〜分析結果サンプル〜
「……考えさせてください、か。」
考えるまでもねえ。齋藤部長の話は断るしかない。
そもそも俺がデータを整理してたからって、俺の名前を入れるっていうのが変な話だったんだ。そんなもん、適当に目を瞑っておけばいい程度の話で、お礼だとかそういうレベルの話じゃない。
そして俺をヘッドハンティングする意味も分からない。
俺なんかより優秀な部下が何人もいるだろうに。
……そんなに、企画部に喧嘩を売りたいのかね。
というより金城部長に。
その辺のパワーバランスなんて一介の平社員の与り知らぬ話だから、マジで他所で処理してほしい案件だ。
「厄日だ……。」
「どうだった? 齋藤部長は。」
「どうもこうも無いですよ。」
さて、事が事だ。寺田課長にどこまで話したものか。
「なんだかわけわからない理由でお礼がしたいって、――そうだ。寺田課長、同期だって言ってたじゃないですか。」
「そうだね。」
「齋藤部長って、どんな人なんですかね?」
「どんな人、か。難しいね。」
そう切り出した寺田課長の齋藤部長像は、良くも悪くも噂通りの内容で、部長の表裏の無さが際立っただけだった。
「……まあ、僕も多くを知ってるわけじゃないからね。とはいえ、たまにかつての同期と飲みに行くときなんかは齋藤部長も来るし。」
「――そういえば。寺田課長って齋藤部長と同期って言ってましたけど、寺田課長って、昔は営業にいたんですか?」
ふと、気になった。同期っていうのは、同じ年に入社した者同士、という広い意味での同期と、同じ年に入社して同じ部署に配属された者同士、という狭い意味がある。
今朝から寺田課長が同期だと言っていたのは、同じ年に入社した、くらいの意味だと思ってた。けど、今の話しからすると、どうも寺田課長が営業から企画に異動してることになる。
そんなことを思って口にした言葉に、寺田課長は微笑みを返した。いつもの優しそうな顔なのに、どこか雰囲気があるのは、目が笑ってないからか。
初めて見た。
「――いたよ。かつての、営業第三課にね。」
それは、齋藤部長が立ち上げたセクションだった。
*** ***
はぁ。
聞かなきゃ良かった、ということはいくらでもある。
寺田課長がかつての営業第三課にいて、今は企画部雑務課の課長になってることとか。
齋藤部長と寺田課長が実は繋がってることとか。
で、それならまあいいかと思って齋藤部長に引き抜きの打診をされたことを告げれば、「本気じゃないよ。」なんて嘯きながら、「齋藤部長が本気になったんだろうね。」なんて裏がありそうな空気をひしひしと出すんだ。
雑務課って、日がな一日お茶でも啜りながら上から押し付けられた案件を処理するだけの課だったじゃないか。
それがどういうわけか、今朝から陰謀の臭いしかしねえ。
いやだいやだ。その結果、首を切られるのは、俺みたいなトカゲの尻尾なんだ。自分たちが胴体だとか、脚だとかを気取っていられるようになったから、おっ始めた諍いで、真っ先に犠牲になる立場なんだ。
俺は、他人の下でいいから、安寧が欲しいんだよ。
闘争はお腹いっぱいなんだ。
*** ***
さんざんなのは、それだけじゃなかった。
朝は、意外にもすんなり通えたのにもかかわらず、帰りはどうだ。電車は悉く目の前で行っちまうし、乗ろうにも、どうしてか満員。
俺みたいなデブが割り込もうもんなら、痴漢の冤罪を使ってでも、排除されそうな殺気を感じる。だが、俺としても立ちっぱなしは足がキツイ。片足立ちに近いような重心でバランスをとれば、体重をかけた足が酷使に悲鳴を上げやがる。かといって、折れた足に体重乗せたらズシッと痛い。
足を着く瞬間と、地面から離した瞬間に鈍く痛む。
当然のように、誰も椅子なんか譲っちゃくれねえ。
「ああ、痛てぇ。」
行きは骨折にも関わらず、普段通りに会社に着いた。
だが帰りは普通の倍もかかった。
寺田課長の話を遮った保険会社からの電話を切ったあたりで、5時に帰宅していいと言われ、喜び勇んで帰ればこれだ。5時過ぎにえっちらおっちら帰途に立ってみれば、もう7時過ぎ。
マンションの狭い通路が、その外周に沿って曲がりくねってやがるから、歩きづらい。
やっぱ、安いだけの理由はあるもんだ。建築デザインを誰それがやったとか、どうでもいいんだ。
無骨でいいから、使いやすさの方が重要だって痛感するね。
「あれ。」
間抜けな声だ。
俺だ。
だって、明かりがついてる。
俺の部屋だ。
なんでだ?
