エロ率分析 (α)

〜分析結果サンプル〜


 『1』


 戦前――1945年以前と比べて、武術と言うものは様変わりした。

 ある種のパラダイムシフトだ。

 普通、人間は、首を刎ねられれば死ぬ。

 そうでなくとも、頸動脈でも掻っ捌かれれば死ぬ。

 重要な血管を外しても、全身10か所も傷を負えば死ぬ。

 小口径でも、至近距離から銃弾を頭部に一発打ち込めば死ぬ。

 人間の武術技法は暗黙の前提を持つ――技が決まれば相手は死ぬ。


「うらァッ!!!」


 今の人類も大抵そうではある。

 だが、銃弾より早い人類がいる。

 食らう傍から再生する人類がいる。

 全血を失おうとも生きる人類がいる。

 首を落とされようと死なぬ人類がいる。

 強力な人外であれば不死者も存在する。

 ――人を殺すコストが、高くなった。


「おっるぁあああああああああああ!!!」


 香港で最も隆盛を誇る武術が、竜双子様の流派――特に名前はないらしいのだが、きちんと示す時には竜田流と言うらしい――それであるのは、理由がある。

 それまでの武術では、殺しきれなかったためだ。

 それまでの武術には、魔法の存在がなかったためだ。

 数百年前から(ウチの師匠とは違って)門戸をきちんと開いていた竜双子様は、1945年から現れ始めた怪異に対してもわりと動く方の、民衆にとってはありがたい仙人様だったという。

