それぞれの家とか外とかでご飯を食べることが多くたって、ごまかしはそんなに利かないよね。それに、そのうち家にみんなを呼んでご飯を食べるときとかに「ゆいとご飯なんて久しぶり。」だなんて言われたら目も当てられない。ゼッタイ初香とか言うでしょ?

 そうだ。みんなで一緒にご飯を食べてたのって宮本先輩対策だっけ。あの人、こっちが一人になると容赦なかったからなー。


 それはともかく、晴彦さんとお義母さんとボクで囲んだ食卓は、凄くホッコリした。


「ごちそうさまでした。」


 晴彦さんがそう言ったのを聞いて、お義母さんがもう一度、少し驚いた。そっか、晴彦さんって高校生の時はメンドクサイって言って反抗して、一人暮らしも長かったから「いただきます。」も言わなくなっちゃったけど、ボクがご飯を作って、期待するような目をするものだから、ちゃんと食前食後の挨拶するようになったんだ。

 結菜的にはあまりに当たり前のことで、晴彦さんの記憶じゃ言ってなかったことを、今思い出したレベルだ。


「……お粗末さま。」

「お義母さん、ボクがお皿洗いとかしますね。」

「あら、いいの?」

「任せてください!」


 ボクは力こぶを作る。……そんな大層なものは無いんだけど。

 ボクはいつものように、鼻歌混じりに洗い物を済ませていく。お義母さんはソファで寛ぎながら晴彦さんとお話ししている。


「お義母さん、晴彦さん、洗い物が終わりました。さっきそっちの部屋のベッドを整えたので、お義母さんが使ってください。」


 そう告げて、ボクは帰る用意をする。


「また明日来ますね、晴彦さんっ。明日の夕方、何時頃かは明日の夕方より前には連絡します。お義母さん、また今度、もっとお話ししたいですっ。それに、もっとお料理とか色々、教えてくださいね。」


 ぺこり。



   *** ***



   *** ***



 すっかりログインを忘れられていたネトゲでは、俺が一週間もいなかったことで死亡説が流れていた。


『よー。生きてたのかコノヤロウ』


 よく連んでる澤田は、暇すぎて死にそうだったとか、どうでもいいことを話しかけてくる。久しぶりに何かクエストでも行こうかと、誘ってきた。

 リアルタイムで世界中の人間とつながるオンラインゲームで、俺は自由だった。

 特に柵もなく澤田と馬鹿なクエストばかりやってた。

 会社でも暇だった。ペーパーベースの資料を電子化する傍らでやれる程度には操作が楽なゲームだった。おかげでいつでもログインしてる廃人ゲーマーと同じくらいプレイ出来た。


 だから。


 一週間分のあれこれを整理して、なんでログインできなかったか言い訳して、いざ何かクエストを受けようかと思ったとき、結菜が俺を呼んだ理由で、俺は飛び上がった。


『すまん、落ちる』


 母さんだ。

 母さんが週末に来ると言っていたのは覚えてた。しかし、俺にとって週末とは日曜のことで、土曜日じゃなかった。

 だが、日本の一般的なカレンダー的に、週末は土曜日だ。母さんはずっと専業主婦だったから、週末といえば土曜日だった。母さんは日付と曜日が一致しないことがよくあったし、今回は週末としか連絡がなかったから、確認不足だった。


 固まった俺に母さんが来たことを告げたのは、結菜だった。

 俺は内心ヒヤヒヤしっぱなしだった。

 覚えていたハズなのに、完全にボケていた。安心しきってたような気もする。

 なんでこんなことに、と考えて、愕然とした。


 俺はすでに結菜頼りの生活に慣れていた。


 毎朝同じ時間に起こしてくれるから、目覚まし時計をかけなくなってた。結菜は、殆どすべてスケジュールを俺に教えてくれて、その通りか、それ以上にキッチリ動いてくれたから、安心していた。

 母さんが来ることも、ちょっと言ってたから、いつ来るかわかってるものだと思ってた。


 そんなわけないだろ。


 第一、母さんの連絡先を知らんだろ。連絡の取りようもない相手がいつ来るか、それを先回りで理解して用意をしておくように、なんて俺もできない。

 なのに、結菜の対応は完璧だった。

 母さんが急にやってきて、慌てもせずに、すぐに仲良くなろうとしてくれている。


 控えめに言って、こんな部下とか超欲しい。

 俺の仕事も捗ることだろう。

 だなんて馬鹿なことをぼんやり考えてたから、母さんから言われたことに咄嗟に返事できなくて叱られてしまった。

 そこから、おい。俺は息子じゃないのか? と、疑ってもいいほど辛辣なことをビシバシ言われ、それを結菜が反論していく。とんでもなく、むず痒かった。


 でまあ、結菜に「責任を取ってもらわないと困る。」だなんて言われて、責任とはどうやってとるものだっただろうか、と惚けていたら、母さんまでおかしくなっていた。

 そこから、母さんが結菜を可愛がり出して、結菜も、母さんがやろうとすることは支えるだけで、疲れたらすぐに代われるようにしている。そのくせ、勉強させてもらいます、って言葉にして母さんを立てている。