――ああ。そういえば、結菜が来るとかなんとか言ってたが、本気だったのか。
なんだか旨そうな匂いもする。当然、旨いんだろう。
結菜の手作りとか、幸せかよ。
ああ、脚が遅えなチクショウ。
いる、ってわかるだけで、ほっとする。
なんだよ。俺だって、来ないって思ってたのかよ。
来てるじゃん。
結菜、いるじゃん。
逸る気持ちがつっかえつっかえの足を急かす。
――ガツン!
「うおっ。」
ヤバ、松葉杖が引っ掛かった。
もんどり打って倒れるとこだ。欄干を掴んだ左手と、バクバクする心臓。
落ち着けよ、俺。
慎重に松葉杖を拾って、そろっと歩け。
結菜が優しいのはわかってたことだろ。
昼飯にスプーンもつけてくれてたし、着替えも置いといてくれた。
俺が、信じられなくなりすぎてたんだ。
結菜を信じても、いいのかね。
いいんだろうな。
……ん? いやいや、普通こんな押し掛け女房的なことをしてくれるものなのか?
とかんなとか考えてたら、ドアの前。
そこにあるのを知ってたくせに、今更、初めて気付きましたみたいに心臓が一度跳ねる。
で、ドアに手をかける直前で気付く。
鍵、開けてないじゃん。
俺は何に緊張してんだって話だよ。
ホント、ドア一つ開けるのに、こんなにも緊張してるなんて、アレだな。
すぅ、はぁ。
――ガチャ。
それを合図にしたのか、パタパタと軽やかなスリッパの音が近付く。
「本当に、来たんだ。」
思わず、言葉が漏れた。
嬉しくて、仕方なかった。
今年で36になるってのに、俺の心は年甲斐もなく踊る。
そのクセ、強がりな心が、意地っ張りなガキみたいなことを言わせようとする。
照れ隠しの言い訳と、憎まれ口を叩きそうになる。
つまり、少なくとも。
この瞬間、俺は結菜に惚れていた。
なにせ俺にストライクな恰好だ。学生服にエプロンを装備してるのもいい。
長い髪の毛をポニーテールで纏めてるのはグッとくる。
見たこと無いモコモコしたスリッパも可愛い。
何より、そんな姿のリアルなJKがこんなムサいおっさんの部屋にいる場違い感が、異様にエロい。
「そうですよー。晴彦さん。お帰りなさい。」
――ハッ、とした。
ボケッと突っ立ってた俺の鞄が、いつの間にか結菜に抱きしめられてて、しかも流れるように俺の靴を脱がせにかかる。
骨折した方の、でかいマジックテープ二つで留めてある肉厚のサンダルみたいな靴と、普通の革靴。
まさに怪我人ですって主張するような、そのマジックテープは確かに余分な腹の脂肪が邪魔で外しづらい。
それさえ取ってもらえたら、あとは適当に脱ぎ捨てるだけだし、楽だ。
結菜の一連の動作は、止める間もなく流れるようにするもんだから俺は声をかける機会を逸する。
と、そこまでは自然な仕種だったのに、結菜が目の前で固まってた。
――?
「ご飯にする? お風呂にする? それとも……私に、、、する?」
顔まで真っ赤だった。
そして俺の心臓も、一発ビクついて止まった。
私、、、とは?
俺の脳ミソが終にバグったのかと思った。
そう考えてみると、なるほど。日々の飽き飽きするルーチンワークに耐え兼ねて、結菜とかいうバーチャルな都合の良い彼女を生み出したってわけだ。
納得。
――納得じゃねぇよ! 納得してんじゃねぇよ。なに納得してんだよ。
危なく現実からおさらばするところだった。
え、じゃあ……結菜を選んで――、
――はっ。
それは、、、ムリだ。
昨日みたいに搾り取られたら、いつか腎虚になって死ねる自信がある。
結菜が、とんでもない小悪魔に思えてきた。
「え、えと。。。どうします、か?」
そんな俺の小悪魔は鞄をギュッと抱きしめたまま、潤んだ上目遣いで催促してくる。
狡くない? ズルじゃない?
そして俺の足は思い出したみたいにズシッと痛みを訴える。
「……とりあえず、メシかな。」
何がとりあえずだよチクショウめ。少なくとも今日は結菜はムリだ――って、私、って言ったよな?