 人外に雑に弟子を殺されて黙っていられるか、とかなんとかだが。

 同時に、それまでは秘門絶招としていた技法を広く開放。人外を殺しきる武術を得た香港近辺は、1945年以後の混乱に比較的上手く対応できたらしい。

 ともあれそんなこんなで、約70年。改めて魔法に対応した流派を学ぶものはいつつも、竜双子様の流派は香港中に広まった、と言うわけである。


「んぬっ、クソがッ!」

「ほれ隙あり」

「げぼァッ!?」


 どこんと腹が爆発したような音がしたと思ったら、俺の身体は地上から100メートルほど、地上の高度を合わせて1400メートルの高さに浮いていた。

 ――そして、現在の俺。目下のところ、未来嫁である師匠を超えるために修行中である。




/




「ぐえー……朝飯食うなってこういうことかよ……」

「うむ。おぬし、再生速度はともかく、骨の強度の方はわしを超えておるからのう。そろそろ本腰を入れて内臓を鍛えてやろうかと思ってのー」

「ちょっとスパルタすぎるわ……いまだにじんわりいてえ……」


 いまだ雪の残る銀嶺――山頂付近は夏でも雪が降るが――師匠の本拠(一応)である、"銀生流混洞"の裏手に当たる岩場の上で、俺は座り込んでいた。

 内臓の出血を意識して止めて、ぐへえ、と一息。

 ……肉体を鍛え仙人へと至るための修行ではあるが、鍛えられるならば極論なんでも構わない。普通にマラソンなりを、仙人流にやっていけばいいのだ。

 師匠の仙人としての専門分野(という言い方もおかしいが)は、武技、死霊術、本草学。俺はその弟子であるから、武技を重点的に行っているだけだ。

 その割にはキツいだろ、ってのは、わりとよく思うことだが。

 今回は、逃げる師匠を撃墜せよ、って感じの修行だ。

 5月に入って、高空の香港もだいぶ暖かくなってきた。そのため師匠もちょっと薄着になっており――パンツちらっちら見せやがって、フンドシはどうした。クソが。


「脚加減はしっかりしたじゃろう?」

「常人にやったら血煙だろうけどなさっきのやつ」

「おぬし相手じゃからのう」


 師匠の脚はむっちりと肉がついて太めだ――もちろんその上でこの上なく美しいのだが、つまるところエロい脚をしているのだが。

 そうであると同時に、単純に凶器なのだ。山を抜き河を逆流させ海を割るレベルの。人間を100メートルくらいブッ飛ばすなど朝飯前な。

 流石にバットみたいに"銀杖"を折られるとは思わないが、それでも何度か受け損なえばひん曲がるだろう(その前に持ち手の俺が死ぬと思うが)。


「ほれ、立て立て」

「……おう」


 腹から手を離しつつ、立ち上がる。

 構え直すのは木杖だ。

 普段使いよりも軽いし、重くなったり伸びたりもしない。

 だが、その操作ではなく、俺自身の技量を鍛えるって意味では最適の道具だ。


「よし。ではもう一本」

「おうっ」


 カッ、と木を軽く打ち付け合って、模擬戦を再開する。

 戦うにあたり、勝つための思考というものはいくつか種別があるが、およそ4つに大別できる。

 相手の強みを発揮させない。

 相手の弱みを突く。

 己の強みを押し付ける。

 己の弱みを隠す。

 改めて考えてみる――俺が師匠に勝っている点は、とりあえず三つか。

 ひとつ、単純な筋力。まあ師匠は意味の分からん体術で力の方向を流して散らして涼しい顔をするが。

 ふたつ、単純な頑丈さ。まあ師匠の剣を骨で止めることなどできるわけがないのだが。

 みっつ、床勝負。まあこれに限っては、多分師匠に負けるわけがねぇな。

 うーむ、と内心唸る。実質何も勝ってねえな、と(三つ目を今使うのはナシだ)。

 流石師匠だなあ、とは思いつつも、見よう見まねの技を繰り出し、あるいは自分で考えた歩法で踏み込んでみたり、突き崩されたりを繰り返す。

 師匠の一刀を思いっきり弾いて突きこんで、しかし崩したはずの体勢からひらりと回避される。

 崩せたと思ったのが見せかけか――おかしい場所から届く鋭い突きを、身をそらしてなんとか回避して、大きく飛び退く。

 師匠は追撃はしてこず、ふーむ、と唸った。


「おぬしはやはり、力任せが好きか」

「そうっすね」

「色々と考えておるのは分かるがのー。おぬしは下手に考えん方がよいと思うがの」


 とか言って悪辣なフェイントかけてくるのが我らがババァである。


「いや、悪いことではないが。おぬしの肉で最も優れておるのは膂力でも再生力でもなく、目じゃよ。その目で先の先を叩きこみ続けた方が早道ではあろうな」

「そうなんですかね? あんまり実感は湧かないですけど」

「まあ調子の上下もあろうが。その他の感覚も鋭いが……生得属性の影響もあるのじゃろうな。最も鋭いのは視覚よ」


 "光"属性だし、光を見る視覚に影響が出るのはまあ理解できる。

 "熱"属性とかは暑さに強いとか俗説も聞く。

 とーん、と軽く跳んだ師匠を、だん、と跳躍して追いかける。

 かつ、かん、と音を山に響かせる。


「重ねて言えば、尋常の体躯で、おぬしより膂力の勝る者はそうはおるまい。それこそ、腕力を高めるために修行した者や、あるいは仙人骨と同等かそれ以上に希少な才を持つものに限られよう」

「まあ、いるんですけど、ねっ」


 俺より膂力で勝る者、を具体的に言えば、全力で虫の特徴を表したアランだ。この前見せた悪魔みたいな姿もそうか。

 ヒト型で人間の大きさで武技を覚えて俺以上に気を扱う蟻、みたいなものだ。流石に勝てない。


「……褒めておるのだから茶化さず受け取らんか」

「すみませ、あっちょっぐぼァ」


 墜落したぜ。


「……まったく。ともあれじゃ。こうして骨を折られたように。力任せと言うものは限度もある――と言うか今この現状がそうじゃの。おぬしよりも背が低く、腕力もない女に一方的にやられておるわけじゃな」