 そんなふうに二人で夕飯を作っているところを、ぼんやりと眺めた。


 土曜日は、大抵ゴロゴロして過ごすだけだった。

 だから病院から帰ってきて、ボンヤリしっぱなしなのも、久しぶりのギプスに疲れたからだろうか。


 もしくは現実から逃げているのか。


 結菜が俺のことを好きだと、偽りなく言っているのは確かだろう。最初はぎこちなかったフェラがびっくりするくらい上手くなっていく過程が演技でないなら、全部俺のために頑張ってる証になる。

 だが、それを認めると先週、俺が思っていたことが全部、脆くも崩れ去ることになる。


 『その内、結菜も飽きて寄り付かなくなるだろう。』


 それでも俺は、ひと月くらいもすれば勝手にいなくなるだろうだなんて思ってる。俺には、結菜の行動が一過性の熱のようなものなのか、そうじゃないのか、判断がつかない。

 ペンディングして焦げ付いた案件ほど手に負えなくなっていくのが、当たり前なのは誰だって知っている。

 そして、そんな案件ほど手を着けたくないのも当たり前の話だ。

 俺と結菜だけで完結しない話なのは分かってた。だとしても、一見俺と結菜だけの問題のように思えたから、先延ばしにして、落ち着くところまで待った方が良いんじゃないかと期待した。


 結果、母さんに露見して、現在進行形で複雑になっていく。


 母さんは、現状の把握をしながら結菜の為人を見るだろう。一分一秒ごとに積み重なっていく母さんの査定結果は、結菜が十六歳なのを踏まえても良好以外無いだろうさ。控え目に言って、俺も部下に欲しいくらいだし、贔屓目に見れば出来すぎな嫁って感じだ。出来すぎているのに、それで不快感にさせないほどの気遣いもできる。


 お節介な母さんは、次に何をするだろう。

 しばらく眺めてたら料理も終えたのか、母さんと結菜が来て、結菜はそのまま使ってなかった部屋に入っていった。


「漫画でも読むんですって。」


 ふぅ……と息を吐いてダイニングテーブルに座る母さんは、また小さくなったように見える。


「……アンタ、ずいぶん帰って来てなかったから来てみれば、えらく別嬪な恋人作ってるじゃないか。」


 ムスッとして、湯呑に残ったお茶を飲む。


「どこで引っ掛けてきたかと思えば、あのお嬢さん――結菜さんは全部話してくれる。素直で、いい子だね。」

「ああ。」

「今時、あんな子いないよ。こんなオバさんの手料理を、ウキウキしながら学ぼうなんてね。すごく楽しそうにするから、料理の一つもしたことがないのかと思えば、親の教育が良いんだろうね、私の目から見ても完ぺきに料理の補助をしてくれた。その所為で、いつもより張り切んなきゃ恰好が付かないって、柄にもないことしたから、疲れたよ。。。」

「そうか。」

「器量よし、性格よし、家事でもなんでもござれってか。……そういえば、あの子、勉強はどうなんだい? 何か聞いてないかい?」


 そう聞かれて、記憶の引き出しをガサゴソと探る。ここ一週間の出来事だ。思い出せない方がおかしい。


「……ああ、学校の勉強も、予備校の勉強も、詰まらないって言ってたな。それくらいには出来るんじゃないか?」

「そんなことだと思ったよ。つまり、アンタには願ってもないほどいい子ってことかい。」

「……そう、なんだよなあ。」


 だからこそ、思う。

 どうして、あれだけ真面目で素直で、そして思い込みが激しいわけでもない、普通の子が、俺なんかに一瞬でも構ってるんだってことだ。


「なんだ。納得してない顔だね。」

「真面目で、素直で、そしてまともな子が、俺みたいなのに構う理由が、わからない。」

「は?」

「初めは、一種の気の迷いか、珍しいもの見たさに構ってるのかと思って、放っておいた。なのに、全然どこかへ行く様子もないし。」

「……アンタがここまで馬鹿になったかと思うと、私ゃ泣けてくるね。」


 母さんは真剣な顔で怒っている。


「あの子が、結菜さんが遊びか何かでアンタの相手をしてるわけないじゃないか。目を見ればわかるだろう? あの子は本気でアンタみたいな甲斐性無しの馬鹿のことが好きで色々してくれるんだ。今日、私がスーパーで買い物してきて冷蔵庫を開けてびっくりしたよ。アンタの好きな物ばかりぎっしり詰めて。でも栄養が偏らないよう工夫なんだろうね、いつでも食べられるようなお惣菜まであって。。。あれ、全部手作りだろう? あんなの、いくらお金を積んだって手に入らないよ。――そうだ、アンタ、あの子に食費は渡してるんだろうね?」

「あ、ああ。今週は5000円――」

「はあっ!? 5000円ぽっちであんなに揃えられるもんかい! ……いいや、工夫すれば出来ないことないか。でもアンタがまともな食材を詰め込んでたとも思えない。やっぱりあの子が買ってきてるんだろうね。だから、もう手持ちが殆どないんじゃないかい?」