結菜はいつも、ボクって言ってたっけか。
ふと、そんなことが気になって結菜を見れば、ホッとしたような顔。
なんだ。そうか。流石にそこまで小悪魔ってわけでもないんだな。
そんなことを考えながら見てたら、結菜はいつもみたいに「えへへ。」って笑顔になった。そのまま抱き着くように俺を支えて、ダイニングへ連れていってくれる。
壁に手ぇ突いて歩けるってのに。
で、気付けばいつの間にかジャケットまで脱がされてて、椅子に座ったらご飯が出てきた。
魚だった。塩焼きで、大根おろしを添えてあって、醤油を垂らして食った。
めちゃくちゃ旨かった。
「もう秋刀魚の季節なんですね。今日スーパーで秋刀魚が安かったので、買ってきちゃいました。」
出来た嫁かよ。しかもメインが魚だからか、ほうれん草の胡麻和え的なものが副菜だった。
これがまた、旨い。
ううむ。
どうしてこう、旨いのか。
しっかりと味がついてるからだが、普通はそれが難しい。早苗さんからしっかりと料理を教わってきたんだろう。
こんな出来た子が、俺と一緒にいていいのか。
そう思うと、やはり不思議な気分になる。
こんな子が、なんで俺みたいなおっさんに構うのか。俺は良い大人なんだから、結菜を窘める必要があるんじゃないか、とか考えつつも一方で、勘違いでもなんでも良いから結菜が俺を構ってる間に孕ませちまえよ、なんて衝動もある。
ここ数年はずっと易きに流れて生きてきた。そんな俺ならば本来は、結菜と一緒にいることで安心したりしないだろう。
なのに、結菜がこうして俺に構うから。一緒にいると、不思議と、一緒にいる方が不安じゃなくなる。
それがどうしようもなく破滅的な行動だと、頭が理屈を捏ねるのに、だ。
年端もいかないJKとおっさんが同じ部屋にいるなんて、どんな事案に繋がるか、わかってるじゃないか。
なのに、当の結菜は「美味しい?」なんてわかりきったことを聞いてきて、「旨いよ。」なんてわかりきったことを言えば屈託なく笑う。
少し恥じらうように頬を染めて、小さく「えへへ。」と嬉しそうに。
――ふと、気になった。
3日前に再会したばかりで、昨日付き合い初めて、すでにこの状態。
あれ、異常じゃね? と。
付き合っていれば、いずれ俺の部屋に来て、甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれるようになる、なんてこともあるだろう。
だが、結菜は昨日の今日だ。
仮に結菜が言ってたみたいに、前々から俺のことを好きだったとしよう。何言ってるかわかんないが。
そうだとしても、相手は良く知らない20歳も年上のおっさんだ。何の警戒心も無いどころか、進んで危険に踏み込むようなマネを、どうしてできる?
結菜に何が理由があるか、もしくは結菜は誰にだってそういうふうに接する女の子か。
――ああ、嫌な感情が心臓の裡から首を擡げやがる。
そう思うと、今のこの和やかな光景すべてが嘘のように思えてくる。
「なあ、」
気付いたら、問い質していた。
「どうしてここまでしてくれるんだ?」
昨日も、そんなことを聞いた気がする。
だとしても、何度でも気にかかってしまう。
この時、俺は一体どんな顔をしていたんだろうか。
結菜は一瞬、きょとんとした表情になって、しかし、次の瞬間にはすでに悩ましげ顔になっていた。
「むむむぅ。」
俺は、そんなに深刻な聞き方をしていたのか。もしくは結菜が鋭いのか。
ほんの10秒にも満たないような空白が、ひどく間抜けなものに思えてきて、後ろめたくなる。
「……確かに、あえてこうしている部分もありますよ?」
それみたことか。
結菜の今まではウソに塗れていた。その決定的な一言を得たような気がして、情けない昂揚感が生まれた。
しかし勢いに任せて怒れるほどのバイタリティーが、俺には無い。
ただ、ジロリと睨むのが精一杯だ。だというのに結菜は、どこ吹く顔で続ける。
「これでも、抑えてる方なんですからねっ。」
――う、ん?
俺は、睨んだ恰好のまま、しばし固まった。
その間にも言葉は続く。
「晴彦さんって、自分がカッコイイって絶対思ってないですよね? なんでですか? もう二度も命を助けて貰っちゃったから、ボクは晴彦さんのことが格好よく見えるのかもしれないですけど。
それでもボクの中では晴彦さんが、ぶっちぎりのナンバーワンで格好よく見えるんです!
今はちょっとプニってるから、そこは可愛いんですけど、すっごく頼りになりそうな感じですし、そのくせちょっと抜けてるのかな? 一昨日は如何わしいDVDを片付けなきゃいけなかったんですけど?
そもそもですね。義務感とかそういうのでお世話をするほど、ボクは出来た子じゃないですよ。当然ですけど晴彦さん限定なんですからね。というか、ボクは晴彦さん以外の男の人って、ちょっと苦手だったりして。
って、なんでこんな恥ずかしいこと言わせるんですか!?