「いやホントそうなんでちょっと手加減もうちょいあっ待て早い早い加減クソがポォゥ」


 肋骨折れたぜ。


「無論技だけ鍛えておってもいかん。技も経験も、力と同じく――それ以下のものにしか通じぬものよ」


 ぴたり、と木剣が首筋に添えられる。

 ぐおおおお、と脇を抑えてしゃがみこむ俺のつむじに、言葉が降ってくる。


「おぬしは技も力もわしには及ばぬ。――さて、ではどう勝つ?」

「兵法、とか。……心、技、体……っつーことで、心とか?」


 うむ。と満足げな声が届く。


「そうじゃの。技と力があっても、それを活かせねば勝つことは難しい。兵法を用いるのはよいのう」

「……けどまあ、心だけでいつでも勝てるってわけじゃねえでしょ」


 立ち上がって、杖を構える。


「うむ。――と」


 師匠が、剣を背後に回した。

 カッ、と音がする――む、と目に力を入れてみれば、そこにわずかな魔力の揺らぎがあった。


「そう。これも兵法よな――が、まだまだ足りんぞ、おケイよ」

「んぅっ……!」


 ……師匠が動くまで俺は気づけなかった。

 ゆらり、と空気が揺らめく。

 そこに現れたのは、先ほど脱落したはずのケイだ。

 変身系と炎熱系魔術の併用による光学迷彩を使って忍び寄ってきていたのだろうが、師匠のデタラメさに敗北した形になる。


「くっ……」


 数秒鍔迫り合いをしていたが、押しきれないと見たか、ケイは飛び退る。

 なんで片手一本で背に回したような体勢でケイに対抗できるのかが分からない。ケイもしっかり怪力の部類のはずなんだが。

 師匠は笑って、改めて宣言する。


「昼より、しばらく出る故な。今日は底の底まで、絞ってやるからの?」


 ――次の瞬間には二人ともふっ飛ばされていた。


「デタラメすぎだろマジでクソが覚えてろよババァアアアアア!!!」




/




「少なくとも七日は帰ってこれぬじゃろう。もしかすると、もう暫くかかるやもしれんの。そうなったらば、めぇるを送る」


 渦状馬に腰かけた師匠が、そう言ってケイの頭を撫でた。

 そう――師匠もとうとうケータイを持ったのだ。恐ろしいのは、購入した10分後に"白雪姫"から電話がかかってきたことだが。あの人も友達少ないんじゃねえの。


「お気をつけて。師匠。……ケータイなくすなよ」

「わしは痴呆老人か。なくさんわ馬鹿者。そなたこそ、すぐ出られるようしておくのじゃぞ?」


 渦状馬の上から、わしわしと頭を撫でられる。

 一歩離れようとしたところで、頭をがっしり掴まれた。

 抱き寄せられて、無理矢理頭を撫でられる。

 相変わらず薄い――否、うっっっすいまな板に額が当たる。


「……や、やめろっての」


 ケイが見てるだろうが、と言ったが、通用せず、つむじのにおいまで嗅がれている。

 正直かなり恥ずかしいが、師匠は全く気にした様子もない。

 だが、渦状馬に乗った状態で、腰に剣を提げている――師匠が、だ。

 師匠は、香港浮上の立役者の一人だ。そのために、他の仙人様達から香港に関しての窓口になっている。

 『他より若い所為で便利に使われておる部分はあるのう』とは師匠の弁だが、今回に限っては、便利使いも構わないようだ。

 なんでも、姉弟子にあたる仙人様が、大陸から香港に亡命したいと言っているのだとかで――山ごと香港に来るってのは、スケールやっぱ違うな、って感じだが。

 亡命、ということで、穏やかじゃないってことは聞いている。

 昼過ぎに出るのも、到着を夜にするための時間調整を兼ねている。

 腰裏あたりを軽く抱きとめて、言う。


「師匠。……出発しねえと時間通りに着けねえぞ」

「うむ……そうじゃの。そろそろ出るとするかの……なにかあれば、竜田達を頼るのじゃぞ」


 師匠は俺の頭を解放し、銀髪のポニーテールのリボンを直し、言った。


「では、行ってくる。――わしがおらずとも寂しがるでないぞ?」


 オカンか。ってくらい付け加えが多い。

 実際オカンどころじゃない年齢なのは確かだが。

 プルヒヒヒ、と、渦状馬が笑った。


『夜泣きするのは銀の方だと思うけどね僕はね』

「や、やかましいわ」


 ぺちん、と頭(らしき部位)を叩かれて、プルヒヒヒヒヒヒ、と渦状馬が笑い、そして飛び上がる。

 ではの、と声が降ってくる。

 渦状馬が空を駆ける。

 銀髪と黒い渦をたなびかせて、西の空へと去っていく。

 手を振って見送って、そして、


「――――二人っきりですね、銀兄さん」


 横から来る殺気にも近いそれに、うっかりヒェッと声が出た。

 そう――二人っきりなのだ! やべえ。