 ぐ、確かに、それは俺が聞いておかなきゃいけないことだった。


「それは、俺が後で聞いておくよ。」

「当たり前だよ。まったく。」


 ~~♪


「あら。ご飯も炊けたかしら?」

「いや、あと10分後にもう一度鳴るハズ。」

「そう、じゃあ結菜さんを呼んでこなくっちゃ。」


 話の途中で、母さんは結菜を呼びに行った。俺は、母さんとの話を咀嚼するので手いっぱいだった。

 結菜が本気で俺なんかのことが好き、だというのか。

 この一週間、考えていたようで考えていなかった案件だ。

 現在も進行形で、後回しにしたい。


 こんな甲斐性無しの馬鹿を、好き、なんだろうか。


 ああ。

 だめだ。


 後回しにしたいと考えながら、その実、俺が怖いのは、結局。

 結菜が裏切るって思ってるところにある。

 何も考えず、後回しにして結菜に見限られるなら。

 俺は最初から期待なんてしてなかったって、言うだろう。思うだろう。


 そして、納得するだろう。


 だから、答えなんて出したくない。

 答えが決まってるからだ。母さんが言う通り、結菜が俺のことを本気だと言うのを前提条件に考えれば、後は俺が結菜を受け入れるか、振るか。それだけの話だ。

 論理的には。


 感情面で言うと、信じて良いのか悪いのか。

 それに尽きる。

 すでに結菜頼りの生活に慣れつつあって何を、と思わなくもない。

 だが、それでも。


 俺は、ちっぽけになっても握りしめて残している僅かなプライドを、捨てきれるほど大きな男じゃないんだ。結菜を信じるってのは、そいつを結菜にも見せて、しかも繋いだ手の中で二人で守っていきたいって告白するような、こっ恥ずかしいことをするってことだ。ロマンチストかコノヤロウ。

 けど、今更小さな俺が、大きくなれるわけない。

 こんなナリして、ナイーブなんて笑えるな。懐を曝け出さなきゃ傷つくこともないなんて、そんなことばかり上手くなった。


 本音を吐露するなんて、出来るかよ。結菜に裏切られたら、俺は、もうダメになる。

 立ち直れない自信がある。


 だから、俺はこの件を後回しにしている。

 その自覚はあるつもりだ。


 と、つらつら考えながら飯を食ってたら、いつの間にか「ごちそうさま。」と言っていて、それに母さんが驚いていた。

 そうか。

 いただきます、も、ごちそうさま、も、結菜がいなきゃ言わねえからな。


 俺は、結菜に縋っているのか。

 俺にとって結菜ってなんだ?

 大学生のガキみたいなことを、久しぶりに考えると、どうしてか時間が過ぎていく。


 結菜はそそくさと皿を洗って、さっさと帰ってしまった。

 俺は、待ってと言いたかったか。

 結菜は母さんを気遣って、俺と二人の方が心が休まるだろうと動いてた。

 明日も夕方まで来ないとか、母さんへの気遣いのようにも思える。そうなら、本当に友達と遊びに行くのかとさえ思う。


 はぁ……。


「辛気臭い息をするんじゃないよ。」


 母さんと俺。ふと、母さんがようやくホッと落ち着いたようにも見える。


「あんな子、まだいるもんだねえ。」

「そうだな。」

「一緒にいて、あんなに緊張する子はいないよ。」

「そうかな。」

「そうさ。あんなにアンタにベタ惚れなところを見せつけられて、それでアンタのために私から料理を教わりたいなんて言って、カッコ悪いことして、アンタが嫌われたらどうしようかって気が気じゃなかったさ。」

「……結菜は、そんなことで幻滅するような子じゃないと思うが。」

「だからだよ。こっちのレベルに合わせてくれるなんてみっともないこと、させられるわけないじゃないか。私は、あんまりあの子には会いたくないねえ。」


 会いたくない、その言葉に少しゾッとする。


「嫌いになったのか?」

「そうじゃないよ。どちらかというと大好きさ。私があの子を顎で使ってふんぞり返られるような性格なら良かったんだ。そうじゃないから困るんだよ、まったく。」

「そういうものなのか?」

「そういうものさ。……さて、お風呂でも沸かして来ようかn――、」


 ~~♪ お風呂が焚けました♪


「――こういうところが苦手なのさ。持ち上げた腰が落ち着いちまうよ。」

「ああ。俺もタイミングが良すぎるとビックリすることが何度かあったが、気が利いて助かるくらいしか思わないな。」

「まあ、なんでもいいけどね。晴彦。」

「なんだよ。」


「あの子は、早い内にちゃんと振って、諦めさせなさいよ?」


 なんだってそんなことを言うんだ。

 俺の頭はまた急にグルグルと動き出す。


「それに、アンタまさかあんな幼気な子に手を出したりしてないだろうね?」


 もう手どころか、口の中に出しちまったよチクショウ。








~to be continued~