なのに晴彦さんはニブちんですか? そもそもボクみたいな女子高生が、のこのこやってきてるのに、、、なのに、どうしてキスの一つもしてくれないんですか!?」
喋りはじめてドンドン顔は赤くなって、ほとんど責め立てるような最後に至っては、茹蛸みたいになりながら、結菜は捲し立てた。
情けないことに俺はその間、一言も口を挟むこともできず、ただ圧倒されていた。
そして、今なお結菜が言った内容を咀嚼するので精一杯な頭がポンコツだから、生返事なのか、口からは無意味な呻き声擬きが漏れる。
「……だって、そんなことしたら。」
取り返しがつかなくなる。
足りない頭が搾り出したのは、そんな言い訳じみたことだった。頭をガツンと殴られてボンヤリしたままのような気がした。
俺は、ガキが捏ねた屁理屈を無理矢理整えるために歳をとったのかよ。青臭いとはわかっていても、結菜の方がよっぽど大人らしいじゃねえか。その真っ直ぐなところは、清々しいほど潔い。
例えそれが、抜き身の包丁を目茶苦茶に振り回すよりずっと、赤裸々で明け透けな言葉だったとしても。
「……その、取り返しがつかなくなることを、して欲しいんです。」
――っぐ、と堪えて。それから俺は息を漏らした。
真っ赤な顔で、上目遣いな結菜を真っすぐ見れなくて、顔をそむけた。
久しぶりに出会った結菜は、いつでも体当たりで俺に向き合ってたように思う。だというのに俺は、こびりついたまま離れなくなった感情が邪魔をして、というふうに言い訳を重ねる。
本当に嫌になる。
付き合って直ぐだとか、それこそガキみたいな言いぐさじゃねえか。自分の欲求を満たしたいから風俗に行く男が、相手から迫られてタジタジかよ。美少女JKにフェラしてもらっただけで十分だって言ってたのは何処のどいつだよ。
でもまあ。
「――俺が今、賢者タイムで良かったな。」
ボソッと。俺はいろいろ誤魔化すように言った。
ぐっと堪えられたのだって、昨日搾り取られていまだ回復しないからだ。すっからかんだからだ。
これが満タンだったら襲って食っちまってるところだろう。
「え? 賢者……?」
聞こえてたか? まあ、聞こえてたとしてもJKじゃまだ賢者タイムとか知らないだろうさ。男の抜いた後に訪れる心穏やかな状態なんて。
とか思ってたら。
あらら?
チラ見した結菜は俯いてもっと真っ赤になってた。
あー、なんだ。多感なお年頃みたいな反応が、逆に新鮮だ。結菜もちゃんとJKなんだな。
とはいえ、俺も気まずくなったから、少し冷めた夕飯の残りを食べるのに専念することにした。
*** ***
*** ***
最近の俺の一日は、以前と比べて随分と賑やかだ。
ピンポーン。
結菜は、鍵を持っているのに必ずインターホンを鳴らしてからドアを開ける。
「お早うございます、晴彦さんっ。」
次第に覚醒していく。
ボンヤリした頭が冴えてくるころには、フワッと良い匂いが鼻腔を刺激する。すでに結菜が抱き着いている。
ぎこちないけど精一杯なのを、身体いっぱいに伝えてくる。それが嬉しくて、自然と抱き返している。
折れそうなほど華奢なようにも、乱暴に犯しても大丈夫なようにも思える絶妙なバランスの身体つき。小さな肩なのに、背中から腰まで撫でていくとわかる。腰つきは、すでに男が激しく責め立てても、受け入れられるような綺麗な桃型に、熟しつつある。
熟れる直前の、青い果実を思わせる。
背中の中心の窪んだ縦筋に指を沿わせて、なぞっていく。
結菜はゾクゾク震えて、どうしたらいいかわからないように強く抱きしめてくる。胸板の上でおっぱいが潰れる。
昨日もそうだったが、その気遣いは要らない。そして、俺は臆病になって久しいから、結菜がその気だったとしても確かめずにはいられない。いきなり襲って、土壇場で拒まれたら立ち直れる気がしない。
だから、落とした左手で結菜の腰を引き寄せた。
「きゃっ。」
ギシッ、とベッドが抗議の音を上げて、結菜も抗議してきた。
「……危ないですよ?」
結菜は、今どんな顔をしてるんだろう。唇を尖らせているような気がする。
けど、身体を強張らせることもせず、ずっとされるがままだった。それが、受け入れられているような気分にさせてくれる。
「疲れるだろ? その体勢だと。」
密着して、心臓がバクバク煩いのは俺も同じだった。JKの身体は固いと聞いたことがあった。胸も歳を重ねるごとに垂れてくるのは知られたことだ。
しかし、それはデマだった。
固いんじゃない。弾力が強いんだ。しなやかで、しっかりと強い。その上でムチムチぷりんな弾けるような感触。
その結菜は猫みたいに身体を捻って左の腿に座った。
「えへへ。」と笑ってより一層身体を預けてくる。
俺の首の後ろに回した両腕に、力がこもる。
サラサラの髪の毛がこぼれて、心の底までのぞき込むような上目遣いの瞳を晒す。
「痛くないですか?」
座っておいて「痛くないですか?」もないだろうと思いつつ、座らせといて「痛い。」っていうのもおかしな話だ。
可笑しくて、ニヤリと笑ってしまう。
不思議に思ったのか、でも何がおかしいのか結菜もクスクス笑って、胸に頭を寄せてきた。
「痛かったら、言ってくださいね。」
……それは、俺がそのうち言うことになるセリフじゃないかと思った辺りで、ずいぶんと色ボケたもんだと、自嘲しそうになった。
このままいくと、本当に結菜を美味しくいただくことになりそうだ。少なくとも、今の結菜を見ればしばらくは俺から離れていくこともなさそうだ。
そして、なんだかんだやっぱり10分近く抱き着かれて、それから俺は結菜を見送って、朝飯を食った。
これがまた、旨かった。
*** ***
さて、企画部の特に雑務課の仕事と言えば、主なものの一つはお喋りである。御用聞きみたいなこともする場合もある。つまり、他部署との対人折衝だ。
その雑務課の俺が怪我をして色んな部署に行けなくなって、今は内線で対応している。
普段はメールであれこれやり取りした後、必要なデータを取り揃えてプレゼンテーションを作成。その後、打ち合わせと雑談の流れだが、どうしてか、月曜の午後から業務に関係ない電話も増えたような気がする。
そういうのの対応をしながら、俺は、主にデスクワークを担当して仕事をこなしていく。寺田課長には普段俺がやっている資料の印刷とか、その他体を動かす必要がある仕事をしてもらっていて、申し訳なくなる。
だが、やはり昨日の一件が脳内をかすめる。寺田課長と、齋藤部長の繋がりだ。
寺田課長も、俺も、雑務課の名に恥じない様々な仕事をこなすし、他部署に出向いていることもしょっちゅうだから、課長の仕事を正確に把握しているか、というと首を傾げざるを得ない。
まあ部下なんだから、上司の仕事内容を知らなくても不思議じゃないが、それにしても謎だ。
いつも飄々としているからわからなかった。
そして、俺は今日も旨い昼飯にありつく。
寺田課長は結局、愛妻弁当を作ってもらえなかったのか、コンビニで買った弁当を突いていた。その哀愁漂う姿は、昨日見せたような雰囲気をすっかりと隠し、どう見てもいつもの課長だ。
いつも、課長との昼飯時はバカみたいなことを話したりして過ごしていた。
やれ今日はどっちの球団が勝つかだとか、やれどのグラドルが一番可愛いかだとかエロいかだとか。
休日は結局、何もしないで過ごすのがいいだとか、昨日のドラマがどうだとか。
そういう、どうでもいいことを話していた。
「そういえば、近く山崎支社長が専務取締役として帰ってくるという噂を聞いたんだ。」
「へえ、そうなんですか。」
だから俺に陰謀の片棒を担がせるような情報を教えてくれるんじゃないよ。
軽い生返事のように答えて、内心びくびくしてんだよ、こっちは。
「それが平社員の俺にどう影響するんですかね?」
「さあ? でもまあ、うちの金城部長は面白くないんじゃないかな。あの人、山崎支社長がかつて支社の副社長に就任するとき、一番喜んでたからね。あの世代の出世株から頭一つ抜けてた山崎支社長が、支社長止まりになるだろうってさ。」
「ははあ。そういうもんですか。」
何この人、詳しすぎるでしょ。
「うん。だから金城部長って、頭一つ抜けてる出世株っていうのをすごく毛嫌いしてるんだよね。」
だから、齋藤部長とは意見が合わないんだ、ってさ。
寺田課長、もしかして齋藤部長のスパイか何かをやってたのかよ。
「まあ、僕はね? こうやってのんべんだらりと人と話してる仕事が向いてたから。最初は営業だったんだけど、ノルマっていうのが苦手でね。」
そうかい。そいつは同感だ。
俺ら企画部は、裏方だからわかり辛いかもしれないが、一定のペースで整然と走らされるのが苦手なんだ。やることはやる。ただ、時間通りに片付けるからやりたいときにやらせてくれ、って連中が多い気がする。
そのついでに世間話でもしてサボれれば最高だ。
「確かに、ノルマは嫌ですね。」
「だろう?」
ははは、と笑い合う。
じゃあ午後も頑張らないないよう、仕事しますか。
「そうそう、齋藤部長への返事は早めにね。」
おおう。忘れたかったっつーのに。
*** ***
ああ、くっそ。
相変わらず、なんで帰りの方が厳しいんだよ!
どう考えても朝の通勤ラッシュの方が人が多いハズなのに、どういうわけかここ二日、帰りの方が嫌な目に遭う。
とりあえず目の前で行っちまうし、行っちまった後になんらかのトラブルで電車が遅れる。
今までだって、割とツイてなかったけど流石にここまでじゃなかったろ?
精々、課長と一本の缶珈琲を賭けたコイントスでの通算成績が負け越してたくらいの、大人しい感じだったじゃないか。
くっそ、午前中は凄く調子が良いだけに嫌になるぜ。
結菜に癒して欲しいもんだ。見てるだけでこっちまで元気になるような感じがするのは――って、なんだ。俺は随分と結菜にお熱じゃねえの?
まあ、うん。
正直、好みのど真ん中なのは事実だ。
客観的に見ても美少女で、近い将来とんでもない美女になるのは目に見えてる。なのに、それを知ってか知らずか鼻にかけることもない。自分が美少女だってのもわかってないような顔して、俺のことを本気でカッコイイとか。
そんなわけないのに。良くて言えば美女と野獣。
しかも世話好きで、料理が上手い。そして所作、仕種、言葉が煩くない。科白だけ追えば賑やかなのは間違いないが、そうじゃない。華やかなんだ。
つらつらと、そんなことを考えながら相変わらず狭くて曲がりくねったマンションの通路を苦労して通っていた。
脚の方が軽い骨折だったからか。今朝からもうそこまで痛いわけでもなく、元から体重の半分をかけてよかったこともあるから、俺は恐る恐るではあるものの、徐々にかける体重を増やしていた。
とはいえそこはデブ。130キロだったのはいつだったか、今はどれくらいあるのか考えたくもない。
年々衰えを感じるのに、タフボディとか言ってる場合じゃねえ。
っと、そろそろ部屋の明かりが――ない。
あれ、なんで。
俺は間抜けな顔して間抜けな事を考えてた。で、連絡とかあったっけ? なんて真面目に思ってスマホを確認しても何もない。当然だ。
え、結菜に何かあった――とか考えた辺りでふと、思い出した。
昨日も、今朝も言われてたが、結菜は今日、予備校だ。まともに学生してるだけだった。
ああ、じゃあ今日は結菜の飯が食えないのか。
想像以上に、ガッカリしてる俺がいた。
そのせいか、途端にやたらと脚が重くなりやがった。
『温めて食べてくださいね。 結菜』
で、期待せずに帰ってみればこれだ。相変わらず俺の的を射た献立で、さっきまでの気落ちした俺はどこ吹く風だ。
当然のように旨い。
これで掃除が好きで、気付いたら片付いているんだから完璧かよ。昨日今日で動かした物の位置が見事に元に戻ってる。テレビとかエアコンのリモコンが、当然のようにローテーブルの脇にまとめてあったりする。
そういやさっき、帰ってきてまだ暑いなとエアコン入れようとして、予約設定なのか自動で電源が入ったのはビビったね。エスパーかよ。
そして、結菜のどこが良いかって、やっぱりエロいところだな。エロいというか、エロいことしても引かないところかね。何事にも一生懸命だからか、何もそんなところまでとは思ったけど、一昨日、絞りに絞られた時なんて、一回ごとにどんどん上手く成ってやがった。そのせいで、射精なくなるまでしゃぶられた。
考えてたらムラムラしてきたな。……が、利き手は折れちまってる。
はぁ。こういうのが一番もどかしい。
オナ禁でなくとも扱かないことは、ままある。だがこういうしたくとも出来ないというクソ状況は最悪だ。
高校時代だったら発狂寸前まで追い込まれて、新しいタイプのオナニーを開発するところだ。
……なんだ。性欲も収まってきたと思ってたら、そうじゃなかったみたいだ。
ヤれそうな相手がいるとこうなるのかね?
結菜は、いきなり「しゃぶれよ。」とか言われたら、流石に引くのかね?
だなんて阿保なことばかり考えてもいられない。すぐに飽きられて、離れていくだろうなんて気楽なことを考えてもいられない。
結菜が本気じゃないかと思うようになってしまった。誰かと付き合うとしたら、その結末は別れるか結婚するか二択しかない。早計だとしても、別れない選択肢を考えるなら、俺は、結婚について……考えないといけないんだろうか?
やっぱり、そこまでじゃない、よ……なぁ?
うーん。
わからん。結菜が、今、仮に割と本気で俺のことを好きだとしよう。そして俺には結菜を一人養うくらいの貯金も給料もある。
なんだ、完璧か。
じゃねえよ。思考を放棄するなよ。
とは言え、実際のところ結菜に結婚したいとか言われても、俺は特に問題無い程度の条件は揃ってる。
仮に問題があるとしたら、俺が36歳で、結菜が16歳ってところだろう。なんだ、結婚可能年齢じゃねえか。だなんて言ってられない。
俺の両親も、結菜の両親も納得なんてしないだろう。特に結菜の両親、早苗さんは良いとして、一生さんが許すとは思えない。
一生さんとも早苗さんとも、10年前の事故で面識があるし、特に早苗さんの方は、以前なら時々スーパーのレジで会ってたから、なんとかなるような気もする。
……なんとか、なるよなあ?
まあ、今のところすべては時期尚早だ。
この案件はペンディングしといたらいいだろう。
*** ***
――ンポーン。
…………ぁ。
ねみぃ……。
何時だ? ……ああ、いつもより、一時間も早いじゃないか。
なんで起きたかわかんねーけど、もっかいねr
――キィ。パチッ。
「おはようございますー。」
……あれ?
「え、っと。寝てますか?」
実際眠いが、このまま寝たふりを続けたらどうなるかってのも気になるところだ。
なんだ、けっこう起きてきたじゃねえか。
「…………。」
「起きてくださいよー。」
ユサユサ。
「今日は一緒にご飯を食べたいから、ちょっと早めに来たんですよー?」
ユサユサ。
「もう……ネボスケさんなんだから。……ちょっとビックリするかもですよ? ふぅー。」
ぅおうっ!? ――っつつ。
「わっ! ――起きました?」
「あ、ああ。起きた。めちゃくちゃ起きた。だが、心臓に悪いな。」
結菜に、耳に息を吹きかけられた。
俺は耳が弱いんだ。息を吹きかけられるとどうしてもビクッと反応しちまう。で、びっくりしてそのまま、起き上がってしまった。
上半身を急に起こした俺に、結菜もびっくりしている。
そして、じわじわと右手が少し痛んできた。が、右足はそうでもない。一瞬、治ったのかと思ったがそれはないだろう。
「ごめんなさい。」
「いや、気にしなくていい。……それより、一緒に朝ご飯って、どういう?」
「あれ、やっぱり起きてたんじゃないですか。」
「――あ。」
寝ぼけたか。
「もう。耳に息を吹きかけて反応したから、そうじゃないかって思ってましたけど。……晴彦さん、イジワルですね。」
唇を尖らせる美少女は、そんなことを言いながらやっぱり抱き着いてくる。ご丁寧に抱き着きやすいよう、布団を剥がしながら、器用に畳んでいる。
「……で、朝ご飯はどうしたんだ?」
「朝ご飯はもう少ししたら用意します。そんなことより、晴彦さんはボクをビックリさせちゃったんだから、ちょっと心臓が治まるまで抱き枕になってください。」
とかなんとか言いながら、ベッドに上がって、俺の体を上ってくる。いつもよりおっぱいが高い位置になって、顔に当たってる。
実にいい弾力だ。
とかなんとか思ってたら、そのまま思い切り体重をかけてきた。
咄嗟のことで対応できず、俺より3分の1も軽い結菜に押し倒されてしまう。
「痛かったですか?」
「大丈夫だ。」
強がりでもなんでもなかった。
寝起きの浮腫みか何かで痛む腕も脚も、日を追うごとに痛くなくなっている。
押し倒したせいか、いつも通りの高さまで下がったか、耳許で結菜の心地いい声がする。
「昨日は、夜に来れなくて、寂しかったんです。」
「そうか。」
俺は、極めて平静を保って答えた。
が、考えてほしい。朝、寝起きだ。その状態で結菜に押し倒されて、つまり、結菜は俺の左半身の上に乗りながら、抱き枕宣言なのか、左手と左足をまとめて両足で挟んでいる。
具体的には俺の愚息は結菜の左腿に当たってるし、たぶん、俺の左手も結菜のアソコ周辺に位置してるだろう。徐々に、何かの熱のようなものを左手で感じてきた。
あれだ、ラッキースケベ的な展開だ。
やったぜ。俺にもツキが回ってきた。
だなんて言ってる場合か?
「ボクは、ヒトを好きになったらこんなふうになるなんて、思ってなかった。……知ってます? 晴彦さんが帰ってくる前に、予備校に行かないといけないのが、すごく寂しかったんです。」
「ああ。」
バカなことを考えながらも、数日でずいぶんと愛されたもんだなあって感じていた。
「……もう予備校なんて止めちゃおうかなあ。」
「待て待て、それは今まで勉強してきた分が申し訳ないだろう?」
それは小言だったが、さすがに結菜のような真面目な子が言うべきじゃなかった。
「でも、別に予備校に通ってなくても、成績は落ちないと思うんです。」
「なんで?」
「ボク、言われなくても勉強はしますし、勉強自体も好きですし、勉強してる範囲でわからないところもないですし、何より、効率も悪いですし。」
効率が悪いというのが、ちょっとわからなかったが、予習でわからないところがないから、予備校で学ぶ必要がないどころか、その時間がもったいないということだろうか。
「だとしても先生の話す中に、本で勉強する以上に役立つことが混じってることだって、あるだろう? そういうものの積み重ねが後で役に立つかもしれないだろう?」
「そうかもしれないですけど。」
結菜は思ったより頑固のようだ。
「そういうもんだって。」
「そうですか。」
それに、百歩譲って俺と付き合うのはいいとしても、そのせいで成績が落ちるのとか、そういうのは避けないといけない。
俺の精神衛生上も悪い。
クンクン。スンスン。
どういうわけか、結菜は俺の匂いを嗅ぐのが好きらしい。気づいたら嗅がれてるような音がしてるし。
「……それはまあ、分りました。ところで――」
ゆっくりとでもなく、さりとてガバッとした勢いもなく、呼吸の隙間を縫うような動作で結菜が身体を離した。そして俺を見下ろした。黒髪がカーテンのように零れて、幻想的な光景なのに、蠱惑的な表情だった。
「――また、ずいぶん溜まっているみたいですね。」
――ドキッとした。
見透かされてるような気がしたからじゃない。
結菜の唇が、あまりにもエロくて日曜の夜を思い出したからだ。
結菜はわかっているのか、妖艶な舌なめずりをする。
「今夜は来れます。一緒にご飯も食べたいです。……そのあと、晴彦さんがお風呂に入ったら。」
その先は言わなくても分かった。
が、朝からピラミッドを作るようなことを言わないでほしい。まずはどうにかコイツを治める努力をしないといけないし、何より今日、ふと思い出したらどうしてくれる。
というか、絶対何度も思い出すだろう。その度に愚息が起きちまう。
「晴彦さんの…………を、飲みたいなー、なんて、えへへ。」
結菜は見下ろしていたからわかり辛かったが、陰になっていても、その顔が真っ赤になっているのがよく分かった。わかるほど、恥ずかしがっていた。
恥ずかしがっていながら、俺が悦ぶようなことを言ってくれる。
いい女になるよ。
純粋に、そう思った。
*** ***
「やっぱり、今は難しいですね。」
「そう、か。」
俺は、齋藤部長の誘いを断っていた。
断るだけだから、昼飯時にエレベーターホールで世間話でもするように手短に伝えた。
「しかし、今のままでは先がないぞ。」
「先が断たれていないなら、細いだけなら俺は大丈夫です。」
「なるほど。それが答えか。わかった。」
そう言って齋藤部長はエレベーターで下がっていった。
俺には結菜の弁当がある。
まるでトイレの途中で部長に会った体を装って、デスクに帰る。
水曜にして、もう3分の2ほど体重をかけているが、脚の治りは早い。
確かに腓骨にヒビが入っただけだから、という考えもある。
とはいえ、高校生の時だって、ここまでじゃなかったような気がする。
ギプスが大げさなだけか?
まあ、良いか。
*** ***
そんなふうに俺の一週間は過ぎていった。
雑務課の仕事では、いろんな人から脚を心配された。
相変わらず朝はスイスイ通勤できるのに、夜は散々だ。
けど、結菜に会うと眠気とか疲れとか、いろいろなものが取れていくような気分になる。
ついでに結菜が拒まない上に、結菜の方からも誘うもんだから、俺は結菜の口をオナホ代わりにするように、何度も犯した。
そして感じたのは、結菜のスケジュール管理能力だった。
水曜日は、4回。木曜日は、5回。
いつも最初の方は俺の好きなように、させてくれる。そのうち、結菜の方から搾り取ってくるが、日曜みたいな絞りつくすような感じじゃなかった。
結菜に聞けば、月曜日に少しやつれた様になっていたから、頑張りすぎないことを覚えたらしい。
それと、俺も4回出した次の日に5回も出せるなんて思ってなかった。
日曜でさえ6回目は何も出なくなっていたのに、昨日はまだイケそうな気がした、
なんか、いつの間にか絶倫化してるような気がする。
もしこれが、結菜が絶妙な回数で射精を管理してたなら、俺は満足しながら鍛えられていることになる。
そう考えるとやはり、結菜のスケジュール管理能力はすごいんじゃないかという思いと、どこでそんな知識をつけてきたか、という疑問だった。
結菜は処女だろう。とすれば、偶然か?
まあ、どっちでもいいか。
今日は金曜日で、あの事故から一週間。
昨日は警察から呼び出しもあったし、保険会社とも電話で何度か話した。
そして結菜は予備校だ。
晩飯は、結菜が作っておいてくれるらしいがやはり、味気ないものになるだろう。
そんなことを考えながら着替えつつ、結菜が朝飯を用意してくれているダイニングにえっちらおっちら向かった。
そういえば、週末って母さんが来るんだっけ?
~to be continued~